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2003年05月12日(月)
哀しき「祭り」の流儀。


共同通信の記事より。

【愛知県稲沢市の国府宮神社で今年2月に行われた「国府宮はだか祭」で、群集のもみ合いで踏み付けられ、意識不明の重体になっていた稲沢市長束町沼、会社員小林雅彦さん(32)が12日、腎不全のため収容先の病院で死亡した。
 国府宮はだか祭は毎年旧正月に開かれる神事で、ふんどし姿の男たち数千人が神男と呼ばれる男性目がけて突進する勇壮さで知られる。小林さんはふんどし姿の男の一人として参加していた。】

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 こういう記事を見かけると、そんな祭り、やる必要あるの?とか思ってしまうのですが。
 日本各地で行われる祭りには、その勇壮さで知られるものも沢山あります。大阪・岸和田の「だんじり祭り」などは、その代表格。
 みんなで楽しく踊るような祭りもあれば、厳粛な雰囲気で行われる祭りもある。それはもう、それぞれの個性なのです。
 
 こういう激しくてキケンのある祭りの場合、犠牲者が出るたびに祭りの継続の是非、というのが問われるのですが、その結果、大きな祭りで「危ないからもう止めよう」という結論が出ることはほとんど無いと思います。
 安全にやろう!と言うのなら、最初からやらないのが一番なんでしょうけど。
 祭りの活気というのには、そういう危険な要素も一役買っていて、だからこそ祭りが盛り上がる、という面もあるのでしょうね。
 僕が前に住んでいた町には、大きなお祭りがあったのですが、それはもう、地元の人々にとっては、正月には帰省しなくても祭りのときには帰ってくるとか、山車を引く場所を決めるだけのことで、大ゲンカになったりしていたものでした。
 ヨソモノとしては、地元民の盛り上がりを不思議な気持ちで眺めていたものです。
 「たかがお祭りで」と。

 もちろん、日常とは異なるから「祭り」なのですが、「祭り」というのは、古来、犠牲を求めるものなのかもしれません。ただ、楽しいだけじゃなくて。
 今回犠牲になった人も「名誉の事故死」みたいな扱いを地元では受けるのではないでしょうか。
 あの勇壮な祭りの光景を見て興奮する人々(僕も含めて)に、やっぱり、人間ってやつは争いごとが好きなのかなあ、と思ったりもするのです。

 ブラジルの人は、ひょっとしたら、リオのカーニバルで毎年死者が出ても、「カーニバルの恒例だよ」という感じなのかなあ。