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2003年05月11日(日)
読みかけの本に溺れる人生。


「ばかおとっつあんにはなりたくない」(椎名誠著・角川文庫)より抜粋。

【このごろちょっとした旅行などに持っていく本を最後まで読まずに放り投げてしまう、ということが多くなってきてちょっと困っている。クライブ・カッスラーの『スターバック号を奪回せよ』(新潮文庫)は百二十一頁で、紀行】『じゃがたら(徳川義親著、中公文庫)は、マレーの部分まで、ホーガンの『造物主の掟』(創元推理文庫)は最初の十頁ぐらいでいったんストップしてしまった。こういうのがクセになるとよくないのだ。】

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 ああ、僕はもう、そういうのがクセになってます。
 学生のころは、そんなに本を買えるほどのお金がなかったこともあり、一冊の本を読み始めたら、よほどつまらない本でもない限り、意地でも最後まで読んでいたような記憶があります。トルストイなんて、今、目の前に出されたら、最初の数ページくらい読んで、永久に本棚の奥から出されることはないでしょうに。
 社会人になってから、自分の時間が少なくなってしまったこともあり、本を読むといっても、軽めのエッセイとか雑誌が主流になってしまって、小説は手にとって読み始めても、いつのまにか途中で放置されていることばかり。
 この傾向は、本だけじゃなくて、やりかけのゲームとか、録画だけして観ていないビデオとかが、家にはたくさん溜まっているのです。
 「いつか読むはず」「いつか遊ぶはず」「いつか観るはず」のものばかりが溜まっていく人生。
 このまま「時間ができたらやるはずのこと」をたくさん残したまま死んでしまうのかなあ、などと暗澹としたり。
 でも、最近は、ちょっと考えを変えることにしたのです。
 本にしても、本当に読みたい、もしくは面白い本なら、ちゃんと全部読んでいるはずだし、本当に面白いゲームなら時間がなくてもエンディングまで遊ぶはず。
 要するに、途中になってしまっているものは、きっと自分にとってそれだけの価値しかなかったんだろうな、と。
 
 そう言いながら、やっぱり読みかけの本は増える一方で、本棚を見るたびに憂鬱になるのですが。