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2003年05月01日(木) ■ |
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「自閉症」と言われる天才たち。 |
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ロイター通信の記事より。
【英国の2人の科学者が、天才科学者といわれたアルバート・アインシュタインとアイザック・ニュートンは自閉症の一種とされるアスペルガー症候群(AS)にかかっていたとする説を発表した。 ASは、1944年にオーストリアのハンス・アスペルガー医師が最初に定義した障害で、社会性や意思疎通能力に欠け、特定の事物に非常に強い関心を示すのが特徴。ただ、学習や知的活動には影響がなく、秀でた才能や技術を発揮する人も多いとされる。 ケンブリッジ大学のサイモン・バロンコーエン氏とオックスフォード大学のヨアン・ジェームズ氏が、アインシュタインとニュートンの人格を検証し、ASの症状がみられるかどうかを調査。科学誌ニュー・サイエンティストに掲載された。 記事は「ニュートンは典型的なケースとみられる。ほとんど話をせず、自分の仕事に没頭するあまり、食事も忘れることがしばしばだった。また数少ない友人との関係は積極的なものではなく、険悪になることもあった」と述べている。 バロンコーエン氏は、アインシュタインも孤独な性格で、子供時代には特定の文章を執拗に繰り返していたと指摘する。同氏は、アインシュタインは交友関係があったり、政治的な話題について発言したりしたとしながらも、ASの兆候があったのではないかとしている。 だが、米カリフォルニア大学のグレン・エリオット氏は、天才的な人は自閉症でなくても社会性が乏しかったり、他人に対していら立ったりする場合がある、と反論。「知的な面で他人の理解が追いつかないことに対するいら立ちや自己陶酔的な面、また生涯を通した使命感から、その人物が孤独で気むずかしくなる可能性もある」としている。】
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参考・日本自閉症協会ホームページも興味のある方はぜひ。
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この話を聞いて、果たしてこういう説を発表することに意味があるんだろうか?と僕は思いました。 よく「天才とナントカは紙一重」なんて言いますが、要するに、この2人の科学者は、ニュートンやアインシュタインの業績と自閉症を結びつけたいのかなあ、と。
僕たちは、「天才」と呼ばれる人たちを異常な人間と考えてしまい、自分は正常だから…と自分に言い訳をしてしまう傾向があるのですが、だからといって、ニュートンやアインシュタインは自閉症で偏った才能を持っていた、というふうに考えてよいものなんでしょうか? 自閉症というのは、上記参考リンクにもあるように、そんなに珍しい病気でもないし、本人のやる気の問題でも環境の問題でもないのです(僕も今回はじめてそういう知識に触れました)。 もちろん、環境要因で、素因の無い人が「自閉的」になる場合というのも多いのですが、「自閉症」と「自閉的な状態」というのは、見かけでは似たような状態でも、実際はかなり異なるものです。
僕がこの説に対して思うのは、自閉症と正常の間には明確な線引きがあるわけではないし、会ったことも無い人間をそういうふうに診断するのは無理なんじゃないかということ、そして、人間というのは、自分の理解できないものにはネガティブな評価をしがちなんだなあ、ということです。
たとえば、イチローの野球センスや中田のサッカーセンスなんてのは、どんなに彼らが厳しい練習を積んでいたとしても、「異常」だと思います。 でも、それは彼らの「才能」なわけですよね。 ひとりでずっと彼らが練習を続けていても「自閉的」だなんて言う人はいません。
逆に、「ドラえもん」の野比のび太の「あやとり」の才能なんてのは、世界一で唯一無比のものであっても、ほとんどの人が見向きもしないような「才能」。 中には、犯罪などの他人に迷惑な才能を持っている人もいるわけで。
ニュートンやアインシュタインのように、常人にはわかりにくいような才能を持つ「天才」は、こんなふうに「病気」と結びつけられてしまったりもするのですね。研究者というのは、たいがい自閉的な面を持っているのに。
自閉症の人にも、素晴らしい才能がある人もいる(それは確かに真実なんだけれども)というのは確かですが、今回の説は、あまりに短絡的な気がします。
例えば、イチローにだって「自閉的」な面があると僕は思うんだけどなあ。
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