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2003年04月27日(日) ■ |
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星条旗を持ってきたのは、誰だ? |
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「週刊アスキー」(株式会社アスキー)2003年5月6日・13日合併号の記事「仮想報道(歌田明弘著)より。
【メディアの映像操作もさることながら、バクダッド陥落後、イラク市民がテレビカメラの前でさかんに振り回していた星条旗はいったいどこから来たのか。米軍もまた作為的な場面づくりをしている。】
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「イラク戦争」は、実質的にはほぼ終戦という状況です。 しかしながら、アメリカ軍がイラク攻撃の根拠として挙げた化学兵器や大量破壊兵器については、いまだ確たる証拠は得られないまま。 (移動式の化学兵器実験施設が発見されたという報道も一部でなされていたようですが…) バクダッドが「解放」されて喜ぶバクダッド市民の映像は、多くの人にとって記憶に新しいものだと思うのですが、確かに、そう言われてみればその通りで、画面で星条旗を振っていたバクダッド市民たちが、戦争が始まる前から家に大事に星条旗を仕舞っていたとは考えにくいですよね。 そう考えると、マラソンのときに配られる新聞社の旗のように、何者かによって、星条旗はバクダッド市民に配られたと考えるのが妥当でしょう。 配ったものは誰か?言うまでもなく、アメリカ軍。
もう日本人にとっては忘れかけた記憶なのかもしれないけれど、今から60年近くも前に、日本人も同じようにアメリカ軍を迎えました。 子供たちは「チョコレート頂戴!」と歓声をあげて。 しかし、その当時の日本人が、まったく心理的な抵抗感なしに「自由と民主主義をもたらす解放者」としてアメリカ軍を歓迎していたかというと、必ずしもそうではないと思います。 そこにはただ、勝者と敗者がいただけで。
情報戦も戦争の一面とするのなら、アメリカ軍が市民に旗を持たせて歓迎の場面を世界に見せたのは(多くの人は素直に信じられなかったでしょうけど)、戦略的に仕方ないことなのでしょう。 でも、公正な報道をするはずのメディアも、その映像を流すという形で軍に協力しているのです。「事実」の中で、何を報道して、何を報道しないかという選択によっても、視聴者に与える印象というのは、全然違ってくるものですし。
ほんとうの「闘い」は、むしろこれからなのかもしれません。 「自由と民主」をもたらすための戦争ならば、果たしてそれが本当に果たされるのかどうか、アメリカを「支持」した国には見届ける義務があるでしょう。 今回の戦争の前に、アメリカ軍の首脳部は「うまくいった日本のときと同じように占領政策をすすめよう」と言っていたそうです(これは当然「失言」として非難されましたが)。 イラク人が、原爆という大量破壊兵器で実験的に30万人もの人間が虐殺されても「仕方がない」と受け入れられるような、寛容な人々だったら良いのですが。
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