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2003年04月17日(木) ■ |
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「神様」マイケル・ジョーダンの人間的な引き際。 |
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「哲学」(島田紳助・松本人志著、幻冬舎文庫)より。
(島田紳助さんの「引き際」についての哲学)
【成功と同じように潮時というのも難しい問題だ。 うちのオートバイチームのライダーを引退させるときによく揉めることがある。 成績が出せなくなったライダーが、もう一回でいいから満足してからやめたいというのだ。そういうときに、僕はこういう。 それは、ないと。 選手生活に満足することはあっても、満足して引退するなんてことはない。満足しないから引退するのだ。自分の成績に満足できなくなるから選手をやめるのだ。 それをもう一回なんていっても、もう一回はあるわけがない。 満足したいのなら、選手生活に満足しなきゃいけないのであって、もう一回満足してから引退するなんてことはありはしないのだ。 それは、僕がコンビを解散するときに、いやというほど思い知ったことなのだ。】
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僕が島田紳助さんのこの文章を読んだときに、思い浮かんだひとりのスーパースターがいます。その人の名は、そう、マイケル・ジョーダン。 アメリカプロバスケットリーグ(NBA)のカリスマだった選手です。
僕がちょうど高校時代に、NBAがブームになった時期がありました。 寮に入っている生徒は、必ずどこかの部活に入らないといけないという校則のため、当時、僕はバスケ部に所属していたのです。背は低いし、運動神経は鈍いし、やる気もない、という三重苦を抱えた不良部員、でしたけど。 それでも、そのころのバスケ部員にとって、マイケル・ジョーダン、いやエア・ジョーダンは、まさに「神様」だったのです。僕の父親世代にとっての長嶋茂雄さんのようなもの。 僕たちは、みんな練習中にジョーダンの真似をして舌をぺロッと出してたし、靴もジョーダン・モデルを奮発して買ったものです。
ジョーダンは、今から10年前の’93年にNBA三連覇達成によるモチベーションの低下と、お父さんを亡くされるなどの精神的ショックもあり、一度引退をしています。その後、メジャーリーグに挑戦したジョーダンを覚えている人も多いのでは。 結局、メジャーリーグへの挑戦はうまくいかず、彼は’95年にNBAに復帰し、その翌年から’98年まで、シカゴ・ブルズをふたたび三連覇に導きます。 引退を決意して臨んだファイナル(決勝)で、残り5秒で決めた逆転のラストショットは、まさに伝説の終わりに相応しいものでした。 「こんなにドラマチックな優勝、そして引退があってもいいんだろうか…」と感動と同時に、唖然としてしまったことを思い出します。
今日、マイケル・ジョーダンは、3度目の引退をしました。 今度こそ、2度と彼はコートに戻ってこないだろうと言われています。 一昨年ウィザーズでカムバックするときも、正直言うと僕は、「あんなに最高の引退をしたんだし、もう復帰する必要なんてないじゃん、むしろ、伝説を汚すことになるんじゃないかなあ…」と思っていました。 2年連続でウィザーズはプレーオフ進出を逃し、ジョーダンは今日、選手としてはコートを去りました。 たぶん、多くの人が、今回のウィザーズでのジョーダンのキャリアは、「余分だったよなあ…」と思っているんじゃないでしょうか? 僕ももちろん、そのひとりではあるわけですが。
でも、この紳助さんの書いた文章を読んでいると、やっぱり、どんな人間でも「心残りのない引き際」なんてのはないのかなあ、と感じてしまいます。 どんなに周りからみて「最高の引退劇」でも、本人の感じ方は違っていたんでしょうね。 余計なオマケのように見える「神様」の最後のキャリア。 でも、それはある意味、「神様」の人間としての存在証明。 その姿を見たくないと思った人も多かっただろうし、本人も「こんな筈じゃ…」と感じていたのかもしれないけれど。
さようなら、そしてありがとう、マイケル・ジョーダン。 でも、まさかとは思うけど、やっぱり4度目はナシにして欲しい…
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