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2003年03月18日(火) ■ |
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「学校の全面禁煙化」と職業倫理の領分。 |
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中日新聞の記事より。
(三重県の学校の全面禁煙化についての記事です)
【「生徒の喫煙を注意するなら先生も禁煙を」−。県教委は二月に、県内の全県立学校に学校敷地内の全面禁煙化に向けた検討を始めるよう通知した。こうした動きを受けて、伊勢市教委でも全面禁煙化について検討中。市内のある小学校長は「たばこを吸う人には気の毒だが、大賛成」と歓迎するが、ヘビースモーカーを自認する中学校長は「やめるのが望ましいんやろうけど、なかなかようやめんし…」と頭を悩ませている。同市の公立小、中学校のたばこへの取り組みを調べた。
小学校十九校、中学校九校の校長、教頭に電話で問い合わせたところ、全校で分煙化は進んでいるようだ。職員室での喫煙は三校を除くすべての学校で禁止されており、その三校も換気扇のそばに喫煙コーナーを設けている。
全面禁煙化について、生徒指導面のほか、子ども、教職員の健康への影響を挙げ、賛成する声が多い。一方で「大人と子どもは一緒ではないし…」と、きちんと分煙していれば問題ないのではないかとの声も聞かれた。】
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最初にお断りしておきますが、僕はタバコを吸いません。学生時代にお遊びでトータル1箱くらい吸ってみたことはありますが、全然体に合わなかったのか、気分が悪くなるばっかりで。子供のころは、バスとかの中でタバコの煙を吸い込むだけで、吐きそうになっていました。今ではだいぶ慣れたものの、パチンコ屋で隣の客がタバコを吸っている間は息を止めています。 でも、この記事を読むと、先生たちも、ちょっとかわいそうかなあ、と。 僕は仕事上、患者さんに「塩分はひかえましょう」とか「1日1万歩は歩きましょう(けっこう大変!)」とか「食事は三食きちんと食べましょう」とか言うわけなのですが、そういうときに、たまに「じゃあ先生はどうなんですか!」と反論される患者さんがいらっしゃるんですよね。 そういうときには、僕は「いや、実は私も…」とか言って、万歩計を見せたりするのですが。 こういうのって、心情としては、よくわかるのです。 でも、それって、よく考えたら不思議なこと、なのですよ。 野球のコーチに「じゃあお前は打てるのかよ!」とかいうのは、わからなくはない。 技術が全くなければ、他人に指導なんてできないでしょうから。 でもね、その場合でも「自分で打てるコーチ」と「他人を指導するのが巧いコーチ」というのは、微妙に違っているはずで。 そうでなければ、イチローや松井を指導できるコーチ(彼らの場合は、もう「指導」というレベルではないのかもしれませんが)なんて、日本にはほとんどいなくなってしまいます。 たとえば、仮に僕が喫煙者だとしても「僕が喫煙すること」と「タバコが健康に与える害」という事実には、まったく関連はないのです。 僕が吸おうが吸うまいが、タバコの害というものは、変わりはしません。
学校の先生とか医者なんてのは、「お手本」にならなくてはいけない、というのが一般的な考えなのかもしれませんが、生徒の目の届かないところで、他の先生に迷惑をかけない範囲でなら、別にいいのではないでしょうか? 本質は、他のところにあるはずで。 「あの先生は、喫煙者だから嫌い!」という生徒が、果たしてどのくらいいるんでしょうか? もちろん、生徒にタバコを勧めたりすれば論外ですが。 大人には、大人なりの領分、責任の範囲というのもあるでしょうし。
教える対象が若くて影響されやすいから仕方ない面もあるとは思うのですが、あまりに意味のない規制をするのは、いかがなものかと。
革命を起こす人間が、必ずしも思想家ではないのと同様に、知識は知識として、専門家を評価したり、巧く利用すればいいのになあ、と僕はいつも思うのです。 相手の生活態度を問うたって、自分には何のメリットもない。むしろ、相手の知識で自分の役に立つものを引き出すほうが、はるかに有益なのに。
だから、この先生たちにも「タバコに対するあまりに過剰な規制はかわいそうだけど、タバコは体にとっては間違いなく有害です」というのが、僕の見解です。
でも、喫煙所で気持ちよさそうにタバコをふかしている御高齢の方をふと見かけると、結局、どんなに体に気をつけても死なない人間はいないしなあ… などと、職業倫理に反することを思ったりもするのです。
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