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2003年03月08日(土) ■ |
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「時候の挨拶さえない」社会。 |
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「明るいクヨクヨ教」(東海林さだお著・文春文庫)より抜粋。
(「築地魚河岸見学ツアー」に参加して)
【ぼくはもう何回もこの魚河岸に来ているのだが、帰り道の気持ちがいつも爽やかだ。ここにはサラリーマン社会にみられるような人間関係のべたつきがまったくない。魚の取引を介しての人間関係だけで成り立っている社会なのだ。 ここでは時候の挨拶さえない。 「きょうはいい天気だね」さえない。 「お忙しいですか」「今夜あたり一杯どうですか」もない。 足の引っぱり合い、おべんちゃら、根まわし、落としどころ、カオつなぎ、営業笑い、そういうものとは、まったく無縁な組織。 魚の好きな連中が、魚の取引のために、早朝サッと集まってきて、サッと帰っていく。 ここの人々は、いつもみんないい顔をしている。】
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この東海林さんの感慨を読んで、僕も「いいなあ」と思いました。医者の世界というのも、やっぱり上下関係とか、職場での挨拶なんてことには、けっこう厳しい社会ですから、こうやって職人たちが集まって、自分の仕事だけして黙って帰っていく、なんて世界には憧れます。もちろん、実力だけが勝負の厳しい世界ではあるんでしょうけれど。 実際、派手でドラマチックなように見える職場も、仕事の内容は他者とのコミュニケーションが必要とされたり、仕事を円滑に進めるためには、「付き合い」が欠かせなかったりするのです。医者の仕事も大部分は、患者さんと話したり検査をしたりで、自分ひとりでできることは、調べものとカルテ書きくらいのものですから。検査だって、本当に補助のスタッフ無しで、医者一人でできるものは超音波検査くらいのものですし。 「挨拶もできないやつ」というのは、どんなに優秀でもスポイルされがち。
まあ、この魚河岸というのは、きっとそこに集まる人々にとっては、プロ野球選手の試合や医者にとっての手術場みたいなものなんでしょうね。 ここで「サッと帰っていって」いる人たちも、自分の店に帰れば、お客さんに「いらっしゃい」といって愛想笑いをしたり、お得意さんに顔つなぎをしなければならなかったりするわけで。 でも、だからこそ、こういう「人間関係に頼らない、ドライな真剣勝負の場」に僕たちは憧れるんだよなあ。 ずーっと真剣勝負だと、身が持たないような気もするけれど。
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