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2003年03月05日(水)
「そんな事で他人に気を使っているようじゃ、作家として、まだまだだな。」


「幽玄漫玉日記・5巻」(桜玉吉著・エンターブレイン)より抜粋。

(作者の日常雑記より)

【1月□日
  私は自分の漫画で実在する人間をイロイロと好き勝手に描いてしまっているが、そういうのを読んで、ぱそみちゃん(作者の日記によく登場している女の子)は、どう思っているのか?と聞いてみると
「私は、どう描かれようと知ったことじゃないが、そんな事で他人に気を使っている様じゃ、作家として、まだまだだな。」
と言われた。】

〜〜〜〜〜〜〜

 僕も日記に知り合いを登場させているわけですが、昔の大作家(太宰治だったか…佐藤春夫だったか…すみません、失念しました)に、こんな言葉があります。
 「身内を泣かせるようになってはじめて、作家として一流だ」という。
 例えば「ハリー・ポッター」みたいなファンタジー小説だと「モデルは誰?」なんてあまり話題になりませよね。読者も、あまりそこまで詮索しようとしないでしょう。
(ただし、例に挙げてしまって何ですが、「ハリー・ポッター」くらいの超ベストセラーになると、ちょっと違うかもしれないですね)
 ただし、日本の伝統的小説の手法である「私小説」では(もちろん、日本だけではないですよ)、主人公=私であり、登場人物には、モデルがいるというように読者は考えるわけです。中には、あえてモデルが誰であるかを暗喩する「暴露本」みたいなやつもありますし。
 以前から、作家の家族は、エッセイで笑い話のネタにされたり、小説で私生活を暴露されて世間の好奇の目にさらされたりして、大変みたいです。
 ある作家の娘さんなどは、そのことを父親に抗議したら「それでお前たちは、ご飯が食べられてるんだから、文句言うな!」と怒られたことがあるそうです。

 実際、作家として名前が売れるほど、書くことによる影響は大きくなるわけですが、そこで書く相手に気を遣ってしまうと、内容がつまらなくなってしまいます。
 でも、そこで過激に暴露しまくると、文学的評価は上がるでしょうが、身内の目は冷たくなることは間違いないところ。
 
 たまにWEB日記で、他人の悪口を(たぶん)実名で書いている人をみかけるのですが、正直、よくそんなリスクを冒せるものだなあ、と感心します。「ネット上の匿名性」なんて、全然アテにならないものなのに。「文学のため」なのでしょうか…
 ストレス解消なら、仮名もしくは匿名で充分なはず。

 僕は…
「作家として、まだまだ」ですね、やっぱり。「読まれてたら困る」と思ってしまう。
 それ以前に、作家でもないし、これが飯の種でもないですが。

 やっぱり「プロの作家」になるというのは、大変なことですね。
 細かいところを描写できる繊細さと、身内の辛さを感じないくらいの鈍感さが同居できる人なんて、稀な存在だと思いますし。