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2003年02月22日(土)
『努力が報われない社会・日本』


読売新聞の記事より。

【読売新聞社が中学生以上の未成年者5000人を対象に実施した「全国青少年アンケート調査」によると、青少年の4人に3人が日本の将来は「暗い」と思う一方、同じく75%が、今の日本は努力すれば、だれでも成功できる社会ではないとみている。

 調査は、昨年12月に郵送したアンケート用紙に回答を記入、返送してもらう方式で行い、主に「社会観・人生観」や「日常生活」について聞いた。有効回収数は2942人で、回収率は59%。

 日本の将来は「明るい」と答えた人は24%、「暗い」は75%だった。昨年10月の本社全国世論調査(対象は20歳以上、面接方式)で「暗い」は62%。調査手法は異なるものの、青少年の方が成人より13ポイントも多い。】

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 終末思想、とでも言いましょうか、日本の将来については、ほとんどの人が暗い予測をしているみたいです。成人よりも、未成年のほうが「日本の将来は暗い」と考える人が多いというのは、文書と面接という調査法による違いのような気がしますけれど。
 だって、面と向かって聞かれたら、あんまり悪いことは言いにくいんじゃないかなあ。
 それにしても、「日本の将来の危険」を再三指摘しつづけているのがマスメディアなら、「日本の将来に危機を抱いている人が多いという危機」をアナウンスするのもメディアだというのは、それはそれで皮肉なことですが。

 ところで「今の日本の社会は、努力しても報われない」と多くの若者たちは(他人事みたいに書いてますが、僕もまだ「若者」のつもり)考えているようなのですが、人類の歴史というのを辿っていくと、「努力が報われる社会」なんていうのは、むしろ稀有な存在なのです。いや、皆無かもしれません。
 人類は、「歴史」という概念が誕生してから洋の東西を問わず、家柄や職業、人種などによって、「生まれたときからの貴族」や「生まれつきの奴隷」というのを数限りなく生み出してきました。
 中国の科挙という制度は、試験の成績によって、優秀な人材を登用するという画期的な制度なのですが、当時そんな試験勉強をするためには、かなりの経済力を必要としましたし、科挙で登用された官僚と門閥貴族の間には、大きな軋轢があったのです。
マルクスが、そういったギャップを解消しようとして考案した「共産主義」という思想は、結局、それを運用する側の人間の問題もあって、不成功に終わっています。
 人間は、自分が他人より優れているところを見つけるのが大好きで、みんな「平等」っていうのは嫌いなんじゃないかなあ、と思うくらい。
 僕だって、どうしても他人と自分とを比べてしまいます。

 確かに、今の日本の社会は「努力すれば必ず報われる」という社会ではないかもしれません。どんなに努力しても、その努力のベクトルが間違っていたり、運が悪かったりして報われることのなかった人は、たくさんいるのですから。
  
 それでも、今の日本の社会には、身分によってなれない職業というのは(性別によって、なれない、もしくはなりにくい職業というのは存在します)、皇室関連と名門神社の神主さんくらいしか無いのです。
 もちろん、経済力によって勉強する環境が違ったり、自分の才能をうまく発掘できるか、という要素はありますが、今この瞬間に日本のどこかで、将来の日本の総理大臣が産声をあげているかもしれないのです。
 
 「努力が必ず報われる社会」なんて、この世界のどこにも存在しないし、たぶん、未来にも存在しえないでしょう。
 でもね、今の日本というのは、歴史上、「これほどすべての人々のスタートラインが近くて、家柄や経済力に関わらず同レベルの教育が受けられて、何の職業にでもなれる社会は稀有である」と言えるのではないかと思うのです。

 今、31歳になる僕は、学生時代には、そんなことは考えたこともなかったけれど。
 だから、今まさに「厭な勉強をさせられている」学生たちに伝えておきたい。
 「それを認めてしまうのはちょっと口惜しいけれど、僕たちは、たぶん恵まれているんだ」と。
 今なら、きっと、まだ間に合うよ。