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2003年02月19日(水)
救われない「救う会」会長の「日本核武装論」。


朝日新聞の記事より。

【「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」(救う会)の佐藤勝巳会長は18日、東京都議会であった都民集会で、北朝鮮の核開発に対抗するためとして、「我が国が核ミサイルをもつこと」の必要性について発言した。
 集会は「北朝鮮に拉致された日本人を救出する地方議員の会」主催。佐藤会長は拉致問題解決のための制裁を政府に求めたうえで、「向こうは制裁を宣戦布告とみなし、ミサイルを撃ち込むということに必ずなる。『日米安保条約を発動し対応する』と首相は答えるべきだ。戦争を恐れてはならない。長期的には我が国が核ミサイルを持つこと。要するに、核に対する防御には相互抑止力しかない」と述べた。
 集会後、佐藤会長は発言について「問題提起のために言った。日本からこういう発言が出るのは北朝鮮の核開発のためであるという議論が、周辺諸国でも起こることを期待する」と語った。 】

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 この発言を聞いて、僕の頭には疑問符が大量に浮かんできました。
 この人は「北朝鮮に拉致された日本人を救う会」の会長なんでしょうか?それとも「北朝鮮と戦争してやっつける会」の会長?
 確かに、今の日本にとって、北朝鮮の核開発が脅威であり、多くの日本人が、危機意識を抱いているのは事実です。
 また、今回の拉致事件について、憤りを感じている人が多いのも必然でしょう。
 しかし、そのことと日本の核武装を結びつけて考えるというこの人の発想は、短絡的というかなんというか…
 「核抑止力」という言葉、よく耳にしますが、果たして、そんなものがほんとうに存在するんでしょうか?
 広島もしくは長崎の原爆資料館を訪れたことがある方には理解していただけると思うのですが、原子爆弾というのは、とにかく悲惨極まりない兵器です。
 戦闘員のみではなく、非戦闘員、建物、環境、場合によっては未来をも破滅させてしまう、恐ろしい兵器です。まあ、恐ろしくない兵器など存在しないといえば、それまでなのですが。
 冷静な判断力がある国なら、現代社会で、相手が核保有国であるかどうかに関わらず、実際に核兵器を使用することは、まず考えられません。まさに、世界中を敵にまわすことになるでしょうから。
 でも、北朝鮮は「狂気の国」だから…と思われるかもしれませんね。
 それならそれで、狂っている相手に「核抑止力」なんて、最初から通用しないのではないでしょうか?
 後先考えずに、核兵器を使いまくってくるはずで。

 僕は、日本の核武装には断固反対です。
 世界唯一の被爆国である日本が核武装などすれば、世界には核兵器を持たない理由は無くなってしまうでしょう。
 「あんなに核兵器で悲惨な目にあった国が持っているなら、核は必要なものなんだ」と世界中の人々は思うはずです。
 敢えて言いたい。
 もし、狂気の国に核攻撃されるおそれがあるとしても、日本は核兵器を拒絶するべきです。核を持つ勇気があるのなら、あえて「非核」を世界にアピールする勇気を。

 どうせアメリカの核の傘に守られてるんだろ?と思われるかもしれませんが、どうせ命を張るのなら、僕は核を持たないほうを選びたい。
 
 「拉致被害者を救う会」は、被害者の方々の救出に大きな活躍をされました。
 でも、だからといって、彼らが常に正しいことを言っているとは限らないし、あまりに腫れ物に触るように、本来彼らの領分でないことでも、言いなりになる必要はないのではないでしょうか。
 家族の方の感情としてなら、理解できなくはないのですが。
 同じスポーツという範疇で、ヤンキースの松井がどんなに素晴らしい野球選手でも、サッカー選手として一流ではないのと同じこと。それはそれ、これはこれ、なのです。
 今回の発言は、会長の個人的な意見なのかもしれません。むしろ、そうであってもらいたい。
 それにしても、拉致被害者の悲しみをずっと訴えてきたはずの人が、どうして核戦争の悲惨さに対する想像力に欠けるのか、僕には理解不能。