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2003年02月18日(火)
ヒルマン監督の新しい常識と古典的戦略。


日刊スポーツの記事より。

(日本ハムファイターズのキャンプレポート)

【名護キャンプ3度目の休日を利用して、ヒルマン監督がいきな計らいを見せた。13日に第1子となる長男・志夢(もとむ)君が誕生した飯山に対し、母子と対面できるよう2、3日の特別休暇を与えたのだ。飯山は前日16日の紅白戦後、監督とあいさつをかわしてその日のうちに帰京した。白井ヘッドコーチは「素晴らしいこと。家族が亡くなっても試合に出るのが美徳のような日本球界でしたが、これからは変わっていかないといけないですね」と改めて監督の人柄に感銘を受けた様子だった。】

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 よく、芸の世界では「親の死に目にも会えない」なんてことが常識として語られていますが、果たして、それが妥当なことなのかどうか?
 まあ、このヒルマン監督の「粋な計らい」は、まだキャンプの段階で、ペナントレースがスタートしていないからこそ、できたことなのかもしれませんが。

 そういえば、「史上最高の助っ人」と言われた、阪神タイガースのバース選手が退団したのも、「子供の病気のため」という理由でした。
 そのころは退団やむなし、という空気でしたが、球団側がもう少し状況をみて柔軟な姿勢をみせていれば、バース選手の姿も、もっと長く日本で見られたかもしれませんね。
 
 交通機関の発達していなかった時代ならともかく、現代のように日本の端から端まで(離島は除く)1泊2日あれば十分に往復できる時代では「親の死に目にも会えない」というのは、むしろ自己満足なんじゃないかなあ、という気もするのです。今回のような幸福な出来事だけならともかく、身内の不幸や病気なんていうのは、誰にだって起こりうることですから。
 だいたい、もともとハードなスケジュールとはいえ、メジャーリーグの一流選手では、何試合かに一度、「リフレッシュ休暇で欠場」というのが常識になっているのです。

 アメリカ流の合理主義が、すべてにおいて正しいとは思いませんが、いくら勝負事の最中とはいえ、選手たちに、そのくらいのワガママは許してあげていいのではないでしょうか?
 「美談」のために、一生後悔することになるよりも、ちゃんとお見舞いに行ったり、親族を見送ってあげたほうが、本人の人生のためにはいいんじゃないかなあ。
 それに、心のつかえが無いほうが、いいプレーができるのではないかと思いますし。
 こういうのは、ファンにも「作られた美談」に踊らされないような意識改革が必要なんでしょうね。

 それに、厳しくするだけが能じゃないですし。
 昔、ある国の名将が、負傷した兵士の傷口の膿を自ら口で吸ってやったというエピソードがあります。
 その兵士は、そのことを恩に感じて、八面六臂の活躍をした果てに戦死したのだとか。
 ヒルマン監督がそのエピソードを知っているのかどうかはわかりませんが、優しさも、ときには武器になりうる、というのも一面の真実。