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2003年02月17日(月)
「サイエンス」に載らない危険な論文の正体。


毎日新聞の記事より。

【米国のサイエンスや英国のネイチャーなど世界の主要科学誌編集者ら32人は15日、論文の内容がテロなどに悪用される恐れがあると判断された場合は、削除や修正、論文の掲載中止などの措置を取ることがある、との共同声明を発表した。

 今回の措置は、科学研究の自由と公開の原則との関連で今後、議論を呼びそうだ。

 声明は「科学的な発見の結果はできる限り詳細に発表し、他者が検証できるようにすることが重要だ」とする一方で、米同時多発テロ以来、「正当な科学的成果でも、悪人の手に渡れば危険なものになるとの懸念が強まった」と指摘した。

 各誌の編集部が専門の機関を設けて悪用される危険の有無を判断。情報を公開することで得られる利益よりも危険の方が大きいと判断した場合は、執筆者に修正や削除を求めたり、掲載、出版を見合わせることもあるとした。

 過去の掲載論文では、細菌の毒性がどのようにして高まるかなどの研究や、ウイルスの遺伝情報からウイルスを人工的に作り出したとする研究などが、バイオテロに利用される危険があると指摘されたことがあった。】

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 現在の世界情勢では、やむをえないことなのかな、と思いつつも、
果たして、その安全と危険の境界はどうやって決めるのだろうか?と疑問も感じずにはいられません。
 ノーベル賞に名前を遺しているノーベルは、ダイナマイトの開発者として有名です。彼がダイナマイトを開発したのは、ニトログリセリンを使った、当時の土木工事が少しの衝撃でも大爆発を引き起こし、非常に危険だったことに胸を痛めてだったと伝えられています。
 しかし、結果として彼に巨万の富をもたらしたのは、兵器としてのダイナマイトでした。その罪滅ぼしのためにノーベルが創設を遺言したのが「ノーベル賞」なのです。
 
 「相対性理論」で知られる物理学者アインシュタインは、アメリカに移り住んだ後、「マンハッタン計画」に参加し、原子爆弾の開発に参加しました。
 彼は、そのことを生涯悔やんでいたといわれています。

 科学というものは、多かれ少なかれ、このような危険を孕んでいるものですし、戦争の道具として最先端の技術が開発・導入されてきたというのは、歴史的な事実といえるでしょう。

 医学も含めて、現在の科学の世界では、自分の研究の成果を論文にして、ここに挙げられているような「サイエンス」や「ネイチャー」といった雑誌に投稿・掲載されるというのが、重要なステータスとなっています。
 どんなに重大な発見をしたとしても、それが論文という形で雑誌に掲載され、世界の人々の目に触れないと、学問の世界で評価されることはないのです。
 今回の発表は、たぶん、これらの雑誌のエディターたちにとっても、苦渋の選択だったと思います。毒性を増す研究というのは、逆に毒性を弱める方向に応用しうるものですし、ウイルスを人工的に造る方法は、ウイルス研究には有用でしょう。
 それに、他者が追試できないような、実際の手法をぼかした論文では、結局、その論文の価値は確定できないわけですし。

 結局、何が危険であるか?というのは、使う人間しだい、ということなのだと思います。そして、残念なことではありますが、これらの研究は「悪用」されてしまうことのほうが圧倒的に多いのが現実で。
 
 僕としては「人類にはこれ以上新しい科学技術は必要ないのかもしれないなあ、もう、論文書かなくてもいいよね」と思ったりもするのですが。