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2003年01月11日(土) ■ |
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ブラックジャックの生存証明。 |
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漫画「ブラックジャック」(手塚治虫著・秋田文庫他)「ふたりの黒い医者」より。
(ブラックジャックは、不治とされる病気で安楽死をドクター・キリコに依頼した患者を家族の依頼で、安楽死実行寸前に救出し手術を成功させる。 しかし、その患者は救急車で搬送中に事故に遭い、子供たちも一緒に事故死してしまう。 その話を聞いて高笑いするドクター・キリコにブラックジャックが叫んだ言葉)
【B.J.「それでも、わたしは人を治すんだっ 自分が生きるために!」】
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今月号の「ダ・ヴィンチ」は、「ブラックジャック特集」だったのです。 それを読んでいて、思い出したのがこの科白。
僕がこの漫画を最初に読んだのは、小学校高学年くらいでしたから、そのときはこの言葉を文字通りにとっていたような気がします。 「ああ、ブラック・ジャックも金のため、生活のために仕事をしているんだな」と。
医者という仕事をやっていると「どうして医者になろうと思ったの?」と聞かれること、けっこうあるのです。学校の面接的には「人の役に立ちたかったから」「人間が好きで、興味があるから」というのが一般的なのですが、僕も、面接のときにはその手のことを言った記憶がありますが、内心、しっくりきませんでした。 われながら嘘くさいなあ、と。
大学時代に、ある女の子に同じ質問をされたとき、一生懸命考えて出た言葉は「自分に自信がなかったから、自分が他人の、そして世界の役に立つことを証明したかったから」というものでした。 実際に仕事を始めてからは、「生活のための収入を得るため」というのも実感できますが。 お金をもらえなくても医療という仕事をやれる人は、そんなにいないと思うのです。 まあ、望む収入のレベルは、人それぞれでしょうけれど。
そういうふうに考えるとき、この「手術の鬼」であり「金の亡者」である無免許の天才外科医の科白は、単に「生きるための糧を得るため」ではないのだなあ、と思えてきます。 ブラックジャックにとって、「人を生かす」ということは、彼自身の生存証明なのではないかと。 高額の手術料も、「相手が絶対払えない金額」というのを要求したことはありませんし。 もちろん、あの手術料は高すぎますが、それは彼自身の「命の値段」であり、「プライドの値段」なのでしょう。 人を生かすという行為で、自分の生きている価値を実感するという生き方。 人間というのは、どこまでいっても「100%他人のため」には生きられないのかもしれませんね。 「人を治す」「人を癒す」ということは、結局「自分を治す」ということなのではないかなあ、と僕は思うのです。
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