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2002年12月18日(水)
ライバルに勝つ“エッセイの書き方”


「ダ・カーポ」増刊「投稿生活」2002年10月1日号より。

(「ライバルに勝つ“エッセイの書き方”」の一部)

【エッセイで賞を獲得するのには、どうしたらいいのだろう。秋元康氏が興味深いことを言っている。
 ひとつは誰もが書きそうなものはやめること。二つ目は、審査員の好みそうなものは書かないということ。三つ目はすぐ浮かんでくるような切り口を10個ほど出して、それを捨てるというもの。
 また成美文庫の「めざせ!投稿生活」では、エッセイのキモともいうべき大切な指摘がされている。それは「自分にしか書けないものを書く」というものだ。破滅的な生活を自ら選んだからこそ、太宰治のエッセイには堕落していくもののリアリティがある。つまり、自分しか経験したことのないことを書けばおもしろいものになるという訳だ。】

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 こうやって文章を書いている人間にとって、「どうやったら面白い文章を書けるんだろう?」というのは、永遠の課題だと思うのです。
 やっぱり、書くからには、読んだ人に「面白い!」と思ってもらいたいですし。
 ここに書いてあるのは「賞を取れる」エッセイの書き方ですから、本職でない人間が、毎日書くような日記や雑文では、さすがに、毎日切り口を10個出して、それを捨てるというのは難しいとは思うのですが。
 それでも、確かに「他の人の視点とは、ちょっと違ったところから観てみる」というのは、大事なことだと思います。
 ただ、実際に日記を集めたようなサイトで、同じ記事について書いた文章をいくつか読んでみると、どれも他人と違うことを書こうとして、結局同じような「他人と違うこと」を書いていたりするわけです。
 秋元氏の「10個捨てる」というのは、そのくらい捨てないと、他人から観て斬新な切り口というのは出てこないということなんでしょうね。捨てるのがひとつやふたつでは、結局同じようなところにおさまってしまうということなのでは。

 あと、「審査員が好みそうなもの」というのは、こういう日記では「読者が好みそうなもの」と言い換えてもいいと思うんです。興味を引くことを狙うあまり、かえって自分のスタイルを失ってしまうことって、多いんですよね。
 僕も、何を書くか選ぶときに、ついつい読者の興味を引きそうなことを選んでしまいがちなのですが、自分が読むほうの立場だったら、同じネタであれば「この人もこの話?」という印象で、よほど面白くなければかえって白けてしまうことが多いのです。

 「体験」については、まさにそのとおり。ある雑誌編集者が「今の時代のエッセイに大事なのは、『何が書いてあるのか』ではなくて『誰が書いているのか』だ」と言ったという話があるのですが、確かにそうかもしれない。
 正確には、キャラクターが立っているのが前提で、それに加えて面白い文章を書ける人ということになるんでしょう。

 ちなみに、「斬新な切り口」については、僕は、人と違うことを狙うあまり、ただ文句をつけるためだけの無根拠な誹謗中傷にならないようにということには、いつも注意しているつもりなのです。