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2002年12月15日(日) ■ |
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「も」があったら、とりあえず疑う。 |
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「ダカーポ増刊・投稿生活」より。
(「俵万智さんが選びたくなる短歌を選んでください!」という記事での、俵さんのインタビューの一節)
【俵「初心者が陥りやすい初歩的なミスとか、ちょっと変えるだけで、すごく変わるというポイントはあるので、言葉の使い方、技術という方に特化して、作品をバシバシ推敲する、という内容です。一回目のテーマは「も」があったら、とりあえず疑う。「私も」とかの「も」は、ほとんどの場合「が」とか「を」にした方がよくなるんです。「も」は、よっぽど必然性がない限り、焦点がぼやけてしまうんです。今日のことを歌いたい、という時に「今日も」と言ってしまうと「ほかの日もそうだ」という含みを持たせてしまう。ものすごく必然的に出てくる場合はいいんですけど、「は」とか「を」にした方がくっきりすることが多いです」】
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僕は短歌を作ることはないのですが、この俵さんの言われたいことは、わかるような気がします。「私もそう思います」としたほうが、「私はそう思います」と言うよりも、柔らかい印象を与えますよね。 ただ、表現する場では、当たり障りのない表現というのは、インパクトが薄くなってしまうという難点があるのは事実。 逆にネット上の掲示板などでは、自己主張しようとするあまり、また相手の顔がみえないあまりに、ついつい決め付ける表現をしてしまったり、強い言葉を使ったりしがちなんですよね。ニュアンスで伝わらないと考えてしまうから、ついつい表現がキツクなってしまいがちです。 僕が日記とか雑文の場合に気になるのは、むやみに「われわれは」とか「僕たちは」とか、複数形を使っている人。 傍観している側としては、「それは、『われわれ』って言ってるけど、書いてるあなただけなのでは…」と思うことも多いですし、勝手に自分の味方の存在をを設定しているのは、かえって反発を感じてしまいます。 選挙の演説じゃないんだから… こんなふうに、助詞もしくは単数・複数の使い方だけでも、けっこう読み手に伝わる印象というのは、変わってくるもの。 ただし、物事にはTPOが大切で、いつも「私が」と言う人とは、付き合いにくいなあ、と日常生活でもネット上でも僕は思ってしまいます。 主張すべきときには、きちんと主張すべきですが、やっぱり緩急の使い分けがないと、うまく自分の考えを伝えていくのは難しいみたいです。 いつも強気な女の子がたまに見せる不安そうな表情に、グラッときたりするのは、僕だけではないはず。
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