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2002年11月25日(月)
「活字になること」に興奮した頃。


原田宗典さんのショートエッセイ集「笑ってる場合」(集英社文庫)の解説より。
書いているのは、原田さんの学生時代からの親友、長岡毅さん。

【そんな原田がついにホームランを放った。(高校)三年の時である。学研の「高三コース」で募集していた文学賞に入賞したのだ。これにはウチらもライバルであることを忘れて不覚にも喜んでしまった。ふだん目にするちっちゃな字と違って、活字は読みやすく美しかった。「うーむ、全国の読者がこれを読むのか」といった感じだ。】

〜〜〜〜〜〜〜

 ちなみに、そのときの入選作は、長岡さんの記憶によると「ノイローゼの高校生が前の席の女生徒の髪をながめているうちにカッターナイフで切ってしまうといった内容」だったそうです。
 実は、ワープロ(パソコン上のものも含む)というのが普及しはじめたのって、せいぜいこの20年くらいの話で、一般的になったのは、この10年にも満たないんじゃないかと思います。
 僕が大学のころのレポート(6〜7年前くらい)は、手書きが主流で、たまにワープロ書きのレポートなんてのを出す人がいると「すごい、キレイ!」というような感じでしたから。
 今では、手書きのレポートを提出する人はごく一部。コピー&ペーストがたやすくでき、誰が書いたかわかりにくく(まあ、講師の先生たちは「他人の丸写しは、ワープロでもわかる」と言い張っておられますが)、書き直しがしやすいワープロ書きのレポートが主流となっています。
 おかげで、漢字が書けなくなった人は、だいぶ増えたような気はしますが。

 ワープロというのが普及する前までは、学級新聞とかも、ほとんどが手書きのガリ版刷り。先生の字が達筆すぎて読めないなんてこともけっこうあったっけ。
 そんな中で、自分が書いたものが活字になるなんてことは、たぶんすごく興奮することだったんだろうなあ、と思います。しかも全国誌。
 現在では、こういうWEBサイトによって、家に居ながらにして全世界に情報発信できるわけですが(受信してくれるか?は別の話)、その頃は、雑誌の懸賞とかで自分の名前が活字になって学習雑誌に載っただけですごく興奮したことを思い出します。
 これで僕も全国区だ!なんて。

 現在では逆に、キレイだけど大量生産の年賀状の中に、わずかに手書きの言葉を見つけて微笑むようになってしまいました。すっかり立場が逆転。
 「自分の言葉が活字になる興奮」かあ…なんだか、とても懐かしい感情。

 ワープロ全盛の現代作家たちの「肉筆原稿」なんてのは、きっと一部の人を除いて残らないんでしょうね。ちょっと寂しい。同じ人が書いてても、ワープロで印刷されたものは、あまりありがたくない気がします。どうしても没個性。
 でも、やっぱり便利だもんなあ、ワープロってさ。