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2002年11月21日(木)
イギリスの公開人体解剖。


時事通信の記事より。

【ロンドン市内のアートギャラリーで20日夜、公開の人体解剖がドイツ人医師の執刀により、当局の警告を押し切って行われた。英国で公開解剖が実施されるのは170年ぶり。会場には入場料12ポンド(約2300円)を支払った見学者約300人が詰め掛け、民放テレビが生々しい解剖の模様を収録した。】

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 別の記事によると、イギリスでは16世紀くらいには、人体解剖が見世物として市民権を得ていて、専用の見世物小屋もあったのだとか。
 ちなみに、イギリス当局の見解は「興味本位で人間の尊厳を貶める可能性がある行為」で、実際に解剖を行った側は「人々の知的欲求を満たすための学術的な行為」ということなのだそうです。
 この解剖された遺体は、今年の3月に亡くなられた方だそうですから、そんなに生々しい状態ではなかったのでしょうけれど。
 
 そういえば、日本でも数年前、ドイツからの「人体の秘密展」が行われて、大盛況だった記憶があります。これは「学術的な」目的で実際の人間の臓器を標本にしたものや骨が展示されたもので、たくさんの人が臓器に見入っていたようです。
 今回の解剖を担当したのもドイツ人医師だったそうですし、ドイツ人というのは、唯物的な民族なんだなあ、という気がします。
 ごく一部の特殊な趣味を持った人は別として、人間誰しも「人間の体の仕組みはどうなっているんだろう?」という疑問を持ったことがあると思います。
 子供への教育関連書籍でも「人体のふしぎ」は、常に上位人気とのこと。
 
 見てみたいという気持ちもわかるし、御遺体や遺族の遺志があれば、公開すること自体は、そんなに問題ではないと思うのですが。人間の体の内部というのは、生きている人間にとって、何らかの感慨があるものでしょう。
 だからといって、テレビで無秩序に流したりするのはあんまりですが。

 僕は、学生時代から現在に至るまで、何人かの方の解剖を見たり、ときには実際にやったりしましたが、やっぱり、勉強になることは多いです。
 ただ、その際に、いろんな勉強をすると同時に僕が痛切に感じるのは、人間っていうのは、やっぱりモノであり、物体なんだなあ、ということ。
 人体は、非常によくできた精緻な機械。
 
 それでも、自分の体の中に同じものが入っているというのは、今ひとつ実感がわかないんだよなあ。