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2002年11月12日(火) ■ |
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石原都知事、北朝鮮と戦争したければ、独りでやってください! |
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時事通信の記事より。
【石原慎太郎東京都知事は10日午前、テレビ朝日の番組で、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に残る拉致被害者の家族の帰国問題に関し、「(家族の)1人でも北朝鮮が迫害するなり、殺したりしたら、そういう国と日本は堂々と戦争したっていいと思う」と述べた。】
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このコメントに対して、マスメディアは「『北朝鮮と戦争してもいい』と石原都知事が発言した」というふうに報道しているようです。まあ、言葉の一部を抜き取れば、確かにそうなんですけどね。まあ、あくまでも「家族の1人でも迫害するようなら」という外交上のブラフだと思うのですが。
それにしても、石原都知事のこの発言を聞いて、ひとりの日本人、30歳男性として考えたことは2つあります。 ひとつめは、戦争になっても、石原都知事は戦場に行かなくていいだろうから、勝手なもんだなあ、ということ。実際戦争になれば、まず自衛隊員が戦闘行為にたずさわることになるでしょうが、それで戦闘員が不足すれば成人男子(まあ、今では「男子」とは限らないですね)が動員されるでしょう。でも、70歳近い知事が戦場に出られることはないでしょうからね。 だいたい、戦争を煽る人は、自分が一兵卒にならなくていい人。
そして2つめは、石原都知事は、北朝鮮をなめている、という印象。 たとえば、拉致をした国がアメリカだったら?中国だったら? いくら石原都知事でも「そんな国とは、戦争してもいい」と言えるでしょうか? たぶん、そんなに簡単に「戦争」なんて言えなかったはず。 おそらく、大部分の日本人の予想としては、仮に戦争になったとしても今の北朝鮮の国力なら、ワンサイドゲームで日本の勝ち、というところではないでしょうか。 アメリカのイラク攻撃についてもいえることなのですが、人間というのは自分が優位に立っていると思うと、けっこう過激な方向に走りがちなようで。 しかし、実際に戦争となると勝っても犠牲は避けられませんし、北朝鮮と今、戦争をして勝つことにより日本が得られるものって、ほとんど無いような気がするのですが。 それに、そんな「わけのわからない、怖い国」と戦争なんてしたら、日本だってどうなるかわかりませんよ。大規模な戦闘で物量の差を生かして勝ったとしても、ゲリラ戦や科学兵器によるテロにうったえられれば、日本の犠牲だってただならぬものになるでしょう。 相手は、大部分が洗脳された人たちだから、そう簡単には屈服しないはず。
昔、「人ひとりの命は地球より重い」と言った人がいました。 その一方、ロシアの人質事件のように、500人死ぬより100人で済んでよかったじゃないか、という理屈があるのもまた事実。 たかが人ひとりのことと言うつもりはありませんが、犠牲になる人が出るのであれば、その数はより少ないほうが良いというのは間違っているでしょうか? いきなり北朝鮮と戦争なんていうのは、あまりにアメリカ的な強者の論理に毒されている気がしませんか? 「そんな国に、援助する必要があるのかどうか」とか「国交を回復する必要があるのかどうか」というところからの議論が妥当なのではないかなあ そう簡単に、「戦争」なんて指向するべきじゃない。
僕だって、自分の愛する人が危険にさらされそうになれば、戦うことはやむなし、とは思います。平和主義だから、何をされても無抵抗なんて気はさらさらない。 でも、相手が「悪い国」だからとか「自分たちより弱い(はずの)国だから」とかいう理由でいきなり「戦争してやる」なんていうのは、あまりに短絡的な思考なのではないかと。 「民衆を危険にさらさずに、民衆の利益を守る」のが、政治家の仕事なんじゃないでしょうか、石原さん。 それにしても、不景気・平和憲法・ファシズム賛美の傾向。 今の日本、ヒトラー出現前のドイツに似ているような気がします。 ちょっと怖い。
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