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2002年10月14日(月) ■ |
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2002年10月14日。 |
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「阿川佐和子のお見合い放浪記」(阿川佐和子著・講談社+α文庫)より抜粋。
【外科のお医者さんで、年がら年中手術で朝から晩まで血を見ていることには、別に恐怖を感じないとおっしゃっていました。ところが、その人の可愛がっていた犬が交通事故に遭ったのだそうです。その犬の血を見たときは、ショックで立ち直れなかったと言います。ふうん、お医者さんってそんなものなのか、と新しい発見をしたような気持ちになりました。】
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先日、テレビを観ていたら、ある野球選手が「僕、そんなに野球が好きじゃなかったんです。素質があるって周りに言われて、イヤイヤながらやっているうちに、プロにまでなってしまって…野球は僕にとって、趣味の延長じゃなくて『仕事そのもの』なんですよね」 とインタビューに答えていました。僕は、それを聞いてちょっとびっくりしたのです。 野球選手といえば、みんな野球が大好きな野球少年の延長だという印象がありましたから。 でも、確かに自分にいちばん向いている仕事、口に糊する手段として野球選手を選択している人がいても、全然おかしくないわけですよね、考えてみれば。 医者という仕事、「よく、血をみたりとか、命の瀬戸際の人を見ていて耐えられますね、すごいなあ」というような言葉をいただくことがあります。 でも、この阿川さんの文章にあるように、僕も仕事で血を見ることについては、恐怖感は、ほとんどありません。むしろ、「この出血量だと、輸血が必要かな」とか、そういうことを考えることが多いです。 それでも、生き造りのイカをみて、「かわいそうだなあ」とか思ってしまうんですよね、ときどき。「食べるなら一緒じゃない」とよく言われるのですが。 もしくは、自分が患者さんに「癌で、余命は何ヶ月です」と言うときには、淡々ということができますが(もちろん、最初からそうだったわけではないですよ)、自分の親が病気で、担当医に説明を受けたときには、やっぱり一人の患者の家族になってしまいました。 まあ、医療関係者は、親族と医療サイドの板ばさみになってしまって、辛いことも多かったけど。
僕は、亡くなられた患者さんの解剖をさせていただくことがあるのですが、それは、この先の人類全体にとって、役に立つ(はず)と自分に思い込ませることによって、やっているわけです。別にその行為が好きでやっているいうわけではなくて、必要だと思っているからやっているだけです。 「よくそんなことできるねえ」といわれる仕事って、本人も別に好きでやっているわけじゃないって場合、けっこう多いと思うのです。もしくは、好きでやっている仕事でも、あまり気乗りがしない部分は、きっとあるはずで。 弁護士さんは必ずしも争いごとが好きなわけじゃないでしょうし、野球選手でも「ほんとは、バントなんかしたくないんだけどなあ…」と思っている選手、けっこうたくさんいるんじゃないでしょうか。 好きだからじゃなくて、「仕事」だからできる。お金がもらえる仕事というのは、それがすごく難しいことであるか、みんながやりたがらないことだからかの2つのうちのひとつ(もしくは両方)であることが、ほとんどなのですから。 僕だって、仕事以外のところで、血をみるのはまっぴらごめんです。 いや、ほんとは仕事でだって、見たくはないですけど。
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