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2002年10月12日(土)
2002年10月12日。


「阿川佐和子のお見合い放浪記」(阿川佐和子著・講談社+α文庫)より抜粋

【延々と空港で待っている間、することもないので、到着した人たちと迎えに来た人たちとの再会のシーンをぼんやりと眺めていました。
 すると、アメリカ人は必ずしっかと抱き合うのです。夫婦だったり、親子だったり、兄弟だったり、みんなそれぞれ親愛の情のこもった抱擁を交わしています。ラテン系らしき人々は、もっとドラマチックです。「オー」と声を上げて駆け寄ったり、涙を流したり、映画のワンシーンのよう。
 そこへ日本の航空会社の飛行機が到着して、日本人がどっと降りてきました。
 ところが、こちらはどう見ても駐在員とか単身赴任の家族の再会だと思うのに、実に淡々としているのですね。家族も友人同士も、「どうも、どうも」なんて手を振ったりするだけで、実にあっさりしたものです。
 私とて親や兄弟と抱き合えと言われても、恥ずかしくてできません。できないからこそ、外国人のああいう姿を見ると羨ましくなるのです。】

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 Mr.Childrenに「車のかげに隠れてキスをしよう」という歌があります。まあ、この曲の場合は「道ならぬ恋」というニュアンスがあるので、隠れてになってしまうのでしょうが、外国人の感性からすれば「どうして隠れてキスしないといけないんだ?」という感じなのではないでしょうか?
 しかし、このスキンシップ、ドラマや映像で観ると、確かに「ファミリーの絆」が感じられて、すごくいいシーンです。でも、阿川さんも書かれているように、実際に自分でやれと言われたら、恥ずかしくてやれたもんじゃないですね、きっと。
 でも、人前で抱き合うというのって、僕はあんまり意味無いんじゃないかなあ、と思うのです。家に帰ってからでもいいんじゃない?とでもいうか。
 日本人は、履物を家に入ると脱ぐ風習があって、公共の場所とプライベートな場所(いわゆる「家」ですね)を分ける民族だと和辻哲郎は書いています。
 外国では、子供の部屋に小さいころから鍵がかかるようになっているのが当たり前だし、家の中では、個人として生活している反動が、こうしてあらわれているのかもしれませんね。
 いろいろ書きつつも、いちばんは、僕も自分の家族と空港で抱き合ったりするのは、恥ずかしくて仕方が無いし、とうていやる気にはなれない、ということなのですが。
 懐かしくても「どうも、どうも」なんて手を振るだけにしてしまう日本人的コミュニケーション、海外では通じないのかもしれませんが、僕はけっこう好きなのです。
 まあ、人前でできて羨ましい、という気持ちと、わざわざ人前でやるなよ、という気持ちが半々、といったところでしょうか。
しかし、正直なところ、恋人ならともかく親兄弟とは「どうも、どうも」くらいにしておきたいです。