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2002年06月21日(金)
2002年6月21日。

「贅沢貧乏のマリア」(群ようこ著・角川文庫)より抜粋。

(森茉莉(マリ)さんは、大作家、森鴎外の長女として生まれ、2度の結婚、離婚歴の後、50歳代から作家・エッセイストとして活躍されました。作品は、美少年同士の同性愛を描いた耽美的なものが有名ですが、70歳以降の晩年には、テレビ評論(週刊新潮「ドッキリチャンネル」など)も書かれていたそうです)

【美人で名高いアナウンサーが、(雑誌に)茉莉の書いた悪口を読んで、「人にはそれぞれの言い分があると思います。私は森さんの記事をいつも楽しみにしてます」といった。それを聞いた茉莉は、「私はそのあまりに出来すぎた言葉に又もや、彼女を又、嫌いになった。」と書いている。茉莉のお眼鏡にかなった人でさえ、嫌われたらおしまいだ。ましてもともと好かれていない人の場合は、気の毒になるくらい救いようがない。】

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森茉莉さんは、森鴎外の長女なのですが、かなり自由奔放な性格で、人の好き嫌いも激しかったということです。まあ、こういう依怙地なところは、彼女の年齢(当時70代)によるところもあるのでしょうが。
前に、この森茉莉さんのことを読んで、なんだかナンシー関さんのような人が前にもいたんだなあ、と思ったのが記憶に残っています。
晩年は家に引きこもってテレビ評論を書きつづっていた、この鴎外の娘のことを果たしてご存知だったのでしょうか?
あるナンシーさんの追悼記事で、「ナンシー関さんは、自分がエッセイに書いた対象の芸能人と決して会おうとしなかった。それは『実際に会って情がうつると悪口を書きにくくなるから』だった」と説明されています。
そういう意味では、僕がこの2人を似ていると思ったことは、結果だけをみてだけのことだったのかもしれません。
嫌いな人にわざわざ実際に会ってみて、さらに嫌いになってしまう森茉莉と苦手だった人を好きになってしまうかもしれないことを恐れて、会うことができなかったナンシー関。どっちもめんどくさい人生だなあ、と思ってしまいます。

しかし、森茉莉さんの「彼女を又、嫌いになった」というコメント、たぶんこういうふうに感じることは誰しもあるとは思うのだけど、それを雑誌に書いてしまうのは、あまりにキツイ。
ああ、でもそこに至るプロセスは違えども、ナンシーさんも同じように書きそうな気もするけれど。