|
|
2002年06月19日(水) ■ |
|
2002年6月19日。 |
|
「何の因果で」(ナンシー関著・角川文庫)より抜粋。
【ま、ぶっちゃけた話、私が言いたいのは「大人、恐れずに足りず!」ということです。目上の人を敬いましょう、という道徳を否定するつもりはありませんが、でも敬わなくていい大人もいると思うけど、ま、そのへんは礼儀として分別ある日常生活を営むことでクリアしてください。最後に、私が心から「大人、恐れずに足らず」と実感した瞬間を教えます。それは新聞(ちゃんとしたやつ)を読んでいて、新聞の記事にものすごくヘタクソでデタラメな文章がいっぱいあることに気づいた時です。大新聞の記事なんて「ちゃんとした大人」的なものの「権化」みたいなものでしょう。でもそれが、ヘタクソ。「なんでえ」と思いました。「大人もちゃんとしていない」ことに気づくのが、大人になったことなのかもしれません。
(以下は、この文庫への泉麻人さんの「解説」の一部です。) ナンシー関の文章の魅力を一言で語るとすれば、「毒舌」でも「辛口」でもなく、「デリカシー」の姿勢が貫かれている〜ということではないだろうか。デリカシーに欠けた諸々に対しては、ペンや消しゴム彫りのナイフの矛先が容赦なく向けられている。それは、彼女が本領としている”TV人の評論”に限らず、「うっかり腐らされてしまった味噌汁」とか「半透明ゴミ袋の中身を見られるのがイヤなので”シュレッダー”を購入した」などの文章にも、よく表れている。】
〜〜〜〜〜〜〜 先日亡くなられたナンシー関さんのこと、マスコミの報道では「毒舌、辛口のテレビ評論で有名な」という報道がされていたのですが、僕は、なんだかいまひとつピンとこなかったのです。おまけに、昼のワイドショーでは「太ってたからねえ」とバカなコメンテーターが言いだす始末。 確かに、肥満というのが彼女の死に密接に関連していた可能性は高いのですが、作家として生きていたひとを「体格」で論評しても意味ないだろうに。 彼女のことを知らないなら、知らないなりの態度をとってもらいたかったなあ。まあ、こういうのがナンシーさんの書くところの「ちゃんとしてない大人」の最たるものかもしれませんね。
でも、この泉麻人さんの「解説」の文章を読んで、すごく納得できました。 彼女は、すごく、神経が細やかな人だったんではないかなあ、と。 そして、あまりに無神経な人々を見ると耐えられなくなって、その化合物としてあのエッセイがあったんではないかなあと。 それに、今読み返してみると、そんなに「毒舌」ではないですよ、彼女のテレビ評論は。むしろ対象物への愛着を感じてしまうのですが。
ほんとうに、惜しい人を亡くしたと思います。もっと、いろいろなジャンルのものを書ける人だったし、時間さえあればそれは可能なことだったのに。
ああ、でも亡くなられる日の夜、「友達と食事をされていてタクシーの中で気分が悪くなった」とのことですが、ひょっとしてもっと前から具合が悪くて、友達と一緒だったから我慢されてたんじゃないかなあ。 そう思うと、なんだかまた悲しくなってきます。
謹んでご冥福をお祈りすると同時に、彼女の作品が、テレビ評論というジャンルにとらわれずに、長く出版され続けることを望みます。
|
|