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2002年06月11日(火)
2002年6月11日。

「天才伝説・横山やすし」(小林信彦著・文春文庫)の巻末の森卓也氏の解説より抜粋。

【やすしの追悼番組のどれかで、レッツゴー三匹のリーダーの正児が、昔コンビを組んだ横山やすしの”要領のよさ”を昨日のことのように憤然と語ったのを覚えている。たとえば、横山ノックの引越しの手伝いに行けば、「『師匠、来ました!正ちゃん(正児)、机から運ぼか!ほれ、階段気ィつけて!』。運ぶのん僕ですわ。向こうでノックさん、『やすし働いとるなァ』でしょ」。一事が万事だから、コンビが続くわけがない。正児がいう。
「一緒になって汗かきたい思いましたもんね」】

〜〜〜〜〜〜〜
確かに、横山やすしさんは天才だったと思います。この話を聴いてみると、やっぱり相方はたいへんだったろうなあ、と。ちなみに、正児さんはやすしさんと一年間はコンビを組んでいたそうです。
話のネタとしては面白いけれど、こういう人と一緒に仕事をするのは、僕は勘弁してもらいたいなあ。ちなみに、正児さんはこの話をやすしさんの「追悼番組で憤然と」語っていたそうです。死者に鞭打つのはあんまりだとは思うのですが、それほど遺恨が深かったんでしょうね。
でも、やすしさんは「愛すべき天才芸人」として語り継がれているわけで、才能というのは、死というのは、すべてを洗い流してしまうのでしょうか?
凄い人、才能あるひとというのは、必ずしもまわりを幸せにするものではないようで。むしろまわりからは迷惑な人だけだったりして。
だからといって、彼の漫才の価値が変わるわけではないのですが。