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2002年06月10日(月)
2002年6月10日。

ロイター通信の記事より抜粋。

【米軍が1993年にソマリアで実施した軍事作戦を描いた映画「ブラックホーク・ダウン」のビデオゲーム化が企画され、論議を呼んでいる。
 このゲームはプレーヤーが米軍特殊部隊員となり、ソマリア軍と戦うという内容。制作会社はこのゲームについて、愛国的な製品で、同作戦に関する一般大衆の認識を高める狙いもある、と説明。
 しかし、批評家の間ではこの狙いを疑問視し、歴史と娯楽の境界線をあいまいにする危険性を指摘する声も上がっている。また、米同時多発テロなど、他の悲劇的事件を題材にしたゲームの制作につながりかねないとの懸念も出ている。
 「ブラックホーク・ダウン」の原作者マーク・ボウデンは、ゲーム化について打診を受けたが、制作への参加を断ったという。ボウデンは「ゲームを作ることと歴史を語ることには質的な相違があると思う」とロイター通信に語った。】

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歴史をゲーム化するのは、許されることなのか?もう15年くらい昔、某パソコン雑誌に太平洋戦争での帝国海軍を扱ったゲーム「提督の決断(KOEI)」について、「戦争を美化している」、また「人の命を弄んでいる」という批判の投稿があり、論議を呼びました。
で、はっきりとした結論はやっぱり出なかったのですが、その議論のなかに、「戦争は嫌いだし、ゲームをやることによって、戦争の無意味さ、悲惨さを認識したい」というような投稿があったのです。当時、子供心に「そんなわけないだろ!」とツッコミを入れてしまいましたが。ただ、「三国志」とか「信長の野望」とかでも、ゲーム上、たくさんの人間が「数字」として死んでいるわけです。いやほんと、何万人単位で死者が出てますからねえ。「歴史とくに戦争をゲーム化するなんて、何事だ!」というのなら、歴史シミュレーションゲームは壊滅。さらに、暴力的なゲームはやめろというのなら、対戦型格闘ゲームや「ファイナルファイト」等も絶滅。動物愛護の精神にのっとり、怪物を倒すRPGも発禁。
そういうふうに考えていくと、ゲーム界は、いや人間はなんと戦争や暴力が好きなことか。
で、大部分のプレイヤーは、現実世界ではまずなれない英雄や指揮官になることを望んでいるわけで、ほんとに戦争の悲惨さを体験できるような「雑兵ゲーム」なんて、やりたくはないですよねえ、きっと。
こういう、ゲームとリアルの境界については、かねがね論議されているところで、「ゲームのせいで子供たちが暴力的になった」などということを真剣に述べられる機会もあるようなのですが、逆に、ゲームで暴力性が解放されて、「ガス抜き」になっているという説もあり、一概には言えないようです。
そういえば、さんざんテレビで「サッカーは国と国との戦争だ!」という言葉がつかわれているんですが、そういう発言を「日本は戦争をしない国ではないのか!」と日頃は非難しているテレビ局が煽っているのは、どうなんでしょうねえ。
でもなあ、「ブラックホーク・ダウン」って、結局「戦場の狼」みたいなゲームになるんでしょうし、世間に支持されるかどうかは、ゲームとして面白いかだけだと思うんですけど。

戦争や喧嘩は嫌。でも、「戦争ゲームや格闘ゲーム」は好き。
こういうことに「罪の意識」を感じることは、悪いことではないと思うのですが、実際、無くしてしまうのは難しいことなんでしょうね。
だって、生き残るゲームがスポーツゲーム、パズルゲームと「ときめきメモリアル」みたいな恋愛シミュレーションばっかりだったらなんだか寂しすぎるし。