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2002年06月01日(土) ■ |
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2002年6月1日。 |
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日刊スポーツの記事より。
【五木、母死去に号泣…公演で最期みとれず 人気歌手五木ひろし(54)が最愛の母を亡くした。松山キクノさんが5月31日午前0時25分、福井県美浜町の自宅で心不全のため死去した。83歳だった。キクノさんは五木の下積み時代に精神的支柱となり、五木の母親思いのエピソードも広く知られている。五木はきょう1日初日の名古屋・御園座公演のけいこで最期をみとれず、訃報(ふほう)を聞いて駆けつけた実家で悲しみの対面をした。公演初日後の通夜に出席するが、告別式は舞台からの別れとなる。】
〜〜〜〜〜〜〜 こういう記事を読んでいて、いつも思うこと。それは、お母さんの死という現実に対して、芸能人やスポーツ選手は、なぜ「公演があるから」「試合があるから」という理由で、死に目に会えなかったり、葬儀に出席できなかったりするのでしょう。突然の死ならやむをえないところはあるんでしょうし、公演の中止による損害を考えると休演にできないという事情もわかるのですが。そういう状況下でも、お客さんは公演を観たいと思っているんでしょうか。 それとも、そういう事情でもけなげにステージをつとめたり、試合に出場するひいきの選手に感情移入して喜んだりするのかなあ。 でも、身内の死なんてのは、一生のうちにそんなに頻回に遭遇する不幸ではないですし、そういうときは公演を休んでもいいというような空気にならないものなのだろうか、と僕は思うのです。 「母の死をこらえての公演」「こうやって、ステージをつとめるのが何よりの供養」そういった、つくられた感動を提供するよりは、普通に死に目に会いにいって、普通におみおくりをするほうが、いいんじゃないかなあ。 それで公演中止を怒るような人は、ファンではありませんし。
僕は、五木さんが不人情な人だとは思いません。現状では、それが「普通」のこととされているんだから。でもなあ、誰かが言い出せば、正常なカタチに戻るべきことなのに、身内の死まで演出的に取り上げられて、「本当に普通のこと」ができなくなっているのは、ちょっとおかしいと思いませんか?
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