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2002年05月24日(金)
2002年5月24日。

夕刊フジの記事より。

【立川談志、小さんに最後の憎まれ口

 立川談志(66)が20日、都内のホールで開かれた落語会で、16日に亡くなった元師匠の柳家小さんさん(享年87)に最後の“憎まれ口”を叩いた。通夜と葬儀・告別式には、顔を出さなかった談志。この日の高座では、小さん師匠の話が出るか注目されたが、初めのうちは、「小さん師匠については言わないよ。ボロクソになっちゃう。ずいぶんけんかもしたからね」と肩透かし。 それでも、「お前より先に死なないよと言っていたけれど、そうはいかないよ、ただ、謝られていたら困っちゃっただろうけどね。法治国家じゃなくて、情治国家だから」と、最後まで和解に至らなかった、複雑な心情をにじませた。
 小さん師匠の弟子だった談志だが、83年に真打昇進を巡る考え方の違いから仲たがいして破門。落語協会を脱退して、落語立川流を旗揚げした。それでも、小さん師匠は周辺に「オレは、あいつが一番好きだ」と漏らし、双方が心の中では、お互いに慕っていたとされている。】

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結局、心の中は、当人たちにしかわからないことではあります。
この2人の師弟は、結局、和解できないままになってしまったわけで。
周りのひとたちは、談志さんもお通夜に出てくればいいのに、とさんざん言っていたようですが、談志さんも、師匠が亡くなったからということでいまさら出てきて、死んだ人と仲直りというのも、かえってわざとらしくて気恥ずかしい想いがしたんでしょうね。
小さん師匠は、生前「弟子だから、俺のところに頭を下げにくれば、どうとでもしてやるよ」と仲違いのあとも、よく言われていたそうです。談志さんも「謝られたら困った」と言われたみたいですが、正直なところ、お互いに何かきっかけがあればなあ、という気持ちでいたんだと思います。
まあ、弟子であり年下でもある談志さんが折れるのが普通なのかもしれないけれど。
ほんとは二人は心の中では、お互いを認め合っていたんでしょう。好きだから、買っているからこそ依怙地になってしまう。お互いに噺家として負けたくない気持ちもあっただろうし。
きっと、頭を下げない、自分から声をかけないのがお互いの「美学」。
ただ、どちらかの気まぐれでもいいから、何かきっかけがあればよかったのになあ、と思ってしまいます。
こうした、ちょっとしたすれ違いやタイミングが合わなかったことによって、どれだけ大事な人を失ってきたことだろう、と思うとちょっと寂しい気がします。
こういう場合、思い切って自分から相手に声をかけたほうがいいんですよ、きっと。僕たちは一門の名誉を背負っているわけではないですし。
「俺が悪かったよ」と言って、返ってくる答えって、まず
「いや、俺も悪かったよ」に違いないんですから。

でも、それが頭でわかっていてもなかなかできないのが、人間なんですよね…