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2002年05月23日(木) ■ |
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2002年5月23日。 |
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「琉球新報」の記事より抜粋。
【虐待、親責めないで/新報女性サロンで広岡さん
第56期新報女性サロンの第五回講座が21日、那覇市の琉球新報ホールで開催され、子どもの虐待防止センター指導員の広岡智子さんが、「親は子どもに何をしたか-児童虐待の現状と理解」のテーマで講演した。 広岡さんは児童虐待を身体的虐待、放置・無視、性的虐待、心理的虐待(脅し、差別)の四つに分類し、「最も子供が傷つく虐待は、愛情や刺激を与えず、子供の自尊心を失わせることだ」と語った。 また、幼少期に親から虐待を受けた人が自分の子を虐待する事例が多いと指摘。「無意識下に残る深い心の傷(トラウマ)が虐待の要因となっている」「子供は虐待する親を告発できず、そのまま親になってしまい再び子供を虐待してしまう」と述べ、フロイトなど過去の研究を引用しながら、児童虐待の連鎖について説明した。 児童虐待に悩む親の相談を受けてきた広岡さんは実例を紹介しながら、「子を虐待した親の立場は理解できる。親を責めるのではなく、周囲で支援することが大事」と話した。 その上で子育てを終えた祖父母の立場からも、虐待で悩む親子を救うことができると強調した。】
〜〜〜〜〜〜〜 「最も子供が傷つく虐待は、『無視』である」という点については、僕も納得できます。ただ、この方のお話は、あまりに虐待する親に対して共感的すぎるのではないかなあ、と思います。 「トラウマ」ということについて、僕は何度かここで書いてきたのですが、現実問題として、まったくトラウマの無い人生を送っている人間なんているわけがないですし。事あるごとに「私は幼児期にこんなトラウマを負ったためにこんなことを…」なんていうのは、あまりに言い訳がましいのではないかと。自傷行為ならともかく、被害にあったほうはそんなこと全然関係ないことですから。 もちろん、ストレスに対する耐性にには個人差がありますし、人間には受け止めきれないような、巨大なトラウマ(自然災害とか、凶悪事件に巻き込まれた、とかですね)があるというのも理解できます。 でも、そういうレベルでないトラウマ(「親が忙しくて、あまりかまってもらえなかった」とか「悪いことをしたときに殴られた」とか)を振りかざして、自分のやっていることを正当化する人、そしてそれを理解しているふりをしている人たちには、僕は怒りすら覚えます。 虐待する親は、子供時代に虐待を受けている場合が多いということは、よく知られている事実です。でも、だからといって「虐待する親の立場は理解できる」なんていうのは、ほんとかいな?と思わずにはいられません。 子供を愛せない、とか愛し方がわからない、というのは、感覚的に理解できる気がするんです。でも、自分がされて嫌だったはずの「虐待」をどうして自分で断ち切ろうとしないのか?いい大人が「私、アダルトチルドレンなの!」なんて恥ずかしげもなく言い放つことがどうして許されてしまうのか。 僕だって、ある意味、アダルトチルドレンですよ。自分で「大人」になったなんて、思えません。でも、世の中には、自分より幼い本物のチルドレンがいて、背伸びしてでも彼らを守らなくてはいけないということを感じています。
この場合の「周囲の支援」というのは、この文章からだけでは、はっきりとはわかりませんが「そんな親には子供を育てさせるな!」ということなんでしょうか?それはそれで、正論だと思うのですが。
自分が、病的な虐待をする人間だ、病的なACだ、と思われるなら今すぐ精神科を受診してください。正常の範疇に入ると思われるのなら、覚悟を決めて現実を生きてください。困った時にだけ病気ぶるのは、もしくはまわりが病気にしてしまう風潮は、あまりにご都合主義なのではないかなあ、と思わずにはいられません。
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