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2002年05月25日(土)
2002年5月25日。

「すきやばし次郎・旬を握る」(里見真三著・文春文庫)より抜粋。

【(当代一といわれる鮨職人、小野二郎氏が、常連客にしか、中トロの一部からしかとれない、極上の部分を供さないという話を受けて)
以下、小野氏の話です。
「こんなことを言うと、『何だい、常連ばっかりチヤホヤして』って、怒り出すかたがいらっしゃるかも知れない。
 そうじゃないんですよ。握り鮨を美味しく召し上がっていただきたいと考えれば考えるほど、オイソレと出せなくなるんです。お好みがわからないうちはね。
 だって、数が取れない『霜降り』やら『鉛筆』やらを握っても、一見のお客さんは淡白な赤身好みかもしれないじゃないですか。あと1時間もするとお見えになる顔馴染なら、大喜びしてくれる。取って置こう。そう思うのが人情です。鮨屋のオヤジとしてはね。
 それにトロは、同じくうちの看板であるコハダとかサバとかアナゴだとかに比べれば、お値段もグッと張りますので、御注文をいただかない限り、勝手に握るわけにはいきません。
 『旨いものを食べたければ、常連になれ』と、ウチの若いのによく言うのは、そのためなんです。」】

〜〜〜〜〜〜〜
あんまり、常連さん、顔馴染ばっかり優遇する店って、感じ悪いとおもいませんか。少なくとも、僕はずっとそういうふうに思ってましたし、自分がよく行く店にしても、あまり常連扱いされて、サービスしてくれたりすると、なんだか面倒になって、かえって足が遠のいてしまったり。
でも、この文章は、商売は商売として、美味しいものを喜んでくれる人に食べてもらいたい、という当代一と謳われる職人の気持ちがこもっていて、なるほどなあ、と感じてしまいました。
以前、村上春樹さんがエッセイのなかで、「主夫をしていた時期、魚を頭側と尾側の2つに切って焼いたら、やっぱり頭の方を奥さんに食べてもらいたくなった。こういうのは、経済的に依存しているからとかじゃなくて、美味しいほうを食べて喜んでもらいたいという、料理人の性なんだろうと思う」と書かれていたのを読んだことがあります。
もちろん、お金をもらっての仕事ですから、あまりにひどい常連びいきではどうかなあ、とは思うのですが、お金は持ってるけど感じの悪い客よりは、顔馴染の気持ちのいい客、喜んでくれる客に、こういうスペシャルメニューを饗するのは、それはそれでありなのかなあ、という気もします。
作る側が美味しく食べてもらいたい、という気持ちも、わかりますしね。

ただ、天下の「すきやばし次郎」で常連になるなんてことは、僕にはとうていムリなことなので、ちょっと羨ましいなあ、とは思いますが。
もし牛丼の吉野家にこういうスペシャルメニューがあるとしたら、そろそろ僕の前に登場してくるんじゃないかと楽しみにすることにしましょうか。