|
|
2002年05月04日(土) ■ |
|
2002年5月4日。 |
|
「必読書150」(柄谷行人・浅田彰・岡崎乾二郎・奥泉光・島田雅彦・桂秀実・渡部直己著、太田出版)より抜粋。
【なかには、サルトルの『嘔吐』に出てくる独学者みたいに、リストの頭から読んでしまう学生もいるけど。その際にアドヴァイスするのは、最後まで読む必要はない、読んでダメならすぐやめろ、その代わり、即その次の本を読みなさい、と。そのうちに自分にピタッと合う本があるから、それを深く読めばいい。】
〜〜〜〜〜〜〜 読書のプロたちが選んだ「必読書」を紹介している本での著者たちの対談の一節。世の中には、「本を読むのが苦手」という人はけっこう多いらしくって、「何か読みやすくて面白い本って、ない?」とたずねられる機会、けっこうありませんか? 僕はどちらかというと、一度読み始めた本は、肌に合わなくても最後まで読みきらないと気が済まないほうなんですが、この文章を読んで、こういう読み方もあるんだなあ、と思いました。 イヤなものを全部読もうとするから読書自体が嫌いになってしまう。自分が好きなものが出てくるまで、さわりだけ乱読してみる、という読み方もある、ということなんですね。 それでも、全然読まないよりはるかにマシだし、そうやっているうちに自分の懐が広くなってくる、と。 本を読む前にどれを読むか考え込むよりも、とにかく何でもいいから(とは書いてないですけどね)読んでみるべきだというのは、他人に読書を薦めるときには、有効なんじゃないでしょうか。 でも、本を読むという行為自体が肌に合わないという場合には、どうしようもないのかな。
ところで、この文章の「本」って、「友達」や「恋人」という言葉と入れ替えても、うなづけると思いませんか?
|
|