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2002年04月22日(月)
2002年4月22日。

NHKニュースのサイトより

【“延命治療続行の意思なし”
川崎市の病院で医師が患者に筋し緩剤を投与し死亡させた問題で、亡くなる数日前にも呼吸を助ける管を抜きすぐに戻していたことがわかり、病院では死亡時には延命治療を続ける意思がなかったことが強くうかがわれるとしています。】

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まず最初に書いておきます。僕はこの「安楽死事件」について、詳しい調査結果が出るまでは、状況の判断はできないものと考えています。
さて、上記の報道内容。これは、医学的常識からすれば、あまりに偏見としか考えようがないのです。というのは、呼吸状態が悪くなって、人工呼吸をされている患者さんの呼吸状態が改善してきた場合、医者はまず、抜管(ばっかん)といって、呼吸器をはずすことを試みます。もちろん、状態を慎重に判断した上でのことですが。で、なぜその必要があるかというと、人工呼吸があまりに長引くと、自力で呼吸をするために必要な筋肉が弱ってしまって、どんどん呼吸器が外せなくなっていくためです。
 亡くなる数日前の時点では、この患者さんは自発呼吸も出て、呼吸状態は安定していたそうですから、たぶんこの主治医は、呼吸器を外して自発呼吸に戻そうとしたのだと思うのです。それで、気道チューブを抜いてみたけれど、予想ほど呼吸能力が改善していなくて呼吸困難におちいったので、仕方なく気道チューブを入れなおし、人工呼吸に戻した、と。
 これは、呼吸器疾患の患者さんの処置としては至極まっとうなものだと僕は思うのですが(気道チューブを抜く時期の判断についてはわからないいけれど)。人工呼吸が長引くほど、快復の可能性は低くなるわけですから。

 筋弛緩剤を注入したことについては、家族の希望がないという状況では、主治医は責められて当然だと思います。でも、この数日前の時点で管を抜くことを試みたというのを「死亡時には延命治療を続ける意思がなかったことが強くうかがわれる」なんて報道をされては、手術のときに「お腹を切り刻んだ!」とかいわれるのと同レベル。治療のためのやむを得ないリスクというのもあるのです。
これは、あまりに思い込みに満ちた報道と思わずにはいられません。だって、こうしているあいだにも、全国の病院では、呼吸を助ける管を治療のために抜き、結果としてそれがうまくいかなくて管を入れなおしている患者さんがたくさんいるんだから。
NHKさん、もうちょっと勉強してください。
なんでもかんでも悪意に解釈するのが、メディアの公平な視点なんでしょうか?「事実」を「客観的に」報道するのが使命なんじゃないんですか?
この「事件」の最大の問題点は、主治医と家族とのコミュニケーション不足、主治医の一人相撲にあると今の時点では僕は思っています。
あとは、医者の全能感、あるいは無力感。