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2002年03月10日(日) ■ |
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2002年3月10日。 |
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「中国古典百言百話11・史記」(西野広祥著・PHP文庫)より抜粋。
いま魚を受けて免ぜられなば、たれかまたわれに魚を給せん者ぞ。われ、故に受けず。(循吏列伝)
法に厳格なことで有名だった、魯(中国の春秋時代の一国家)の宰相の公儀休が魚をみやげに持ってきたものに対して言った言葉。
「なぜでしょうか?魚がお好きと聞いたのですが」 「好きだからこそです。わたしは今、宰相をしています。魚を買おうと思えば簡単に手に入ります。ですが、もし、魚をいただいたことがもとになって辞職にでも追いこまれたら、それこそ、魚は手に入らなくなります。ですから、この魚をいただくわけにはいかないのです」
〜〜〜〜〜〜〜 なぜ、賄賂はいけないのか?実際にもらう側の立場からしてみたら、その理由をこれほど明確に述べた言葉はないんじゃないでしょうか?賄賂を渡す側も相手を尊敬して、大事にしているから渡すわけではないのですから。 プライドより、職業意識より、結局、自分にとってメリットにならないからという考え方は、むしろ現代人にとっては、より受け入れやすいものなのではないでしょうか。 それとも、今の役人は「魚も自分で買えない」ほどに生活に困窮しているんでしょうか?
かの鈴木宗男氏が証人喚問されているわけですが、僕の中では、彼のイメージは「プチ田中角栄」なのです。味方にはとことん甘く、敵には容赦ないところ、怖いくらいの上昇志向。役人ウケがいいところ。
だから、どうして田中真紀子さんが鈴木さんのことを嫌いなのか、よくわかんないんですよね。真似しやがって!とか思ってるのかな。 まあ、スケールという点では、鈴木さんのほうがやや劣っているような感じですが。かかわった事業の大きさにしても、賄賂の額にしても。
誰でもわかっているはずのことなのに、感覚が麻痺してしまう。そして、鈴木さんの陰には、彼からまた餌をもらっている「プチ鈴木宗男」たちが… 偉くなるというのは、それはそれで大変なことですね。 小魚たちを食べさせないといけない。 彼から餌をもらっていた人々が、いずれまた…? 歴史は繰り返す、のでしょうか?
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