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2002年02月26日(火)
2002年2月26日。

毎日新聞の記事より抜粋。

農水省のBSE(牛海綿状脳症)問題への対応を非難する文字を体に書かれ、熊本市の熊本城二の丸公園に放置された雌の廃用牛6頭が26日、熊本県合志町の県農業研究センターで落札された。6頭ともテーマパークなどで余生を送る。

 この日は延べ9団体が応札。赤牛4頭は同県菊陽町の食肉処理販売業者が32万円で落札した。業者は「高齢なのでビジネス価値はない。ただ牛がかわいそうだった」。同県大津町に作ったミニ動物園で、ポニーやイノシシなどと一緒に飼育するという。

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この話を聞いて、「塞翁が牛、か…」とつぶやいたのは僕だけか。
まあ、人生(牛生、ですが)何が幸いし、何が災いになるかわからない、ということで。こういうふうに、「体に落書きされてかわいそう」とか「捨てられてかわいそう」なんて、擬人化してしまうと、もう食べられなくなっちゃうよなあ。

脱線しますが、ある人(著者名失念)のエッセイのなかの話。寿司屋の入り口に大きなマグロの人形絵が飾ってあって、「ぼく、マグロ。おいしいよ!」という科白が書かれていたそうです。ところが、しばらくたって同じ店に行ったとところ「ぼく」が消されていて、科白が「マグロ、おいしいよ!」になっていたということでした。筆者は何故だろうと首をひねっていたのだけれど、僕にはその理由がなんとなく見当がついたのでした。たぶん、店にきた子供が嫌がったんじゃないかな、と。
僕も、子供のころその手の看板やチラシが大の苦手で、食われる対象物が「ボク、おいしいよ!」なんて言っているようなのを見ると、怖くて、かわいそうで、食欲減退しまくってました。
だって、子供心には、食われそうになっている状況で、「ボク、美味しいよ!」なんていうことは信じられないわけで(大人心でも信じられんか…)
で、たとえば件の寿司屋のような店に入るときは、看板のマグロから眼をそらし、店でもどんなに勧められてもマグロは食べませんでした。
「しゃべる」といことで、そのマグロに人格をみいだしてしまっていたわけです。
というより、幼少時は魚も肉も食べられなかったんですけどね、魚さんや動物さんがかわいそうで。
今は、その分をとりかえしてあまりあるくらい、バクバク食べてるわけですが。

それは、感受性の減退なのか、生きるための適応なのか。
たぶん、その両方なのでしょうけど。

それにしても、もし仲間の牛が彼らのニュースを耳にし、理解することが出来たとしたら、どういう反応を示すのでしょうか。羨望か、憐憫か。
そういう発想自体が、既に「擬人化」なんですが。