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■ 先に立つ者(笛)(渋沢と風祭)
あのときの自分がそこにいた。
嫌な予感があった。 フィールドの上で、朽ちるように倒れた小さな身体。心の強さに身体の成長が追いつかず、いつももどかしげに必死に走っていた年下の少年。
「風祭……!!!」
最初にその名を叫んだのは、一体誰だったのか。 渋沢は覚えていなかった。 けれど、予感があった。 やるせなくなるような気持ちを味わうことになるのではないかと、自分より一回り以上も小さな背中にその予感を抱いてしまった。 気付かなければよかったのか、それとも先にわかっていてよかったのか。 判断出来なかった。
「…そうか」
数日経ち、電話で渋沢は彼の具合を聞いた。 電話の向こうにいる、かつて同じ学校に在籍していた彼はやけに落ち着いているように見えた。けれど渋沢にはそれが未だ現実を自身が認められずにいるが故の落ち着きだと知っている。 衝撃はこれからだ。これから、気持ちではどうしようもない肉体の現状を思い知る。 そんなかつての自分を思い出したとき、渋沢は膝がじくりと痛むのを感じた。あるはずのない痛み。過去の傷だけが現在の風祭に同調している。
『…折角、選抜メンバーになれたのに残念ですけど』
僕はここで退場みたいです。 笑みさえ含んで告げる声。表情は渋沢には見えない。けれど彼はきっと笑っているのだろう。前を向こうと必死になって。
「…風祭」
かすれた声になった。動揺していることを渋沢は悟られまいと心がけていたが、そう上手くはいかなかったようだ。押し隠して受話器を握る手に力を込めた。
『何ですか?』
穏やかな声。日なたのイメージを背負った少年。 似合わない。怪我や、そんなもので阻まれるような未来は。 そしてあの頃の渋沢自身も阻まれたくなかった。 このやるせなさはきっとなってみなければわからない。幾度もそう思った。頑張れと言うしかない周囲に感じた苛立ち。今にきっと風祭も味わうだろう。予測出来てしまう自分が悲しかった。
何を言えばいいのだろう。 あのとき、同じように怪我を負った自分のことを考える。
(何を言えばいい?)
痛めた膝。状況によっては今後も再発しかねないと専門医から忠告を受けた。 人生における情熱の大半を傾けたものから、引き離される気持ち。心ばかりは強くそれを渇望するのに、身体は意思通りにいかない焦りと不安。 怖いという意味を、あのとき初めて知った。 風祭もそれを知ってしまう。知ってしまわなければ先には進めないだろう。 わかってしまう切なさに、渋沢は目を伏せた。
(俺は、何を言って欲しかった?)
あのとき。 支えようとしてくれた周囲に、望んだ言葉は何だった? 光明を探して藻掻くのに、必要な気持ちは一体何だった?
考え、押し寄せてきた辛い記憶に耐える。 これからきっと、以前の渋沢と同じ思いを、あるいはそれ以上の絶望を知ってしまうかもしれない少年への言葉を探す。 それは同情なのだ。けれど、あのときの自分はきっと救われただろうから。 同じように少しでも再生への足がかりになって欲しいと思った。 同じ思いをした奴もいると、彼が少しでも孤独さを薄らがせるように。
「諦めるな」
沈黙の果てに出てきたのはそんな言葉だった。
「…辛いことは、よくわかる。これからもっと大変で、もっと苦しいと思う。 でも…諦めたり負けたりしないでくれ」
言ってからひどく一方的になったことを渋沢は自覚した。 まるで自己憐憫だ。彼が諦めないことで、自分も諦めなくていいと安心を得るような狡さを含んでいたことに、口に出してから気付いた。 けれど綺麗ごとを言っても仕方がない。言って欲しくないことも、きっとあのときの自分と一緒だ。何を言っても事態は変わらないのだから、余計な期待は逆に苛立つ。
「待ってるから」
あの場所で。 たとえ敵同士になっていても、いつか必ずあのピッチで巡り会おうと祈りにも近い気持ちでそう思う。 あのときの渋沢も仲間にそう言われることを望んでいた。 待っていると、確かにあの場所はお前の居場所だと言って欲しかった。 言ってくれたのは、今の親友だ。
「必ず、戻ってこい」
不屈の精神でも医学の発達でも何でも利用し使い果たして、またあの場所に。 少しでも伝わってくれていればいいと思う。 待つ者がいることは、彼が一人ではないということを。
『…はい』
返ってきた言葉の端に滲んだ、涙の気配。 泣けばいいと渋沢は思っても言わなかった。
「また会おう」
帰還の挨拶を少年たちは待っている。 あの場所で。
**************************** そういえば最終回付近に書いていたものもあったと、引っ張り出してみました。 笛で怪我といえばゴールキーパー陣(シゲは?)渋沢か小堤。でも差し迫り感覚としては、今後とも再発しかねない渋沢さんかなあ、と思ったわけで。 ちっちゃい主人公とでっかい脇役でした。
2003年05月15日(木)
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