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■ 桜の詩(ホイッスル!)(渋沢と三上)
初恋はどんな人でしたか?
「年上の綺麗な人だったな」
あまりにも穏やかに彼がそう言ったので、三上は驚いた顔を隠さなかった。
「マジ? 年上?」 「…何だ、その面白そうな顔は」
昼食時の昼休み。牛乳パックを右手で握り潰さんばかりに意気込んだ三上に、渋沢は目許をしかめてみせた。
「なあ、いくつぐらい年上だったんだ?」 「俺が小学校に上がったぐらいのとき、二十三か四ぐらいだったから…十六か十七ぐらいか?」 「幼稚園の先生とかか?」 「いや違う」
三上としては妥当な線を狙ったつもりだったが、教本のような箸の持ち方をしている渋沢にあっさり首を振られた。
「んじゃどういう人だったんだよ。なあ?」 「…だからお前は、どうして人の話にはそんなに目を輝かせるんだ」 「細けえこと気にすんな大将!」 「俺はキャプテンだ」
さらりと言い返した渋沢はそれ以上言う気がないようだった。 しかしここで終わられては半端に聞いてしまった三上の気が済まない。
「なー、それで、どんな人だったんだ?」 「だから、十七ぐらい年上の綺麗な人だ」 「そんなんでわかるか。だいたい6つや7つのときなんてな、大抵の年上は『キレイなお姉さん』になるだろうが」 「何言ってるんだ、美人はいくつになっても美人だぞ」
したり顔で言われても全然楽しくない。ずずずと音を立ててストローから牛乳を吸い上げながら、三上はこの友人をどうつついたら本音を言わせられるか考えた。
「…どんぐらい好きだった?」
ふと、そんな疑問が沸いた途端口から出た。 渋沢は聞いた意味がわからないように不思議そうな顔をした。
「どのぐらい…って、小学校に上がるかどうかの頃だぞ?」 「でも程度ぐらいわかるだろ」 「そう言われてもな…。憧れてはいたけど、もう結婚してたし」
最初からかなうはずないってわかってたからな。 渋沢はそう言って、過去の憧憬を秘めた笑みを見せた。 その言葉は、想いが叶わないことと、相手の想う人に敵わないという二つの意味を持って三上の耳には届いた。
「…ってか、人妻!?」 「響きとして微妙だが、知り合ったときにはもう既婚者だったな」
相変わらず何のためらいもなく淡々と言う渋沢を、三上は何となく「負けた」と思った。渋沢らしいと言えばらしいのかもしれないが、その歳で人の奥さんに懸想していたというのは何気なく驚嘆に値した。 こいつってほんと計り知れねえ。 すでに空になりかけた牛乳パックを右手に持ち直しながら、三上はほのぼのとした表情で弁当を食べている友人のことをそう思った。
「何かな、桜みたいな人だったな」 「は?」
不意に渋沢が言い出し、三上は顔を上げた。
「その人のことだ。最初に会ったのが春っていうせいもあるんだろうが、第一印象が桜の花みたいな人だって思った」 「桜?」 「ああ。白いっていうか、少し透けた薄いピンクというか、ああいう感じだな」
その説明で三上が思い出したのは、よくあるソメイヨシノの花だった。 一重咲きの薄紅。はらはらと舞い落ちる光景は、日本の春を一番よく表している。あの可憐さに喩えられるのだとしたら、儚げな美人だということなのだろうか。
「お前、夢見がち」 「うるさい」
三上がにやりと笑って揶揄すると、渋沢は眉間のあたりに皺を寄せた。照れくさいのだろう。その顔はいつもの彼より幼く、三上はきっとその人に対するときの渋沢はいつもそんな顔をしているのだろうと思った。 淡い恋心を抱いた人を、花に比喩するとは随分ロマンチストだ。渋沢は現実主義者のタイプに属するほうと思っていたが、やはり初恋の人というのは特別なのかもしれない。
「いいだろ、人の趣味だ」
口端でとはいえ、笑い続けている三上に、渋沢がむきになった声を上げた。 普段すまして大人びた顔をしているだけに、その様子が可笑しい。すっかり空になった牛乳パックを机に戻し、三上は空いた右手で頬杖を突いた。
「ベツに? 悪くないんじゃね? すっげ楽しいこと聞いた気はするけど」 「…誰にも言うなよ」 「なんか言ったかー?」 「誰にも言うなよ!」 「い、言わねえよ! ってかいきなり胸ぐら掴んで脅すなボケ!」
机の向かいから腕を伸ばして脅しつけたその剣幕に三上は心臓を跳ねさせたが、赤い顔でそうされでも全く怖くないことにも気付いた。 ただ、この友人にもそういった子供じみた部分があることに親近感を抱いた。 そっとシャツを掴む手を解かせ、まあ落ち着けと嫌味のない笑みを浮かべた。ぶすくれた渋沢の顔など滅多に見られるものではなかった。
「…言うんじゃなかった」 「そう言うなっつーの」
呟いた渋沢に三上は苦笑で応える。 つい先ほどまでは当分このネタで遊んでやろうと考えていたが、予想以上に相手の深い部分に触れている情報らしいので、仕方なくその考えを棄却した。
「誰にも言わねえから、今度続き聞かせろよ」 「…………今度な」
かろうじて渋沢がひきつった笑いを見せた。 対する三上は可笑しそうに、口許で笑っただけにしておいた。
*************************** 幼稚園ぐらいの克朗少年が、桜の下で年上のお姉さんに憧れる図、というイメージが浮かんだのです。いやそれだけ。
2003年05月06日(火)
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