初日 最新 目次


Trash Box
オオカミ

My追加

2004年04月17日(土)
うざい

人を知らねえ
自分勝手なてめえよ

そのまま生き続けるのなら
何もなくなるぜ

絶対だ


残るものがあるとすれば
それは屑だけだろう





いわゆる「うざい」と言われる人間は
どこにでもいるものだが

それにしても最近増えすぎではないか


居酒屋でもない普通の軽食屋で吠えるような声で話すやつ
身勝手な事に気がつかずに相手を不快に指せるやつ
単なる毒と中傷の区別もつかないやつ    
                       等など

まあ、他にもいくらでも出てくるが
とにかく


最悪だ


基本的な人付き合いの規則もわからないような連中は
何処に行っても苦労するだろう


空気も読めないで身勝手なまま生きていくなら
人は逃げていくだろう



そんな事も解らないのならば


それこそ一人で生きていけばいい


礼儀を重んじれないやつは
社会にも捨てられるだろう


そんな人間を
自分から見るなれば


哀れみしか持てぬ



今日の一口<人を責めるときは 自分にも問いかけよう>


My追加



2004年04月16日(金)
科学という魔法に落とし穴は無いか

世界は

便利になったなあ
機械に埋めつくされてるなあ

この世界は何処までいくのかなあ


科学はこの世界の魔法だ

かなわない物はなくなりそうに無いけれど

それでもかなう物は増えていく


そんな便利さと快適さを追求する方向に
いったい何があるのだろう





ここの所
講義で機械のデジタル化や小型化といった
これまでのそしてこれからの進化について
習っている



便利になるということは楽なことだ
少ない手間でたくさんのことが出来るのは
素敵なことだろう



だけれども

本当に良いことなのか





便利なことが増えるということは
それまでの手間を忘れるということだ



火を起こす苦労を、水を汲み取る辛さを
少なくとも自分は知らない


それらと同じように


音が良くなればよくなるほど
本当の楽器のよさが忘れられていくような気がしないか


画像が良くなれば良くなるほど
現実のものと区別が付かなくなり
どっちがいいかわからなくなりそうではないか







小型化していく機械達
それらはスペースをとらず
色々なことができる
確かにすごいとは思うが


小さくなりすぎて消えてしまいそうだと


そんな風に考えるのは
自分のような空想化しだけだろうか








便利になればなるほど
事柄は収束され一点に集められる


それによって危険性も増加しないか


個人のプライバシーから、どうでもいいようなことまで
全てが出来るようになろうとしている携帯電話

逆に言うならその機械に
人が取り付かれるということではないのか


下手をすれば犯罪の種になろう




これから向かう科学や世界には
余りある危険な疑問が多すぎる気がする





便利になるということは
今の人が昔の人が良いと思うこと等を


人が忘れ、時代が忘れるということだ




それが悪いとはいえない
自分もまた便利なものを使って便利さを堪能しているうちの
一人だから



だけれども
このまま世界は科学は
何処まで行くのだろうか



今日の一口<楽に溺れ大事な何かを忘れてないか>


My追加



2004年04月15日(木)
単純な理由

毎日を楽しくさあ 生きたらどうだい
面倒くさがって ダレていてもさあ
苛々ばかりが 募るだろう


だから 精一杯生きてみないかい
笑って生きてみないかい

充実してさあ 楽しくさあ

泣いて過ごしても一日
笑って過ごしても一日だ


時間は平等に過ぎていく


それならば 
笑って過ごそう

楽しく大らかに過ごそう






部活を始めることにした
せっかく学生をやり直すと決めたのだから


今しか出来ないことを目一杯やろう
そう考えたわけだ


放課後を無駄に過ごしたくも無い
そして、バイト等で浪費したくも無い

それならば部活をやろう


そんな単純な理由だが





以前の自分を振り返ると驚かされる


バイトをして金を稼ぐほうが大事だったはずだ
だらだらと娯楽ばかりで過ごすほうが

楽だったはずだ



だが、それでは後には何も残らなかった

少しずつ確実に無気力になり
苛立ちだけが残って

全てが鬱陶しくなった




それじゃあ駄目だ

怠慢で生きていけるほど
人間は甘くない


刺激を求めなくなったものほど
馬鹿に成り下がってしまう


落ちていくのはそいつが弱いからだ
何かを守ることで生きる力を持つ人は
とてつもなく強い




気力の無いものを生かすほど
社会も甘くない


馬鹿な奴は首を切られ
裸で路上に放り出されるだろう



それならば、強く生きよう
全てに一生懸命に
面白く生きよう



今自分はとても気力に満ちている
それと同時に怠慢な自分になるのを恐れてる


それがおかしいとは思わない


これでいい きっと それでいい



今日の一口<落ちても沈んでもいい その後で這い登り浮上しろ 弱くてもいい 強い自分を守ろう>


My追加
 



2004年04月14日(水)
父との語り

ちょっとの触れ合い
ほんの少しの会話

そんなものがきっと嬉しいのだろう

今の自分にはわからないけれども

いいのだこれで







父と学校の講義について会話をした
小難しい会話をしたわけではない


こんな事を習って
こんな所が面白かった


そんな会話だ

たわいの無い会話



でも、そんな会話が父はとても嬉しいようで


親になるというのはそういうものなのかな


子供と一緒にいることが
たわいの無いことをするのが
本当に楽しいのだろう



そんな楽しそうな父が
子供みたいに目を輝かせて会話をするのを
見ると

ああ、これでいいんだ

なんて思う




自分はそれこそ全く親との意思疎通の無い
息子だった


心配かけたくないから
言う必要が無いから

そんな理由で親には心を開いていなかった


幼い時にいじめられたときも
外で殴り合いの大喧嘩をしたときも


なにも親には言わなかった

何もお互いの生活が見えないのなら家族の意味が無いじゃないか
なんて母に言われてしまった事もあった



いまでもそれは変わらないのかもしれないけれども

いいのかもしれないこれで


たわいの無い話をして自分を出していこう


面倒くさがらずに
少しづつ


今日の一口<くせは直さない それでも思いは伝えよう>


My追加



2004年04月13日(火)
評価なんて

相手のことを思ってやったことに対して
礼を言われなかったことがあるかい?

自分はしょっちゅうだ

でもいいじゃないか

自分が好きでやってるんだから


評価を求めてるうちは
何も生まれない




自然体で求められることを出来るようになったときに
何かわかるはずだ








学校で音楽をCDにコピーしたものを知人にあげた
頼まれたから自分はやったのだけれど
知人はあまり喜ばなかった


というか型通りの挨拶程度だけだった


その人とは違うまた別の知人にこういわれた


やってあげる意味が無いなあ と


だが自分は


果たしてそうだろうか
と思う




感情表現が苦手な人なのかもしれないじゃないか
表現方法が違うだけかもしれないし
ちょっと元気が無かったのかもしれない


相手のうちなんか何もわからない



だけれども意味があるかどうかを決めるのは自分だ

いいじゃないか評価なんか無くても

気の迷いだとしても、自分に頼みごとをしてくれたのだから
引き受けた以上は達成したらいい


困ってる人間をほっとく人間にはなりたくないじゃないか

望まれるなら果たしたい



相手のためとかいう気でなく自分のためにだ
自己満足だとわかってやることだ


評価なんか求めるべきでない
それは後から付いてくるものだ



自分が好きでやれたらいいじゃないか


今日の一口<憎しみを表すことに比べ喜びを表すことほど難しいものがあるものか>


My追加









2004年04月12日(月)
巻戻しなんてない

ハロー ハロー
未来の自分に通信です
お元気ですか
一生懸命そこにいますか

生きてますか


リスタート リスタート
心の中で声がする

始めよう 始めよう
自分の中に 意思が生まれる

進もう 自分のために 

未来へ





リスタート リスタート

ハロー ハロー







学校が始まった

時間移動が出来たらとか
時間を巻戻したいなんて思うことがあった

だけれども

この世界には巻戻しなんてない
フィルムの中の世界じゃないから


そのかわりこの世界にはやり直しというものがある
フィルムの世界には出来ないことだ



だから休学していた分も頑張ろう


義務感は少しだけ
自分の意欲を大きめに

それだけを持って
行こう


ただただ休んでいたわけではないのだから
その間に蓄えた物をすべて使って


きり進もう




今日の一言<挫折しても挫折しても諦めないで 自分を信じよう>


My追加



2004年04月11日(日)
街並みを歩いて

気ままに
のんびりと街を歩いた


温和な明かりに照らされた
夜桜が綺麗で 
驚いたなあ


懐かしい細道に入ると
昔と違いコンクリートの大通りで
少し残念な気持ちだなあ


知らない角を曲がると
新しい発見ばかりで楽しくなって
笑いがこぼれるなあ


見なれた通りを歩くと
少し変わっていて身近な物が
とても温かく見えたなあ









街を歩いていて
まるで道は生きる事そのものだと
そんな風に思えた


見てきている道を見回しても
確かに新たな発見はあるけれども

新しい道を歩くほうが圧倒的に発見は多い


いつまでも同じ事をしていないで
別の場所に移ろう


過去を振り返っても少しの修正がきくだけで
過ぎ去った時間は戻らない

これからの道を模索して歩くことで
新しい何かが見つけられる


そんな風に思えた


ただ、実際の道と違うことは
近道なんか無いということだ



近道をしようと考えて足踏みをしている間に
一歩踏み出す事が、きっと最高の近道


今日の一口<レールに乗ったら駄目さあ 道を自分で歩かなきゃあ>


My追加



2004年04月10日(土)
好きの広がり

昔嫌いだったこの歌が
今はこんなに好きで
ああ 少しは変われたのかのかなんて
安心して


馬鹿だよなあ
自分

馬鹿だよなあ
本当に






自分は、今とても好きな歌がいくつかある

だがそのうちの何曲かは
5年前には嫌いだった

例えば最近よく聴く

BUMP OF CHICKENの「K」や
Mr.chirdrenの「タガタメ」
暁星の「wind」

これらの魅力は当時の自分にはわからなかっただろう


とにかくバラード等の静かな緩やかな歌が好きで
うるさい歌は嫌だった


従兄弟がDragon Ashのアルバムを貸してくれたはいいが
一曲も気に入らず翌日返したこともあった


だけれども、歌詞が良いとか、リズムが好きだとか
そんな理由で少しずつ好きなものが増えていった


魅力を「1」見つける度に「10」の歌を好きになれた気がする




自分はこう思うのだ

「嫌いだ」と自分が判断するのは
その物の魅力を分かっていないのではないかと

そしてそれは歌だけにとどまらず、文章も絵も運動も…
…全てにおいて通用するのではないかと


実際そうなのだ。


「嫌」な物は「嫌」で残っていくが
ふとしたキッカケで、又は心境の変化で
嫌いなものを好きになることが出来るのだから


何かを嫌うということはその何かの魅力を
自分がわかっていないだけなのだろう


又、一度好きになった物は「飽きた」とは思っても
少なくとも自分は「嫌い」にはならない


物は変わらないのだから


人間が一度好きだと受け入れたものは嫌いにはならない
のだろうと思う




物を否定するのは簡単だ

自分が嫌な所をあげていけばいい
悪いと思う点をあげていけばいい


けれども好きになるということは違う

その物を理解することで初めて
可能なことだ



ここで肝心なのはその好きな物を増やすとは
俗にいう「ミーハー」になるという訳ではなくて

一つ一つの物の「魅力」や「利点」や「長所」といった物を
理解する事なのだろう



嫌いと言うわけでもなく
この歌が好きと単に言うわけではなく

この歌の「ここ」が好き
といえるほうが素敵じゃあないか


「この歌いいよねえ」と言われて

「これは嫌い」と言う訳でもなく
「うん。これいい」「これが好き」と単に言う訳でも無くて

「これは曲がいいよなぁ」とか「ここの部分の歌詞が好きだ」
とか言えたほうが楽しいじゃあないか



そうなるためには「殻」に閉じこもらない事だ
「良い」「悪い」で考えるのではなくて
「良い」「わからない」と考えるといいのだろう


誰もが何かを良いと思っているのなら

全てが「良い」と考えてもいいはずだ




↑エンピツ投票ボタン押すと文章の続きが見れます



今日の一口<好きを広げて楽しもう 色々な物を見ていこう>



My追加




2004年04月09日(金)
成長

先日身体測定があったわけだが

身長が伸びていた


体の成長は不思議だ

自分の身長が高いと自分はさっぱり実感していない





小さな小さな子供だったのだ



小さな服を着て
小さなズボンを小さな靴をはいていた



その頃からは歳月は流れているのだけれど



いかんせん自分自身が
背が高いと認識できないのは
何故だろう…


考えてみたら相違点は多くあるのだが

親を見る視点が上目使いから下目使いになってるとか
小さな、本当に小さな頃とは
視点が高いのが良く分かるとか


でも実感がわかない


それはたぶん自分が外から見えないからなんだろうな

なんて考えて

不思議だね



小さいときになんで自分は生きてるんだろうなんて
本気で考えてしまったときのように


その不思議さが少しうれしい




今日の一口<心も体も成長しながら言うんだ 生きてるって>


My追加



2004年04月08日(木)
独りでいいわけないだろ?なぁ自分

独りがいいとか言いながら
独りでいいといいながら

今日半年以上振りに会った友人の顔を見たとき
うっとしいとはおもわなかったろう?


独りでいいといっても
独りだけじゃあ出来ることが限られるよ



だから、さ


身勝手で良いだろう?今までどおり。
周りにペースなんか合わせなくて良いじゃないか


知り合いで良いじゃない?
知り合いで良いからさ


関係全てを否定するのはやめようよ



いつまでも子供じゃないんだ

大人の付き合いをしていくべきだろう



独りでいいわけないだろう?自分
なぁ


集団行動がきらいなお前が
なんで今日はつきあったんだい?



ただの気まぐれでかたずけるなよ

良いじゃないか。もう


進もうぜ。自分


なぁ



今日の一口<独りが好きだ だが独りっきりは駄目だなぁ>



2004年04月07日(水)
ギア

先日、尚さんと桂さんという二人の友人と
酒を呑みに行ったわけなのだけれども



この二人はお互いが認め合っているほどに感覚が対照的だ


桂さんは行動よりも思考を先に巡らせてから、行動をする
思考重視型


尚さんは勘で行動を選び、そしておそらくは行動しながら考える
行動重視型






その二人と飲み屋で会話をしていたわけなのだけれども

その中で自分はどうなのかということを
頭の中に浮かべていた




というのも尚さんに飲み屋に行く前の会話の中から


それじゃあ雷くんはKたん(桂さんの愛称)と僕の真ん中くらいの人なんやね


といわれたからなのだが




何のこともなく交わしたその会話で
とあることに気が付いたのだ





実は自分はここでこんな風に色々と考えて
文章を綴っているが


普段の行動自体は尚さんのパターンに
至極近いのだ







昔は確かに桂さんと同じで
考えてから動く人間だったのだが

おっと失礼。
昔とは約五年ほど前まではと解釈してほしい


その頃に自分はそれまでにしてきていた
行動する前に考えるとか考えてから
動くといったやり方をやめた


要は普段から考えるという事を放棄したのだ


まあ、それでも、相手の言葉の中から
選択肢を樹の枝のようにいくつも伸ばし

相手の心の内面を読み取るような作業や
視点を変えてのその言葉の意味を探るような作業を
やってしまうのだけれど



それは直感といっていいスピードなのだ
勝手に考えてしまう。癖だと思ってもらえばいい


その癖と直感のみで行動しているのが
行動するときの普段の今の自分なのだ





だが、その頃と比べて考える事を
怠っているわけでは無いつもりだ
日記を毎日書く以外にも
一人の時は思考の海に沈む


兄弟いわく考えすぎといわれるほど
考えを膨らませることも多々ある


自分にとったら足りないから
この日記を設けたわけなのだけれども

この日記もいらないのではないかと
言われたほどだ

考える時間をふやさんでええやろうと





そんな理由から
自分が尚さんに先の台詞の前に答えた台詞は


考えるときは考える
普段動くときは直感で動く


だったのだが





それでここで気がついたことというのは

先に上げた二つの型をギアという言葉に置き換えると

自分にはギアが二つあるということだ



思考してから行動するギアと
直感で行動するギア


そしてそのギアを二つとも噛み合わせ回す時

すなわち桂さんと尚さんのような
型の違う方達と共にいる時



ものすごくコミュニケーション能力が上がることに気がついた



自分は一人の時が一番行動能力や思考能力が大きいのだけれど


その一人で行動するときに近い行動能力と
思考能力が表に出るのだ


要は好きな自分になるということだ





今までは全く気がつかなかったが確かにそうだ

考え深い人とは考え深い会話を
直感で言葉を発する人には直感で言葉を返す

合わせるわけではなく自分は
自然体でそれをやっているのだが


そんな二つの行動が混ざり合い
ギアが噛み合って

回り出した時

自分はとても良い状態になるのだ



昔から知ってる人と話す時
自分は好きな自分を出せるが


それに近いものが自分の中に作られる気がする



もちろん1対1でも仲良くなればそれは可能なのだけれども


とても不思議な気がした



思わず飲み屋での会話の中なんかでは


尚さんがいるとギアが回っていいなあ


なんて言ってしまったほどだ





桂さんといる時はそれはそれで1対1の時の自分が自然体として形作られるが

尚さんが加わったことで好きな自分が自然体として形作られたわけだ


仲のとても良い人にしか見せない自分が


これは尚さんだけでもありえなかっただろう。





だから本当は


お二人がそろっていると自分もギアが回っていいなあ

と言うべきだったのだけれど


まあ、そこは愛嬌ということで
割愛していただきたい



自分で言うと笑えてしまうけれども
天邪鬼なのだ。ひねくれ者なのだ
自分は。



しかし・・今日のこの日記の考えは
先日呑んでいるときに頭の中で
一瞬自問自答していただけな訳なのだけれど
文章に表すとここまで長くなるとは


やはり心の内を表現するというのは
なかなか難しいものだ



今日の一口<好きな自分を見せていこう>






My追加








2004年04月06日(火)
酒の力

自分は今。とても満足だ


空気は喜びに満たされて
楽しさが飛び交う


自分はとても幸せで


そんな中最悪の考えを抱く
自分が嫌で…


ただ彼らに伝えよう

今日はありがとう
本当に


短い時間だったけれど
楽しかったあ


たのしかったあ


自分はあの短い空間の中で
ただ嬉しかったんだ



それに少しだけ…

…ほんの少しだけだけども


「自分」が顔を見せた気がする


それがくすぐったくて
・・・馬鹿に見えてさ


とにかく本当にありがとう






上記の文章は少し酔ってこの日解散した後に
携帯に残していたものです。


ちなみに元の文面を削りに削りましたがね。楽しかったと、ありがとうと連呼した内容でした。
後から見ると憮然として拗ねた顔になる。もしくは呆然として固まることが出来ます←赤面だけじゃすみません。みたいな。


今見るとかなり普段の自分が書かないことを綴っていますが
これもあの瞬間の本心だったのでしょう
↑まず見せない感情です。他人には。



酒の力は本当にすごい



普段絶対言えない様な事をやってしまえる

抑えてた何かを開放してしまえる


ならば、その酒とは
上手く付き合っていかないとなあ


悪いところを開放するより
良いところを解放していこう


罵声を浴びせたり暴力を振るうより
優しい言葉を投げ飛ばそう



全てをいいことに結びつけよう




今日の一口<自分の本心がわからない時は酒を呑むといいのかもしれない>


My追加




2004年04月05日(月)
これは自分の意思…なのか

たまに…いや
よく、かな

とてつもない孤独感が
浮き出てくるときがある

そんな時は妙に
気分は落ち着いて

頭の中ががらんどうになって

妙な焦燥感に駆られる

いやそれとも違う


何か


その何かに心が埋められる





そのきっかけは些細なものだ


時と場合によるが
本当に些細なものだ

連絡が取れなかったとか
人と会えなかったとか
冗談で悪口を言われたとか
言ったとか

そんな風な

本当に些細なものだ



普段は気にもかけないこと
そんなことから

唐突に


「独り」の海に沈む

そんな時は何故か
本当に気分が落ち着いて

独りは嫌なはずなのに
人に触れていたいはずなのに

この独りだという思いは
これは自分の意思で…なのか

自分の意思で描いているのか


独りでいい 独りはいい 独りがいい


そんな呪文

そんな言葉が空をよぎり
消えていく


自分は何故こんな思いに
囚われるのか


出来たばかりのはかない絆が
友と呼んでいいのか分からない
人達とのか細い糸が

切れるのを恐れているのか


これから先に
独りになったときの
衝撃を
和らげようとでもいうのか


元々独りだと
自分に
言い訳しようというのか




諦めにも似てる感覚



嫌だなあ自分
…嫌だなあ




今日の一口<最悪の状況を予想しつつ最善の道を歩もう>


My追加



2004年04月04日(日)
天の涙

空が暗い
水滴がポツポツと落ちてくる
雨だ



雨の日は妙に嫌われるが
自分は雨の日が好きだ



晴れの日と自身は大差無いはずなのに


自然と自分に視点が向く
気分が落ち着く

色々なことを
反芻し受け入れられる


そんな気分になる

これが水の記憶というものなのだろうか




色々な苦しみを

様々な悲しみを



全て飲み込んでくれそうに見えて



同じ部屋にいても
空気が全然違うことに気がつく
気分がとても落ち着いて



こんな日は
気持ちを描こう


思いを残そう



願いを飽和させ
痛みに素直になって
優しさで包み



自分を綴ろう


今日の一口<自分と向き合ったときに何を思おう>



My追加




2004年04月03日(土)
接客

先日バーにはあまり行かないと綴ったけれども
それならば何故バーで働きたいと思うのか

その理由は先日も言ったとおり
バーが嫌いなわけでは無いと言う事

確かに、バーに行くと
自分の世界に入ってしまうところがある
一人で飲むとどうしても色々考え事をしてしまうわけだ

その事から

普段は自分からなるべく
一歩踏み出すようにしているのだが
バー等に行くと相手に踏み出されてはじめて
こちらから踏み出す
という行動パターンに変わるわけだ


と先日は綴ったが
もっと詳しく言うなれば

バー等に行くと一人の世界に入ってしまうが
踏み出すのが億劫になるわけではなく

踏み出そうと思わないだけで
相手に踏み出されたらこちらからも踏み出す


といった方がいい

基本的に一人の時間が好きな自分は
一人で呑みに行くと
一人の時間としてすごしてしまう

のかもしれない

まあ、要は多面性を持つ人なのだと
自分のことを見てくれたらいいのだと思う





バーで働きたいと思うのは
自分が接客が好きだからだ。

色々な人とお客さんと
話をしながら飲み食いをする
そんなことが好きなのだ

もし望めるならば
自分のカフェを持ったりバーを持ったりして
色々な人と会話の花を咲かせたい
そんな夢もある

人の笑顔をみたい
人との会話を楽しみたい
人に触れていたい

そんな思いからだろう


実際接客するときは人が変わるらしい
人柄が見えるというかなんというか…
というのは友人の談だが

まあ、普段内包してる性格が
一部見え隠れするのだろう。




実際自分でも心構えが変わるのがわかる
自分の世界にのんびり佇んでいる時と違い

扉を開けるように
自分から踏み込んでいるのがわかる



相手に合わせるでもなく
自分の中に閉じ込もるでもなく

自分の空気を広げてしまう


演劇をする時と少し似てるのだが

自分のペースに周りが合わせてくれる形になるのだ
自分の空気に周りが溶け込んでくる

違和感もなく
自然に



それは自分の持ち味なのだろうけれども
普段から使うことはない

古い友人になぜかといわれたことがあるが

(ちなみに普段は硬派な人間らしい)
↑これもまた友人談


単純にどちらの自分も
自分が好きだからだろう

普段はこっち
接客の時はこっち
誰かといる時はこっち

そんな風に自分をわけているだけだ

誰もがしていることだろうと思う


ただその差が少し自分の場合は広いだけで

まるで風みたいに形を変える


↑エンピツ投票ボタン押すと文章の続きが見れます


じぶんはそんな人間なのだろう



今日の一口<自己分析は難しい>



My追加





2004年04月02日(金)
空間に溶け込むか溶け込まないか

自分は実はバーにはあまり行かない
嫌いなわけでは無い


友人に誘われたらひょいひょい付いていくし
そういうところで飲むのは好きだ


だがそういう所に一人で行ったりはしない

そういう所に行くと自分は無口になる
いや。話しかけられたら話すのだけれども
積極性がなくなるのだ。

それは何故か。
自分は以前ここで綴ったように
人と対話する時には
積極的に話をするように考えている

いや。考えていると言ったら語弊があるか
心がけておるといった方がいいだろう

要は開放的で積極的な
行動をするようにしているのだ

だが、バーに入ったとたん。それは逆転する。
閉鎖的で内向的な
行動パターンになってしまうわけだ。


それは警戒心が強くなるからが一つあるだろう
昔、色々あったせいなのだがここでは詳しく綴れない

だが、どうもそれ以来警戒心が先にたつ

もう一つは自分が元々空間に溶け込むタイプでは無いという事
周りの空気に入るより自分の空気を保つ方が好きなのだ

だから自分から話しかけたりはしない
かといって人に話しかけられると話さないわけではない

むしろ良く話す方だ。


まあ、この辺が自分の悪い癖なのだが

要は
普段は自分からなるべく一歩踏み出すようにしているのだが
バー等に行くと相手に踏み出されてはじめてこちらから踏み出す
という行動パターンに変わるわけだ


だが、そうそう、踏み出してくる人がいるわけでもなく
元々目つきが鋭いのか、近寄りがたい顔つきらしいのが手伝ってか
まず話しかけられることは無い

よって一人でちびちびやる(呑む)だけになるのである

だが、一人でちびちびやるのならば
家でだってできるし、正直酒がうまくない。

一人で飲む酒ほどまずいものは無い気がする
話す相手がいて呑む相手がいて初めて
自分にとって酒は旨いのだ

だから自分はバーに一人では行かない

そこの空気に空間に
溶け込まず一人で飲むのならば
バーに行く意味も無いのだ



今日の一口<空気に合わせるのではなくて空気を広げよう>


My追加



2004年04月01日(木)
言葉に出来ない

先日遅ればせながら
THE LORD OF THE RINGS 〜王の帰還〜
を見てきた

ここでその内容を語ることはあえてしないが
この作品は絶対スクリーンで見るべき映画だ

小さなテレビで見るべきものじゃない
それだけのことを言い切れる

壮大さ力強さがあった

本当にとても良かった


感動という言葉で表しきれない

いや表せない


言葉になんかできない
筆舌に表すことなどできないが

とにかく泣いた
泣いた

瞳から涙がただ溢れて

自分の中の悪いものが全て流れていくような
あらわれるような感覚




仲間の大切さや辛さや痛みが

もう戻れないと覚悟を決めた人物の
郷愁の思いが

そういったもの全てがまるで潮のように満ちて

本当に言葉に出来ない


自分が涙もろいせいもあるかもしれない

自分より年かさの方と比べ
映画を見てきてる数が少ないからかもしれない


それでも自分は言い切りたい


これは傑作だ

不朽の名作になろう

こんな映画他には無い

今日の一口<こんな心あらわれるものを作ってみたい>


My追加