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オオカミ

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2004年02月10日(火)
ここから始めよう

今日から、今まで書いていた日記も続けながら。
ここにも日記を書こうと思う。

何故、今から新しく日記を作るのかだけれども。
出来事や、思いについて自分と向き合う時間を増やすため。

今までに、自分となるべく、向き合って生きてきたつもりだが、
その機会をこれまで以上に増やそうと思えたからだ。

それに、ここに書き込むことで自分も気が付かなかった、
自分の気持ちもわかってくるのではないだろうかとも思う。

また、ここでの文章の中に、自分というものを入れていき。
俺自身を、もっと、色々な人に知ってもらいたい…のかもしれない。

普段の自分は不器用で、自分の気持ちを素直に出せなかったりする。
だから、ここでは素直に自分を出していきたいと思う。

だから、時には、日記ではないかもしれない。
時には何かの事柄や思いに関する、文章だったり、詩であったり
するかもしれない。
むしろ、そちらのほうが多いだろう。

そう決めた上で
一生懸命。でも。楽しみながら。
ここから始めようと思う。

[今日の一口]<終わるのは簡単だ。始める事こそ難しい>



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2004年02月11日(水)
歌が好きな自分

ただ今、朝6時。
何故こんなに日記書くのが遅いかといいますと
今日は夜中も一時から小田和正のクリスマスライブの
再放送を三時までみていたんです。

そして、その後からHPをいじってたためなんですよね。

それで、その小田和正のライブなんですが、とにかくすごい。

小田和正が色々な人と色々な歌を歌うんですよ。
ミスチルや、ゆずと、ハモって歌ったり、
世界でひとつだけの花を歌ったり…。

とてつもなく感動いたしました。

やっぱり自分は、歌が好きだと改めて実感。
元々小田和正のファンですが、なんでかというとあの透き通る歌声は
もちろんなんですが、やはり詞が好きなんですよね。
優しい、包み込むような詞をかかれていて、聞いてると心が和みます。

自分が詩を書くようになった理由の一つにアーティスト達の歌があります。

元々、俺は歌うのが好きで、物心ついた時から、歌は歌ってたと思います。
それは家族の、影響がかなり大きいとは思います。
今でももちろん歌うのが好きなのですが、
自分の好む歌は、歌を聴いて言葉が聞き取れ、歌詞が良い歌がほとんどです。

そこからも分かるように多分俺は、
歌の中の言葉が好きだったんではないかと思います。もちろん音も好きなのですが、

「1に言葉」「2に音」「3にリズム」

っといった感じで…。

ですから、今でこそ、洋楽も多少は聴きますが、
洋楽ファンの皆様には申し訳ないですが昔は何がいいのか分かりませんでした。
言葉が伝わってきませんから。

…話が横にそれてしまいました。すいません。

それで自分が伝えたいことは、言葉がやはり一番好きだと言うことです。
本当に言葉で表現するのが好きです。

ですから、俺は詩を書きます。言葉を…書きます。


今日の一口<枠にはめない自由な心を持とう>



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2004年02月12日(木)
始まりを妨害されたような心を持つ

今日バイト先で、自分のHPを見て、驚きました。

自分の家のPCはセキュリティがきいてるため、気がつかなかったのですが、
バイト先のCPで見たところUPしたHPの上にすごく大きい、
広告が着いていまして正直、衝撃を隠せません。

とても驚きまして、それと同時に悔しさがありました。

でも、それは考慮にまったく入れてなかった、俺も悪いのだとは思う。

色々HP管理サイトを見て周り、この広告を消すか、
場所を変える方法を探してみましたが無い模様。

いや。正確にはあるにはあるのですが、お金がかかるようです。

ですが、お金をかけて、広告を消すのなら、
有料HPに変えた方がいいのではないかと思ったのです。

仕方ないのであきらめて、サーバーを変えるか、
有料HPに変えるかした方がよいかもしれませんね。





俺はどうも元々、頭が固い人間なのかもしれませんが、
物事が思うとおり行かないと、自分に腹を立ててしまう。

自分が、自分に腹を立てる事ほど滑稽なことは無いのかもしれないのですが、
これだけは、治らないかもしれません。

今回もそのいい例で、家に帰って今すぐにでもサーバーを変えるなりして、
HPから、広告を消したいと頭の中で考えてしまっています。

でも、ここで、自分に対して思うのですが、悔しいと感じたときや、
腹立たしく思ったときの自分の行動能力や思考能力は、
自分にとって必要だとも思うのです。

回りに迷惑をかけてるわけでもないのだから。
ですから、治らないのではなくて治しません。

ただ、ここで物事を投げ捨てるような…
…逃げるような人間にだけはなりたくないと思う。




今日の一口<自分の中の自分と他人の中の自分は違うだろう>



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2004年02月13日(金)
怠惰な自分に対する苛立ち

今日バイトの後友達とTVゲームをやって
時間をつぶしてました。



自分は昔からゲームが好きでした。


その思いは、自分が病気持ちだった
と言うこともあり。


親が、ゲームを買って
くれなかったことで


余計に強くなっていたような気がします。

従兄弟が、ゲームを持っていたので
従兄弟の家に行くたびに


ゲームをしていました。

そして自分がゲームを持ったのは
高校2年の時でした。


周りの友達のみんながゲームを持ってたので、

病気も治ってきたし
買うことを許してもらったためです


そのために、家族会議までしたと思います


そして現在ですが
俺はほとんどゲームをやらなくなりました。

友達と同じゲームをやったりして
盛り上がったりはしますが。


一人でゲームはまず、しなくなりました。


何故かというと
一人でだらだらゲームをしてると

他に何か出来るのではないかと。


やるべきことがあるのではないかと
思うからです。


俺にとってある時期からゲームは、

「遊び」ではなく「暇つぶし」になりました。



ただただ、怠惰にゲームをやり
時間だけが流れていく。


それならば
その時間で他に出来ることがあるのではないかと。

そんな呼びかけが自分の中にあるのに
その呼びかけに応えようとしない。



そんな、怠惰な自分に対する苛立ちから、


ゲームをやらなくなったのです。



きっかけは簡単でした。
やりたいことを見つければよかったんです。

詩を書いたり絵を描いたり
歌を歌ったり
勉強したり

やりたいことが分からないなら
片っ端からやっていけばよかったんです

出来ないと思わずに。

本当にやりたいことじゃないかもしれない
だからやらない。

そうではなくてやりたいことを見つけるためには
取り組まなくちゃあいけない。

やりたいことが出来たら動くではなくて
動くからやりたいことが見つかるのだと


俺は思います


…そんな思いが、今日友達とゲームをしているときに
蘇り、反芻し、ここに書かれている。
自分自身、不思議な感じがしますが…


娯楽は大切だとは思う。


でも、娯楽だけの人生は
楽しくないと俺は思いますね。



今日のひと口<僕らより不幸な人はいる。自分だけが不幸だと思うな>



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2004年02月14日(土)
人に嫌われて平気な人はいないだろう

夕飯前辺りだろうか。
知人達の間で、いじめに対する些細な話をしていた。
いじめられる方にも原因があるとかいじめられることで
人の気持ちを分かるようになるとか。

そんな話をしてるときに、その中のの一人がこんな事を言った。

「でも、僕はいじめられたことは無いけど、
嫌わる事なら良くありましたよ」

彼はそれに続けてこうも言った。

「いや。今も変わらないかもしれませんけどね。
まあ、もう平気ですから」と。

俺はそれを聞いたとき空間が凍る音を聞いた気がした。
皆が静まり返り、数瞬の間、誰も何も話さなかった。

たぶん、誰かはフォローを入れようとして出来なかったんだと思う。

なぜなら、彼自身も分かってる通り

今でも、誰かに嫌われているから。
そして、それを皆がしっていたからだ。

俺自身は相談された訳でなければ意見を言うわけでもなく、まして
相手が、フォローを入れて欲しかった訳でも無さそうなので、
冷たいようだが放っておいた。

そこから、話題は変わり、空間はぬくもりを取り戻した。

ここの会話で、自分は何故だ。と思っていた。

人に嫌われて平気なわけが無いだろう。何故、「笑いながら」
そんな話をするのだろうか。

俺自体も人に嫌われた経験は自分の中にあったから余計に、
そう思った。もちろん彼が本気で、言ったわけじゃないだろう事も分かる。

だが、何故そのように言葉に出せるのか。
俺は嫌われた記憶が平気な人はいないだろうと思う。

それを受け止めて心の中に入れておくか、逃げるか。
それしかないと思う。そして今嫌われ者の状況なら、
自分ならばそれを打破するのに、躍起になるだろう。

でも、それを笑って話す彼は受け止めているのだろうか。
本当に悩んでいるなら、笑って話せないはずだろう。
本当に苦しいのなら、口に出せないだろう。
悩んでる分かってる振りをして、逃げてるのだろうか。
それとも、あきらめきって、笑い飛ばすしかないのだろうか。
もしそうならば、彼が…

…少し悲しいな。と、俺は思う。




[今日の一口]<周りを見よう。自分を見よう。中から外へと>



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2004年02月15日(日)
理屈〜痛感へと…

ここ最近、俺は体づくりをしている。
ジムに行ったり、合気道に行ったり。
家で筋肉トレーニングをしたりである。

だが、なかなか、筋肉がつかない。
筋力が上がっていないかと言えば、そうではないだろう。
何故そういいきれるかと言うと、筋肉痛になってない日は無いからだ。
それでも、体重は増えない。
これは、どういうことだろう。とずっと思っていた。

いや。理屈では分かっていたのだ。

骨太の人は筋肉や脂肪がつきやすい。
骨細の人は逆につきにくい。

といったように体質の差により、筋肉がつきにくい人がいる。
そしてそれが、自分なのだと。

だが、理屈で分かるのと、本当に分かってしまうのは違うのである。

今日は久しぶりの人にあった。
この人は、俺や、周りの人にちょっかいを良く出してくる人で。
何か気が向いては、人をこそばしてきたり
肩をつかんできたりするような奴なのだ。
その人に、今日おもむろに、こういわれた。

「おい。ちょっと、腕に力入れてくれへんか?」

その時、自分の横には知人が一人いて、そいつが
「ああ。ええよ」といって、上腕二等筋に力を入れた。
俺の腕のゆうは二周りも違う腕の太い奴だ。

質問をした奴は
返事をしたそいつの力こぶを、思いっきり握りつぶそうとする。すると

「痛!ちょっと!無理やて。きついなあ」

と力んでいたそいつは腕を引っ込めた。
それで、次は俺の番とばかりに、腕を握ってた奴が、手を伸ばしてきたので

「ほら」

と俺も腕に力を入れる。
すると、どうだろう。
全然、つぶされそうも無い。
圧力を感じる程度だった。
俺が、力を入れた状態で踏ん張っていると
向こうが根負けしたようで、腕から手をのけた。
そして、

「あかんなあ」
「そんなもんじゃつぶされへんよ」

そんな会話。
この時俺の中に少し優越感が浮かんだ。
だが、それと同時にそれ以上に、愕然としてしまった。
腕の太さの差と、力の差のギャップについてである。

結局そういうことなのだ。と思った。
体質の差が物をいう。
そのことを本当の意味で痛感した。
少し悔しかった。
だが、それと同時に負けん気も沸いてくる。
俺の腕より二周り大きい奴と、同じものが欲しかったら、
3倍は力が強くないといけないのだろう。
ならば、俺は、人の三倍努力しよう。
と、心に決めた。

[今日の一口]<諦めない心それは強さにつながるだろう>



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2004年02月16日(月)
力をくれる本

今日「Itと呼ばれた子」という本をよんだ[幼年期]
読み終えた後、自分は泣いてしまっていた。
余りに苦しく、余りに痛い話だった。

母親から生まれ愛を注がれた子供が、
ある瞬間から、痛みと苦しみだけを押し付けられる。
生きていけてるのがやっとの状況の中で、
その状況の中だからこそ、生きる強さのあるその人。

そんな彼を本の中に見て、
生きたいと。本当に生きたいと思う気持ちほど強いものは無いのかもしれないと思う。

今の日本人の幾らかの人には
何故今生きてるか解らない人がいるだろう。
先が見えなくて動けない人もいるだろう。
生きるのが辛くなって、死にたいと思うような人がいるかもしれない。
そんな人にこの本は是非読んで欲しいと思えた。
必ず力をもらえる。そんな気がする話だ。

だから、あえてここで、俺は語らないことにする。
読む前に内容をここに綴るべきでもないだろう。
自分の好きな人に。自分を好きでいてくれている人に是非見て欲しい。


「何故僕だけこんなめに?」――母親に名前も呼んでもらえない。
”this boy(あの子)”から、ついには”It(それ)”と呼ばれるようになる。
食べ物も与えられず、奴隷のように働かされる。身の回りの世話はおろか、
暴力を振るわれ、命の危険にさらされ、かばってくれた父親も姿を消してしまう――
児童虐待の体験者が、その記憶をたどることは、きわめて苦痛と困難を、ともなうものだ。
本書は、米国カリフォルニア州史上最悪といわれた虐待を生き抜いた著者が、
幼児期のトラウマを、乗り越えて自らつづった、貴重な真実の記録である。
          「It」と呼ばれた子 幼年期 著者 デイヴ・ペルサー
                          訳 田栗美奈子
出版社 ヴィレッジブックス


[今日の一言]<痛みも苦しみも昇華し生きていく力に変えよう>



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