WEB!! J.B.Pro.薔薇色の日々
ほしの・しらど



 手作り体験チキンラーメン

池田市にある「インスタントラーメン記念館」にいつものママメンバー+子供たちを連れて行ってきました。

チキンラーメンで有名な日清です。
創設者、安藤百福(あんどうももふく)さんの解説スペースや、発売当初のインスタントラーメンから現在発売されている物のパッケージが、ずーっと飾ってある壁など、老若男女が楽しめる記念館です。

ここは基本的に無料で見学でき、カップヌードルのトッピングなどを当日有料で選んで、オリジナルの味を作ってもって帰れるので、今まで何回かみんなで来た事があったんですが、今回は特別。

なんと、3ヶ月前からの激戦予約の中、新八が電話を根気よくかけてくれ、「チキンラーメン制作」のアポを取っての参加なのです。
(1/3に電話かけっ放してくれたよ)

これは、記念館の調理室を使って、材料を1から手ごねして麺から作るコースで、低学年までは保護者同伴の事、という約束事などもあるれっきとした調理体験なのです。

麺を作る前に、グループごとに説明を受け、バンダナ、エプロンを速やかに着け、消毒をほどこし、いざ作業。

高学年のうちの長男は低学年のタイセイ君と組んでコネコネ。
わいわいがやがや、とスタッフのお兄さんに指導受けながら、麺をこね、製麺機にかけてローラーで何度も伸ばし、味をつけ込んで、一人前100gきっちり計り、フライ用のざるに一人分ずつ入れて、あとはスタッフにお任せ。

その間に、チキンラーメンの袋に好きなイラストを描いて時間つぶし。

さてさて、できあがりましたのは..............、売っているものとほぼ変わりない味と形。
(そりゃそうか)

手作り満載なので、賞味期限は一ヶ月。

ちょっと楽しそうでしょ?(^^)






2010年03月31日(水)



 花冷え

寒いっす。

もうすぐ4月が目の前だってのに、なにこの寒波。
愛猫だっこすると静電気がおこります。

仕事場が引っ越しして、何となく居心地も落ち着いて来た昨今。
自転車で片道20分。
帰りはやや坂道。
えーーー運動です(^^)

晴れた日はバイクで行こうかと思いつつ、自転車の方が気楽で。
運動になるから途中から寒くなくなる。
帰る頃なんかは上着いらんで、状態。

これから良い気候がきますと、ますます鼻歌なんかでチャリチャリ行きそう。
よかですねぇ〜vv

しばらくサイトに入れなかった方々、すみません。
有料サイトの料金を振り込んでから、多少の行き違いで表示されませんでした。
もう、大丈夫です。

そしてMac一台を自分のデスクに持って来たので、絵も描きやすくなったと(笑)
リビングではなかなか描けませんわ、イラスト。

仕事先のHPを立ち上げなくてはいけないので、ドリームウェーバーCS4のテキスト読んでたら、まー、進歩しててビックリざます。
寝入りばなに、そういうパソコンソフトや携帯の説明書なんかを熟読する時が至福な時間。
もー、説明書大好きな私にとって、おNEWのソフトの解説書はタマらんです。はあはあはあ。

こうなったら、時間が足りんです。
部屋を整理してて出て来る昔の同人誌見てても、時間が足りんです(フフフフ)



2010年03月29日(月)



 イカナゴの釘煮

昨日、3/10は旦那の誕生日。
ほのパパのブログを見たら、ほのママの誕生日と一緒か(笑)
なんでそんなに縁があるの。
命日は妹の誕生日やし(^^)=3

その夜、実家でいかなごの釘煮を作ってくれた上に、車でお裾分け、持ってきてくれましたvvv
今年は自分で作ろうかな〜と思いつつ、なかなか生のイカナゴを買うタイミングが合わなくて、今年も市販のもので良いか、と考えていたんで、嬉しいー。
兵庫県に来て初めていかなごの釘煮の存在を知ったというか、「季節の物」というのを知ったというか.....。
とにかく若いママもご年配も、この時期「いかなご」「いかなご」
自宅で炊くのが一般的のようですが、それがまた各家によって味が違う「おふくろの味」だそうです。

甘い、それほどでもない、固い、柔らかい、ショウガ多め、少なめ、などなど。

出始めの頃の小さいイカナゴから、時期を追うたびに少しずつ大きくなるイカナゴ。
あ、ちなみに魚の稚魚ですよ、イカナゴ。知らない方(私もそうだった)

明石の漁港から朝獲りのイカナゴは、スーパーで入荷予告が出るくらいに人気です。
すでに午前中で朝獲り分はなくなります。
みなさんキロ単位で購入して、自宅で甘辛く炊きます。
そうして大量にできたイカナゴの釘煮を近所や親戚に「春」の物としてお裾分けするんですって。
遠方の親戚なんかには、「イカナゴ専用」発送用にゆうパックまで準備している郵便局があるくらいで。

兵庫県に来てカルチャーショックだったのでした。
(兵庫県だけではないんでしょうが、はげしい/笑)

こんやも長男は空手。
次男は週一の稽古なので、今夜はなし。
道場まで私も一緒に行くので、今夜も次男と旦那でイカナゴ食べといてもらいます(笑)





2010年03月11日(木)



 メデューサ降臨????

天気悪いと洗濯物がタマラン事になってしまいます。
毎日、最低2回はまわす洗濯物を溜めるとエライこってす。
それに道着が入ると、これまた尋常じゃないっす。

それはさておき、会社の引っ越しが12日からになりました。
もう、今週いっぱいで移動です。
まだ契約は切れてないらしいけど、もう今の場所での作業はしなくなるでしょう。
デザインの仕事なら、極端に言えば家でもできます。 
(変更や指示がその場で確認しづらいのでやりませんが)
しかし、プリント作業となると仕事先で稼働するしかないので、今進行中の仕事は引っ越してからの作業になります。
...ので、いまのところほとんどプリントもお休み。
(少量のプリントならしてますが)

で、今日はたっぷり洗濯してます。
天気が多少回復したときにやっとかないと...。

今、近所のKさんが金曜日の立ち番「下校時見守り」の腕章もってこられた。
小学生の登下校の「旗当番」や「立ち番」も、Kさんはこれで終了。
(子供さんが小学校を卒業されるのでね)
いいな〜。
うちは2人いるから、合計9年間やらなきゃ。
「旗当番、6年間一度も雨が降らなかったよ!ラッキーやったvvv」
そりゃ、すげぇ。
晴れ女の私でも、多少降られてるよ。
おつかれさんでした。
私もはやく「終わった〜、あとは頑張ってね!!」とMさんに笑って渡したい(笑)

ここんところ、次男のアレルギーによる目のかゆみがピークに達してたので、耳鼻科でもらう点眼液が終わったところで眼科へ。
薬は引き続き耳鼻科の物を飲んでますが、目の周りが少し荒れてしまっているようで点眼液だけでは間に合いません。
眼科へ行くと、2種類の点眼液と、皮膚薬を出してもらいました。
それから1週間にもなりませんが、随分とかゆみがマシになっている様子。
目のシバシバ感がなくなっています。

ところで、眼圧を計るあの、空気がプシッと飛んでくるやつ、あれを平気で楽しんで一発OKだったのには驚き!
私はいつもあの空気が飛んでくるのにビビって、ついつい何度もやり直しさせられます。

私もまた眼科でそろそろコンタクトレンズを作り直さねば。

今、眼鏡です。
さっちゃんさんの様な、赤いふちのドS眼鏡です(笑)
でも、空手の時には外さないといけません。

以前はハードコンタクトレンズをつけたまま空手してましたが、どうかな、裸眼の方が安全ちゃ安全だと思います。
視力が合わなくなったきっかけで眼鏡にしてますが、これまたものすごい視力がないので外して稽古を再開した最初は逆に見えなくて怖かったです。
でも、先週、りゅうじママと稽古してて、後から思うと、何か、はっきり相手が見えてた気がするんですよね。
ミットでも、組手でも、脳内で変換されてたのかもしれませんが、はっきりと相手が見えてた。
(.........気がする/笑)

ハードコンタクトレンズを新たに買う(以前のように始終コンタクトを使う)か、使い捨てのソフトを買っとく(何かの時だけコンタクトで過ごす、くらいの頻度)か、今、考えてます〜。
うーん。

次男が静かにしてた夜。
ふと覗くと「あ、まだ見たあかん!」と笑って振り向いたその頭!!
......ひとりでなにやってんだかな〜(笑)
「石にな〜あれ」のメデューサらしいです、映画の影響?
↓パーマ中の人にしか見えなかったよ、わたしゃ。



2010年03月08日(月)



 クッと寝た

のどが痛いっす。

昨日、日記書いた後に高学年の参観に出かけたときにも、ヤバいほど咽がビリビリしてましたが、夕飯作ってるときからもう鼻から咽に抜けるあたりから、ゴボゥという感じに腫れてきているのが判って...。
扁桃腺が未だ炎症起こすので、困ります。

8時頃からもう子供たちをせかして、9時前には寝室へ。
旦那が宿直だったので、親子3人で長男と次男はテレビ、私は寝る気満々で布団に潜り込みました。
「おにーちゃん、寝た?」
「ケータは?」
ヒソヒソと言う声にふと目を覚まし、自分だけすこーしだけ寝入ってたんだと気づいた時、
「もう、(テレビ)消していい?」
「まだ、終わってないやん」
と、またしてもヒソヒソ。

テレビでは難病にかかっていじめられていた少年をスーパードクターが救うという「1,2,3」(←わかりますね笑)
兄が怖がっていたのは、手術後に大量出血してしまった映像だったらしく、CMの間に怖がっていた様子。
「あ?最後まで見な、よけい怖いやろ?ちゃんと治ったん見てから寝た方が良いんちゃうん」
ボソッと言った私に、子供たちは「起きたん?」と詰め寄り、
「おかーさん起きてんなら、見るわ」と一安心(笑)

クッと寝た感じで、逆に眠気が吹っ飛んだ私は、結局その後、長男が寝付くまで起きていたのでした。
とほほ。

「誰か起きてたら安心して寝れんねん」
既に夢の中の次男を見ながら、長男はゆっくり目を閉じたまま言います。
「はよ寝。...お母さん、今回の2人の参観と懇談でな、すごい、先生があんたらの事可愛がってたんやな〜ってホンマ思った。幸せでしたって、S先生もO先生も嬉しそうやったで」
「ほんま?」
「2人とも、懇談に残ったお母さんらから"遊びに来てくれた時に、挨拶をちゃんとしてくれて礼儀正しくて感心する"って言われて、嬉しかったわー」
「ははは」
「卒業式の送る歌な、今日、国語でじっくり歌詞を勉強したやん、あれ見ててフミ君のお母さんと"涙でるなー"って堪えててんで」
「あはははははは」
「はっはははははは」
(ここは2人でレッドシアター見て笑ったんですけど)

「やばいわ、お母さん朝、熱出てたらどーしよう。旗当番、ヤバかったら変わってもらえへん。ブッチなんかした事ないのに」
「雨降んの?」
「そーやんかー。熱でてんのに、雨降ったら最悪や」

ま、雨は降っても熱は出ませんでしたけどねーーーーー(セーフ)

そんなこんなの昨夜は、グダグダに寝入りました。
でも、夕食は一応、雛祭りってことで、ちらし寿司と吸い物、和スイーツ。
「三色だんごって、意味あんねんで」
昼間に得たうんちくを言おうとすると、
「トモコレであるな、三色だんご」
と、すぐ話が飛んでしまいました。

ま、いっか。
でも、買ってきた穴子......ちらし寿司に混ぜ入れるの忘れたのを、旗当番前に気づいた。
ちぇっ。



2010年03月04日(木)



 てか、ひな祭りだよ(無縁/笑)

昨夜、久しぶりに空手仲間のママが復帰して以来、一般女性2人で組手ができました。
先週はその相手のりゅうじママが復帰初日にして途中でダウンしてしまったので、本部の有段者ミホさんにお相手願ったのですが、昨夜はリハビリ同士で(笑)最初から最後までペアに。

終わってみると、りゅうじママの右手の甲が腫れ上がってます。
「あちゃ〜、なんでこんなに腫れてんの?」(りゅうじママ)
「ミットか?」(私)
「わからん。でも痛(イタ)ないねん。はははは、やばいかな。あははははは」(り)
「いや、私の左の肘が異常に腫れてるのと関係あるかもな」(私)
「え?(私の肘をみて)あ〜、組手ん時か。なんかわからんけどかなり打ってたんやろな」(り)
「なんかわからんけど、腕がブラーンてなった時あったから、多分そん時にお互い」(私)
「あかんなー、よう判らんうちにとんでもないわ!。あはははは」(り)

ドMかっ!!
あほか!!(笑)

でも笑ってるんだよな。
仕方ないなぁ(ほんま)

昨日は低学年の参観と懇談会。
今日は高学年の参観と懇談会。
2日続けて私も昼から登校。
ちょっと...、指に巻いたテーピングが穏やかでない私ですが、ま、空手を続けている喜びとでも言いますか(笑)

昨日の日記に関して、書き込んだ後に買い物に行ったものの、「消そうかな」と思ってしまったくらいに恥ずかしくなってしまいました。
や、自分の日記だからこそ書き込んでしまっても良いんでしょうが、かりにもネット上にある日記というのは、それこそ公の場に垂れ流している物ですし、やっぱ嘘は良くないけどあまりにも悶々としてるもので...(苦笑)

ところが、四ノ宮さんや成田さん、ほか、多少なりとも日記に対して返信や書き込みをしていただきまして........。
励ましというよりは「自分の気持ちに正直に」というふうに後押ししていただく暖かいお言葉をもらい、消さなくてよかった〜とぬるい甘えに浸っております。ふふふふふふ。
調子に乗りそう(笑)

まあ、昨日いきなり深刻になった、というわけでもなく、長い間の積もり積もった思いをようやく文章にするまでに固まってきたという状態で、昨日の日記に至ってますので、本人の日々の悩みと言えば「あ〜、明日の朝は旗当番か、だりィ〜なあぁぁぁぁ」てなくらいなモンです。
しょぼい。

あ、テレビのニュースでマイケルのオークションの事やってる。
「This is it」DVD買って観たとき、私ゃ時間忘れて観ましたね〜。
完成されたライブが見たかったと、心底思いました。
リハーサルの映像であそこまでの映像ができるなら、本番はさぞや、と。
PVの時から大好きだった「BLACK OR WHITE」「EARTH SONG」。
特にライブでやろうとしていた「EARTH SONG」のスクリーン&ステージは、ほんとうに完成版を見たかったです。

さてと、今日は頂いたチョコのお返しに文房具でも買いにいきますか。
リラックマのキャンディボックスを買ったんですが、昨日、2年のクラスを見ていると、鉛筆の後ろにチャラチャラとしたストラップがついている物を多用している女子が多い!!
チョコをくれた女子のママも同じクラスにいるので、
「リラックマにしてんけど、あーいう鉛筆の方が良いかなぁ」
と、耳打ちすると、
「ごめんなー、気ぃ使わせて!!.....うーん、でもあの鉛筆とか、すっごい好きやねんうちの子も」

好きな物が聞けるので、お返しも楽なもんです(笑)

↓ミヅちゃんが次男にわざわざ届けにきてくれた手作りチョコですからvvv





2010年03月03日(水)



 本心から

四ノ宮さん、新刊またまたおめでとうございます!
順調に発刊されてますね〜vvv
いつも先駆けてメールで知らせてくれるんで、先走り楽しみにしていますよん(^^)

四ノ宮さんに触発された訳でもないんですが、とーーーっても今、悶々と考えている事があります。

売れる売れない、イベントの予定に合う合わない、じゃなくて、全然違う場所に立って、今、私は描きたいと思っている幕末があるんです。

もちろん、大鳥や伝習、土方らが中心の脱走軍の話なんです。
が、何年も前からずっと考えつつ実現していない本です。

考えが制作に追いつかないのが一番の難点です(あかんな)

ちょっと違う話になりますが、私が同人誌をイベントで売っていた初期の頃。
幕末に転向して以降、数人の作家さんの本を読んで衝撃をうけました。
なんと言うか、私には絶対に描けない視点と、画風、センス。

好きなだけでは描けない深い内容。
(あとでご本人に言ったら、「深い意味はなかった」と笑ってらしたけど)

「こんなのを描かないとダメかも」と落ち込み、逆にその作家さんの本が見たくなくなりました。

とっても気になるのに、見たくない。
嫌いじゃないのに、傷つきそう。

ご本人さんと話をしたいのに、顔は笑顔が張り付き、いっぺん通りの挨拶しか言えず、ひいてはイベントで会いたくない、と思ってしまうくらいの緊張感。
どこかで活躍されているのを見ても、読みたくて気になって仕方ないのに、悔しくて腹立たしくて、手に取れなかった気持ち。

わかりますか?
ほんとうに心酔している作家さんに、めちゃくちゃ一方的にライバル心を燃え上がらせていたのです。
なぜ、私はあれくらいの物を描けないのか。
なぜ、あの人はあんな話が描けるのか。
なぜ、こんなに心を奪われるのか。
そして、心乱されるのか。

しばらくして、その作家さんと仲良くなり、メールやブログなどで時折、交流をさせてもらうようになりました。

そして、意を決してメールを使い、告白と懺悔をしたのです。
「私は昔、あなたの作品に惚れ込んで以降、どうにもあなたとイベントで同席するのに緊張し、恐がり、新しい作品を見るにつけ、焦燥と嫉妬でいっぱいになっていました。そんな自分がどうしても苦しくて、嫌いでした。親しくなった今でも、まだその気持ちがあります。」

すると、すぐに返信が届きました。
「私も同じような気持ちでした。」

その返信メールを泣きながら読んだ覚えがあります。
心が解けていくような安堵感に、罪悪感が消えていきました。

四ノ宮さんは、当時のその作家さんではありません。
が、内心嫉妬するようなライバルです。
小説、イラストと表現する方法は違っても、自分の道を模索し続けている人間同士です。

生活条件も違います。
はるかに四ノ宮さんの方がハードな人生でしょう。
それでも、彼女は自分の道を突き進んでいるのです。

頭が上がりません。が、今は下げてる場合ではないのです。
私も模索し続けています。
彼女が自分の道でプロになったのは彼女の努力。
私は、今は仕事として服飾イラストレーターに。

そう、しかし、自己表現するべきイラストを私は仕事にしていないのです。

正直、自称イラストレーターはたくさんいて、それなりに臨時収入をもらっている人はプロと称しています。
ま、出版社に帰属していなくても、フリーでできるのはイラストレーターの良いところですし。
実際にフリーで有名な描き手さんもたくさんいらっしゃいます。

四ノ宮さんに表紙を依頼してもらうのはとっても嬉しいし、ありがたいです。
本気でその作品のために描いてます。
かつて描いた書籍カットやポスターなどもフリーの私が受けた正規の仕事です。


ところが、ここに来て、昔、知り合った作家さんたち、四ノ宮さん、......彼女たちに今もってライバル心を燃やし続けている自分が、いったい何をしたいのかを自問自答する日々が続きました。
ここ何年も、何年も。

やっぱり漫画を描くしかないようです。
ストーリー、動き回る人物たち、吐き出す台詞、感情。
考えれば考えるほど、頭に場面が巡り、大鳥が企て、土方が見返り、本多が笑い、滝川が怒鳴り、近藤が見据える.......。

彼らをただ動かすだけじゃ、歴史漫画にしかならない。

初期、幕末を追い込むように描きなぐった原稿用紙の中には、血なまぐさい京都の闇や、広い海原、まぶしい雪景色、祭りの喧噪が生臭いくらいに入り込んでいたはずだ。

その純粋な情熱は、小手先で描けるようになった後期に消えてしまっていた。

彼女らは、見抜いていたのかもしれない。
読者にも見破られていただろう。

ほしの・しらどはつまらないヤツになった。
読む人に何にも与えなくなった。
わかってる、わかってる。
私が一番それを感じている。

何年も何年もそれが自分を押しつぶしていました。


デビューした四ノ宮さん始め、もっと前に漫画家としてプロになっていった仲の良かった作家さんたち。
心から応援していると同時に、私はあがきながらどこへ行こうかまだ迷っています。



2010年03月01日(月)
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