WEB!! J.B.Pro.薔薇色の日々
ほしの・しらど



 近況

19日の日曜日に、亡くなったママ友の仏前にお線香をあげにまいりました。
四十九日は御身内の法事なので、その前にお供えをもっていったわけです。

旦那さんとも色々お話ができて、良かった気がします。

頼まれてた表紙とポスターを描き上げました!
また後日、「CG」にアップします。

BBSキリリク、ただ今製作中です。
「見返り土方」格好よく描くのに何枚も描き直してます(苦笑)

空手の稽古、充実してますが、今夜は少し当たりどころが悪かったみたいです(^^;
両スネが腫れ始めてます。

明日、うちで、亡くなったママ友の「弔い飲み会」をします。
魂だけでもいいから、一緒に飲みにこい!

体重が停滞期で落ちません。

朝寝したいのに、旦那の休みがありません。
連日弁当。
でも、旦那の体調が一番気になります。

先日、旦那の仕事関係で描いた紙芝居。
コンテスト入賞はできなかったようですが、旦那の、制服で動いている姿(ビデオ)を初めて見て、子供共々しばし感激。
旦那の発声は良かったけど、時間が限られているので慌ただしい感はいなめませんでした。
発声なら、私、苦労しないのになぁ〜(笑)

配色の勉強をしました。
人様に提供するイラストは、やはりおろそかにできません。

来週は幼稚園の必要なもの(名札や連絡帳など)を園で購入します。
いよいよ、絵本袋やコップ入れなどの手作りも始めます。

とりあえず、近況。
ただ今、イラスト制作中。
メルマガ連載漫画、製作中。

2006年02月24日(金)



 描く描く描く

明日は夏コミ申し込み消印最終日ですな。
郵便局へ行かなきゃ。

なんだかんだと色々ありまして、友人が亡くなってからも日常は進むわけです。

で、幼稚園の説明会や学校の参観日。
旦那の仕事先からもって来たイラストのお仕事。
(これ、めちゃしんどかった)

と、仕事先でいっしょの婦警さんから(これは私事で)頼まれた、少年野球部員たちの似顔絵。
(ものっそ人数いるよ)

...むふ〜ん、いろんなジャンルの絵を描かせてもらった日々でした。

で、今はまた別の絵を描いてます。
これは頼まれたもので、2月末までには渡さないといけないものでして、すでに人物の着色は終了しています。
だからなんとなくペースができてホッとしました。
(今日、人物が終わったわけさ)
あとは、バックと装丁と。

まだ実は色々と描く事が続くんですが、こう、描きはじめるとそういうノリになってくると言うか、そういう作業が続いて入って来ますね。
今は「描くべき」時期なのか、とかね。
感じてます。

それに、手が「描くモード」に入ってると言う感じもします。

しかし、のこり時間がないなぁ。
なんでこう一度に重なるんだろうか(苦笑)
3月までにまだまだ詰まってるよ。

気になるのは、コレだけ描いてても、全然HPの更新に繋がらないトコかな(マイガッ)
隙間を見つけては「滝川×大鳥」の着色もしてるんですが、アップには至らなくて...つか、TOPにいきなり持ってこれませんぜィ、だんな。
更新してもインサイドですぜ。

も、いっか、TOPに出してやっかな、すんごいの(うそです。TOPは無理です)

てなわけで、オフで描きまくってるしらどでした。
も少し浮かんでくるのは先かな。
どうか気長に待っててやってくだせィ。







2006年02月12日(日)



 ありがとう!お疲れ!!

もう2月ですな〜。
ここ数日と言うもの、日付けの感覚がなかったのですが、ついに、と言うか、いつかは、というか…。
1/30に入院していた友達が亡くなりました。
享年35歳です。

30日の朝に息を引き取られ、その晩に通夜を行い、翌日の31日に告別式でした。

私は二日間とも参列して、彼女の今までの闘病生活をねぎらいました。

本当に辛くて恐くて底知れぬ戦いを彼女はしてきたと思います。
私達、親しい友が出来るコトと言えば、見舞いの際にバカ話ばっかりすることでした。
彼女がそれで笑ってくれると一緒に楽しかったし、意識がはっきりしなくなった後期にも、私達が呼び掛けた声にまぶたを動かしてくれるだけで、その反応を喜びました。

同じ年の二人の子供をもつ母親として、彼女の発病と闘病に直に触れるに付け、真剣に子供や旦那のコト、家族と言うものの意味を考えたし、色んな心の準備ももらいました。

苦しみから解かれた彼女の顔と遺影は穏やかであり、凛としたもので、私だけでなく、他の友達も彼女のかつての笑い声しか耳に聴こえて来なかったと言ってました。

彼女の実家の方に転校して行ってた、彼女のまだ小1の長女と保育園の長男は、久しぶりに見るウチの息子達や他の友達に会えた嬉しさで、走り回ってましたが、今まで彼女と共に苦しんで泣いて来たのを知っているだけに、切なくてたまりませんでした。

彼女は、余命3ヶ月と言われてから1/30まで、じつに7ヶ月を生き抜きました。
凄いと思います。
子供の将来を心配しながら、その成長が見届けられないのが辛いと言っていた彼女は、それを力に、最後まで生きようとしていました。
自分がいなくなって、忘れられて行くのが辛いと哀しんでました。

そんなわけないやん。
忘れられるワケないやん。
あんたが生きてた事実はみんな忘れへんよ。
これからも私らダチと一緒に生きて行こうな。
と、遺影に心の中で語りかけました。

ホンマにお疲れさまでした。
またいつかどこかで巡り会いたいよ。

ありがとうな。

二日間、式の間ずっと雨を止めてくれてありがとうな。
今度は大病せん身体で生まれといでや。

また四十九日前に会いに行くで(^^)!!







2006年02月01日(水)
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