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■ ご無沙汰!!
やはり、親と言うものの、子供にしてやれる事は限られているわけでして。
なんとか、なんとか、ようやく、 長男のチックの症状全てをひっくるめて、息子の全てを受け入れていけるようになりました。
息子が一番大変だし、辛いし、悲しい思いをするコトは分かっていても、 チックさえ出なければ、消えてくれれば、とばかり願う私の心は、 周囲の奇異なものを見る視線や、お友達からの 「和馬くんは、なんで動くの?」 という問いかけに、親である私が逃げたかっただけ。
慣れて来たのかもしれないけど、今のとても酷い症状(ジャンプする、喉を鳴らして息を吸い込む、身体がエビ反る、というのが一緒におきるので、一瞬、くしゃみで身体が飛び上がっているように見える。それが時々という範囲では無く、ひっきりなしで出たリする)でも、気にならなくなって来た。
勿論、まるっきり気にならないわけはないが、それが長男の一部と思えてきた。
毎日、楽しく幼稚園には行っている。 先生は、帰りに「今日はわりと出てました」とか「そんなに気にならなかったですよ」とか、報告してくれるようになった。
たまに、他の子のママとかお友達から私に聞いて来たりすると、はっきり私はチックだと言う。 「へえ〜、小さい頃は色々あるんやね」と言って笑ってくれる。 それだけで、一つ一つ解放される気がする。
小学校に入学する前に、色々考えるけど、初めのうちに全てを話して分かってもらえばいいんだ、と思う。 クラスメートの保護者や、全ての先生。 「そのうち治まる事ですから。どうか気にしないで」と。
今日、幼稚園の担任のM先生が 「今日は結構酷かったし、周りの子も不思議がっていましたから、私から全員にお話させてもらいました」 と行って来た。 「和馬君は、『言わなくて良い』って言ってたんですが、言ったほうがきっともっと楽しくなるよって言ったら、納得してくれたので」
M先生にはチックという病気のせいで、和馬が肩身の狭い思いをするなら、クラスのお友達に全てを話してください、と頼んであった。 全員に自分の症状のコトを話されると言うのは、長男にとっては、もしかしたら大きなお世話かもしれない。 恥ずかしいかもしれない。 辛いかもしれない。
話す時期は、先生に任せていた。
私は、多分、それで長男が楽になるだろうと思う。 幼稚園児だから、説明されても分からない子が多いと思うけど。
同じクラスで、朝も一緒に行ってる海渡君のママから別件でメールが来た時に、 「今日、先生がみんなに話てんて。海渡くん何か言ってた?」 と聞くと、 「和馬は友達やからなんも心配せんでいいのに」 って言ってたらしく、すごく、すごく、嬉しかった。
『子供は親ばかりではなく、友達にも育ててもらうのよ』 と、先日電話でお話した若嬢のお母さまの優しい声が頭をよぎった。
それぞれの親が、それぞれの理由で子供と真剣に向き合い、真剣がゆえに苦しんでいる。 大切な子供だからこそ、悩みも苦しみも悲しみも大きい。
海渡ママも色々と考えている。 「和馬も海渡もこの件を乗り越えれば、きっと強く自信がつくと、一緒に信じよう(^o^)/」
そうだね。 一緒に強くなればいいよね。
私に、「泣くな」「きっと大丈夫」と背中を押してくれる旦那、ママ友、両親、友達がいるのと同じく、子供達にも友達がいるからね。
インテックスへ行く朝。 車の中でポツポツと話しながら泣いてしまった私を、運転しながら笑って慰めてくれた、いつきさん。 学生時代から知っている彼女に 「今から自分が泣いてたらあかんやんか。子供は成長するねんで。大丈夫、和馬くんやったら強くなれる」と言われた時、 本当に気持ちが溶けるようだった。
『このままじゃだめだと思った でもこのままでもいいかなと思った
変わらなくたって 変わっていったって 死ぬまで僕らは僕達そのものだ
悲しみのまま生きていこうぜ 喜びのまま死んでいこうぜ 人間でよかった 僕でよかった それでよかった そう思えるように』
(ザ・マスミサイル「人間でよかった」)
やっと、何かが描ける気がした。
いつもサイトを覗いて下さる皆様。 ありがとうございます。 本当に、最近、私は描く気力がありませんでした。 でも、少しずつ、子供の為にも私らしく、おおらかでいたい。 だから、少しずつでも描けると思いました。
2005年01月19日(水)
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