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■ 日陰の二人
ケイト・ウィンスレット 他・・。
妻も在り、夫の在る、従兄弟同志の2人が、結婚制度を拒否して「愛?」を貫いた、悲劇。
噂どうり、ばか女とばか男の話しって言えばそれだけだ〜。(*⌒д⌒*)アハ 不倫だぁ〜〜〜!まさに。 お互い離婚すればいいじゃん。できない理由なんて、映画の中では見あたらないんだけど・・ いくら、時代背景が、古くても・・。どうも納得いかない。
前半かったるくて、なんだ〜??だったのですが、後半いろいろミエテきました。 これは、もう、見る側<私>の思い?が動いてきたってことで、 ラスト「僕たちは、誰がなんと言おうと夫婦だ!」って言うせりふを言わす作品の意図とはぜんぜん ちがうんだけど・・・。<なんだ?あれは?あのラストは??純愛映画?だったの?> そのわりには、お互い、努力が全然みえないんですけど・・・。(・_・) エ?って感じ。
あの主人公、2人は、夢や理念で生きていた・・二人とも全然成熟してなくて すごく、ネガティブ思考で、まさに「日陰二人」 現実をみてないから、もの足りなさばかり目立って、生に恋愛することすら、女は怖がっていたように思う・・ <その反面、裸体や、出産シーンなど、映像がなまなのが、興味深い・・> 男の学問コンプレックスもすごいし、 いつまで、従兄弟<無性>でじゃれあう、幻想をいだいているのが、なんとも悲劇だよ・・ 出産までしてるのにさ・・。 でも、ばか女、理解できたりする私・・・。 今の時代でこそありえないけど、「男性的」パワーって、けぎらいされたから・・。 けして、本質ではないのだけど、活発だったり、利口だったりすることじたいタブーだったわけで その、反動・反発で、女性的パワーを押さえこむのよね・・・。 女性的パワーって、理屈でなく、現実だから・・・ 師範学校もやまちゃうし・・。 そのへん、この2人は、男性的パワーに支配されすぎてたんだと、思うよ。 結果、犠牲は、自然の摂理で産まれた子供達じゃん!!(ノ_-。)ウゥ・・・
「愛」とは、どーしても、思えないんだけど、・・・・・錯覚・・投影・・ だから、「日陰」なのよ・・。
2003年12月07日(日)
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