昔嫌いだったこの歌が 今はこんなに好きで ああ 少しは変われたのかのかなんて 安心して
馬鹿だよなあ 自分
馬鹿だよなあ 本当に
自分は、今とても好きな歌がいくつかある
だがそのうちの何曲かは 5年前には嫌いだった
例えば最近よく聴く
BUMP OF CHICKENの「K」や Mr.chirdrenの「タガタメ」 暁星の「wind」
これらの魅力は当時の自分にはわからなかっただろう
とにかくバラード等の静かな緩やかな歌が好きで うるさい歌は嫌だった
従兄弟がDragon Ashのアルバムを貸してくれたはいいが 一曲も気に入らず翌日返したこともあった
だけれども、歌詞が良いとか、リズムが好きだとか そんな理由で少しずつ好きなものが増えていった
魅力を「1」見つける度に「10」の歌を好きになれた気がする
自分はこう思うのだ
「嫌いだ」と自分が判断するのは その物の魅力を分かっていないのではないかと
そしてそれは歌だけにとどまらず、文章も絵も運動も… …全てにおいて通用するのではないかと
実際そうなのだ。
「嫌」な物は「嫌」で残っていくが ふとしたキッカケで、又は心境の変化で 嫌いなものを好きになることが出来るのだから
何かを嫌うということはその何かの魅力を 自分がわかっていないだけなのだろう
又、一度好きになった物は「飽きた」とは思っても 少なくとも自分は「嫌い」にはならない
物は変わらないのだから
人間が一度好きだと受け入れたものは嫌いにはならない のだろうと思う
物を否定するのは簡単だ
自分が嫌な所をあげていけばいい 悪いと思う点をあげていけばいい
けれども好きになるということは違う
その物を理解することで初めて 可能なことだ
ここで肝心なのはその好きな物を増やすとは 俗にいう「ミーハー」になるという訳ではなくて
一つ一つの物の「魅力」や「利点」や「長所」といった物を 理解する事なのだろう
嫌いと言うわけでもなく この歌が好きと単に言うわけではなく
この歌の「ここ」が好き といえるほうが素敵じゃあないか
「この歌いいよねえ」と言われて
「これは嫌い」と言う訳でもなく 「うん。これいい」「これが好き」と単に言う訳でも無くて
「これは曲がいいよなぁ」とか「ここの部分の歌詞が好きだ」 とか言えたほうが楽しいじゃあないか
そうなるためには「殻」に閉じこもらない事だ 「良い」「悪い」で考えるのではなくて 「良い」「わからない」と考えるといいのだろう
誰もが何かを良いと思っているのなら
全てが「良い」と考えてもいいはずだ
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