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しもさんの「気になる一言」
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2018年12月03日(月)
「不要になった社員に退場してもらう」ための制度

先日紹介した書籍「定年前後の『やってはいけない』
(郡山史郎著・青春出版社刊・189頁)から。
最近、書店でもどうしても「定年」に関する書籍に目がいきがちで
「定年」対する定義も増えてきたけれど、どれも優しく書かれ、
グサッと来る定義がなかったが、この著者はバッサリと言い切った。
さすが、人材派遣、就職相談に対応してきただけあるな、とメモ。
「定年とは要するに」と前置きをしたあと、
「『不要になった社員に退場してもらう』ための制度である」と。
さらに「別のいい方をするなら『これまでと同じ給料を払ってまで、
会社にいてもらいたい人材ではない』と判断されたということ」と。
もちろん、そこまで言わなくても・・という思いはあるが、
それが現果なんだと、認識するところから始まる気もする。
それを、単刀直入に表現してくれたので、腑に落ちた。
「計算力や暗記力のピークは18歳〜25歳で40代以降は低下していく」
そんなデータ紹介にも納得してしまう自分がいた。



2018年12月02日(日)
人は3つのことから学ぶ

ある講演会で講師から紹介された、人間の学び。
(情報源は、ライフネット生命保険の創業者、出口治明氏らしい)
今まで、生涯学習の分野での仕事が多かったので、
いろいろなことで「学び」について書いてきたが、
どれも、すぐに思い出せるか?と言われたら自信がない。
今回の「学び」は、短くてわかり易かったので、ご紹介したい。
「人は3つのことから学ぶ」
人は「本」から学ぶ。人は「旅」から学ぶ。人は「人」から学ぶ。
なるほど、とメモをしたのは、私だったら何から学ぶだろうか、と
考える機会を与えてくれたからだ。
人それぞれの学びの場があってもいい。
「人」を「私」に置き換えて考えてみることにより、
自分にあった学びのスタイルが浮かび上がってくる。
「私は3つのことから学ぶ」
私は「本(映画)」から学ぶ。私は「自然」から学ぶ。
私は「人」から学ぶ。かな。



2018年12月01日(土)
祝!! 準優勝 「準」←そのうち取れる

第19回を迎えた「しずおか市町対抗駅伝」が開催された。
わが町は、レース前の予想をよい意味で覆す結果に沸いた。
町の部「2位」という結果は、19回では「初」の快挙。
あの佐藤悠基さんが中学生の頃、出場したときでも「3位」、
何度も何度も、この壁に押し戻されては、悔しい思いをした。
だからこそ悲願の成績が「2位・準優勝」だった気がする。
地元では、例年通りの「慰労会」が準備されたが、
今年は、正面のホワイトボードに「祝!! 準優勝」の文字。
その「準」の文字の下には矢印で「そのうち取れる」と表示、
私は思わず、メモしてしまった。(笑)
「2位・準優勝」の成績で喜ぶのではなく、
やはり「1位・優勝」が現実に手の届く成績として、
選手それぞれにの胸に刻まれたに違いない。
欲を言えば「そのうち」ではなく「来年」としたいところだが、
その謙虚さが妙に嬉しかった。
19年掛けて「2位」という成績を掴み取った選手の口からは、
「お疲れ様」よりも「来年こそ」という単語が溢れていた。
来年は20回大会かぁ、また楽しみが増えたなぁ。



2018年11月30日(金)
悪しき者 心のしずくを使う時、心は汚れ、しずくは消える

映画「劇場版 ポケットモンスター
水の都の護神ラティアスとラティオス」(湯山邦彦監督)から。
「水の都・アルトマーレの護神で、
秘密の庭に隠された『心のしずく』と呼ばれる宝石」を題材に、
その使い方によっては、街が崩壊する可能性もある、という設定で、
「水の都」という単語に妙に反応してしまった。
言い伝えられている「心のしずく」は、
「悪しき者 心のしずくを使う時、心は汚れ、しずくは消える、
このまちとともに」というもの。
水自体の良い悪いではなく、それを使う人の性格の良し悪しで、
街が栄えたり、滅んだりするという例えが、妙に引っかかった。
地球(自然)から与えられた「水」をどう護り、どう活用していくか、
それを考え、判断し、指示する人の「水に対する姿勢」が、
街を発展させるか、衰退(滅ぼす)させることになるということ。
全国には「水」(清流・湧水)をまちづくりの資源としている自治体は、
多いけれど、そのまちの行政、教育、産業、観光などの分野で、
「水」(清流・湧水)に対し、どんな考え方をしているか、
確認しておく必要があるかもしれない、そんなことを思った。
ポケモンの映画でそこまで推察するのは、考えすぎかな。(笑)



2018年11月29日(木)
まだ必要とされ、活かせる場を与えていただけるだけで嬉しい

書籍「定年前後の『やってはいけない』
(郡山史郎著・青春出版社刊・189頁)から。
仕事の帰り、寄り道した書店で見つけた、書籍タイトルに
思わず手を出してしまったが、面白くて一気に読み切った。
冒頭、再就職先がすぐ決まる人と、決まらない人の違いを
2人の例を挙げて説明している。
なかなか決まらない人は、収入や労働条件に拘っている人。
決まる人は、働かせてもらえるだけで嬉しい、と考えられる人。
そんなことかな、とメモを取った。
決まった人との会話はこんな感じで紹介されている。
「いままでの収入からかなり減りますが大丈夫ですか?」
「何より自分の経験や技術がまだ必要とされていること、
そしてそれを活かせる場を与えていただけることが嬉しいのです」
わかる、わかる、その感じ、とメモも増えた。
定年退職する1年って、今まで考えたこともないくらい、
残りの人生を考える機会を与えられる。
特に、定年イコール年金支給開始、とならない時代だからこそ、
その数年の生き方を考えることになるのも現実。
だからこそ、この考え方は、妙に腑に落ちた。
60年重ねてきた経験や技術が、若い世代に必要とされること、
そして、その場を与えてもらえること。
再就職って、収入じゃないんだよなぁ。(たぶん・・)



2018年11月28日(水)
課長、思い出に「駅伝」でましょうよ

話の発端は今週末の「静岡県市町対抗駅伝大会」だった。
わが課のスタッフは、さらっと言い放った。
「課長、思い出に『駅伝』でましょうよ」
(新年1月20日に開催される、町の駅伝大会のことだけど・・)
えっ?と耳を疑ったが、そう言えば4年前に走ったなぁ、と
ちょっとだけ判断に迷っていたら、
さっそく「エントリー方法」を電話して訊ねていた。(汗)
恐るべし、わが課のスタッフ、
私が「思い出に」というフレーズに弱いことを知っている。
「ということは、アンカーだろ? ということは、3.3キロか?」
この話を前向きに検討している自分が、たまらなく可笑しい。
でも「思い出だから・・」だけで、参加できるものじゃないし、
「年末年始の暴飲暴食」も、控えなければならない。
「う〜ん、もう60歳だからなぁ」と言えば、
「まだ、60歳じゃないですか」って言われちゃうし。
「出る、出ない」は別として、少し体重を落とそうかなぁ。



2018年11月27日(火)
勉強では人生は学べない

映画「ゴーギャン タヒチ・楽園の旅」(エドゥアルド・デルック監督)から。
物語は、タヒチに渡ってからの、画家・ゴーギャンを綴るが
私の気になったところは、フランスを去る前の
ゴーギャンの嘆きにも似た呟き。
「いつの世も画家は生活に追われ、時間とエネルギーを奪われる」
いつの世も、画家という職業だけで生活するのは難しく、
独身でも大変なのに、妻子持ちのゴーギャンは、
それ相当の苦労があったことが推察される。
また、一緒に移住すると思われていた家族に拒絶され、
子どもの将来を悲観する妻に、こう言い返す。
「勉強では人生は学べない」
いろいろな体験、経験することが「人生」を学ぶということ、
それには「タヒチ」という場所で生活するのも、
誰もが経験できることではないのだから、子どものためになる、
そんな意味なのだろうが、結局、妻には伝わらなかった。
「人生を学ぶ」って発想、なかなか難しいなぁ。



2018年11月26日(月)
温暖化の心配、と言えば、雪が重たくなること

先日、ネットで知り合った方々と、近況報告をしていたら、
東北地方に住む女性から「温暖化の影響が心配」とのコメントに、
私は単純に「ゲリラ豪雨」に匹敵するような「ゲリラ積雪」、
そんなものが発生する可能性があるのですか?と訊ねたら、
温暖化により、空気が湿ったり、中途半端に空気が下がらないと、
「重たい雪」が続き、雪かき、雪下ろしが重労働で腰が痛くなる、
そんな話だった。
以前にも、この気になる一言で書いたが、積雪地方では、
雪の量ではなく、雪の重さが生活に直結するようだ。
だから「温暖化の心配、と言えば、雪が重たくなること」。
この夏、私達が経験した、局地的な突然の猛烈な雨(ゲリラ豪雨)は、
外出しなければ、ある程度の難を逃れるけど「雪」だとそうはいかない。
重たい雪が降り積もれば、家が潰れるかもしれないのだから・・。
今年の冬は、そんな視点で東北地方の積雪を考えてみようかな。
天気予報の「雪」だけではわからない、重さを意識して。



2018年11月25日(日)
おにいさんに案内してもらって、ラッキーでした

週末も、なぜかノコノコ出かけてしまう柿田川公園、
行楽シーズンではあるが、いつも以上に観光客で賑わっている。
残念なのは、せっかく鮎が遡上し、産卵しているのに、
バスガイドは、目印の小旗を掲げたまま、お決まりのコースを
一定時間内にぐるっとまわっている。
(まぁ、観光バスツアーだから仕方ないけれど・・)
この時期しか観られない光景が目の前にあるのに、
それを伝えてあげることが出来ない、モヤモヤ感が残っていたが、
先日、エントランスのベンチで、休憩していたら、
突然「地元の方ですか?」と尋ねられた。
この公園の見どころを教えて欲しい、という質問に、
言葉で説明するのも大変なので、非公認の観光ガイドに変身した。
廻るコースは毎回ほとんど同じだけれど、季節が違うので説明も違う。
それが、観光ガイドの醍醐味といえそうだ。
まずは一声「皆さん、ラッキーですよ」。
続けて「今しか見られないシーンが待ってます」ともったいぶり、
「それも、例年ならまだ見られないんですが」と特別感を伝えた。
この一言で観光客の方々は、ほとんど大満足してくれるようだ。
帰り際に「皆さん、本当にラッキーでしたね」と念を押したら、
「おにいさんに案内してもらって、ラッキーでした」と返された。
この人たち、私の喜ぶツボ、知ってるな。(汗)



2018年11月24日(土)
人間を作った神様でもわからないと思うよ

映画「空気人形」(是枝裕和監督)から。
「私は空気人形、性欲処理の代用品」・・
このフレーズが何度も流れたが、そんなに違和感はなかった。
その人形が、人間と同じ「心」を持つことにより、
嘘をついたり、いろいろな感情を体験する。
その中で印象に残っているのは「切ない」という気持ち。
ある人を好きになり、その人のことを想うと、切なくなった。
それを「心を持つことは、切ないことでした」と表現したが、
人間には、好むと好まざるに関わらず、生まれつき「心」がある。
(勿論、他の動物にも心はあると思うが・・)
その心が、満たされているのか、空っぽなのか、を考えるのもいいが、
彼女を作った役を演じる、オダギリジョーは、作品の中でこう呟いた。
「なぜ、心を持ったか、なんて、
人間を作った神様でもわからないと思うよ」と。
言い換えれば、それを受け入れるしかないんじゃないか・・と
心を持った「空気人形」を諭しているようだった。
心があるから、辛いけれど、心があるから、幸せな気分にもなる。
人間として生まれたのだから、自分の考え方次第でどうにでもなる。
これからも、その「心」と仲良く付き合っていきたいと思う。