おぎそんの日記
おぎそん



 愛はちょっとだけ

子どもっぽい、もたれあい。
大人ぶっていた頃はバカらしいと蔑んでいた。
だけど、これって効果、ある。

冷静に淡々とやり過ごそうを歯を食いしばるより自己憐憫の涙に溺れるほうが、ずっと楽だ。

占いもいいかもしれない。
雑誌や新聞の星占いは必ず見るけれど、あんなインチキにお金を払うなんて弱虫のすることだと強がっていた。
でも、いいじゃないか。思い切り弱虫になって、嘘でもインチキでもいいから励ましてもらいたい。

平 安寿子(たいら あすこ)『愛はちょっとだけ』(「もっと、わたしを」収録)

2005年05月30日(月)



 New PC

先日、購入してそのままにしておいた>なんてもったいない!PCをやっと組み立てて、接続しました。
どんくらい放置してたっていのうは頂点秘密(fromガンパレ

感想。
どうしておばあさんのくちは大きいn(ry
今まで使っていた15インチブラウン管ってものすごく使いにくかったのかーと17インチの液晶を使いながら思ってしまいます。
ずっと、原因不明で使えなかったプリンタも復活。やっと、まともに印刷できる・・・。>今までは塾で印刷したり、友人に泣きついたり

あと、無駄にDVD作成機能やTV機能もついて11万強と素敵な素敵なdellコンピュータさん。

しかし。
携帯もそうだけど、PCっていったいこれからどんな方向に行くんでしょうか。
正直な話、携帯電話で写メールなんてほとんどしないし(たまには使うけど)ましてやTVなんぞ東京の片隅のうちの地区では受信できませんラジオはOKかな?
で、音楽も携帯では聞かないなぁ。。。と思うし。
お財布携帯は使ってみたい(スイカみたいに、プリペイドだからいざというときの切り札というか)けど、日常では使わないでしょう。
おぎそんの携帯ボーダフォンだし、対応されないでしょうね。されたとしても、後のほうでしょう。

となると、買い替え、とか需要を掘り起こさねばならない会社がどんな手を打ってくるのかなぁと興味のあるところなんですが。

PCもそうなんですよね。TVはつけちゃった。DVDの鑑賞どころか作成もできちゃいます。
後は何するのよ?と、純粋に思うんですよ。なんか、ほしい機能って言われても特に思いつかないし。(思いついた人、いたらぜひ提示版にでも書き込みを)

そんなわけで、古いPCのデータをまだ移行してなくて泣きたい感じです。
まぁなんとかなる、かなぁ・・。

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今日、久しぶりに今週末ぶっ潰れるCDショップに行ったんですよ。少しは閉店セールで安くなってるかしら。って期待して。
ぜんぜん安くなってないの。チェーン店だからそういう還元セールはしないのね。メディアは少し安かったけれど。
で、試聴してきたわけですよ。
K「抱きしめたい

うーんと。感想は「楽曲がイマイチ」。いや、提供してるtetsuhikoは鈴木哲彦(little by little)は好きなんだけど、歌詞のはめ込みが今回よくないなぁと。作曲は以前expoとして活動してた組み合わせのtetsuhiko&sogawa tetsujiでいいんですけど。

だって「っていうか」という歌詞ががファンサイト上で問題になるくらいに不自然なんですよ。わかるんだけどね、きっと締め切りが大変だったんだなぁと。
で、詰め込みすぎなのはサビ部分で「君の体温で」なんてまるでゴーモンのように練習したんじゃなかろうかと。たぶん、日本人でもこれをきちんとメロにあわせるの大変です。

c/wはカバー曲の「Just Once」を収録。これは上手いわ。認める。確かに、この人のCDジャケットでやぶにやみっぽいと思ってたけど、それでもいいや。筑善なんかもsalt&sugarでカバーしてたけど結構それに匹敵するかも。
こっちの面がクロースアップされないのはなんかもったいないなぁ、とも思ったり。

まぁ所詮はソニー。使い捨てかな、とも思います。アルバムが出たら聞いてみたい人かなぁと。

おぎそんは韓流にのせられてしまったMusicanを応援してます!こんなのとか

2005年05月19日(木)



 傘の自由化

夜まで雨は降らないかな、と思っていたら残念ながら降ってきた、ということでふと思い出したのがこれ。
知人と傘を買いに行ってダイソーにある傘の色のセンスのなさを罵倒したいんですが、改善されなさそうだし。

「傘の自由化」って、アイディアはいいんだよね。
おぎそんが初めてこのアイディアにふれたのは、「パイロットフィッシュ」大崎善生

とはいえ。肝心な中身について。
これって、amazon評価見ればいいんですが、どうも「世界の中心で愛を叫ぶ」に似た捉え方をされているように思うのですよ。
全然泣けないし、せつなくないけど。

おぎそんが思うに、ミステリを意識したのか、唐突な展開あるし。(これが、感動を呼べばいいんだけど、そうとは思えない)

なんか、吉川新人賞ももらったらしいんですが、いいんですかねぇ?
対象の喪失、とか言ってるけどさ。

なんか、村上春樹の系列というか、劣化コピーというか。>類似品に本多孝好くんがいますけど

人に自分の思いを伝えたい、と文学賞に応募したりwebサイトに文章(日記とか)を載せるのも結構ですが、先人の残したものをキチンと受けとめることも必要な気もするなぁと思うこの頃。
北村薫も言ってましたね。「小説が書かれ、読まれるのは人生が一度であることへの抗議だからだと思います」って>でも、うろ覚え

自分が何かを残したい。
この思いは責められることはない。
でも、今あることを、今直面していることを大事にした上での意識でいたい、と思うこの頃ですなぁ。



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追記
京王の駅で、傘の貸し出しもしてたはずなのに、最近はどうも回収率が悪いのか駅によっては広告入りの傘の貸し出しを止めてるところもあるんだよね。
でも、これ上手くやればそれなりに広告としていいと思うんだけどなぁ。それこそ、傘の自由化への一歩というか。
家に持ち帰ってもしょうがないしね。>Adv.傘

個人的には最近、「番傘」が欲しくて。ネットで探しても、「この傘は飾りです」とか「強い雨の中ではささないで下さい」とか「防水効果をしてからお使い下さい」とかなんかイマイチ。
いや、和紙で作るだろうから仕方ないけどもう少しなんというか、使いやすいものが欲しいなぁ、と。

強い雨の中ではささないで・・・はシャネルの傘を思い出させるエピソードだわねぇ。

2005年05月12日(木)



 さよならFreedom

欲というのは人を向上させる。
また、人を卑怯なエゴイストにもする。


その通りだなぁと、思う。

でも、欲張っちゃうんだよね。

もらえるなら、やっぱり大きなつづらをもらいたい。>舌きりすずめ、ね
「あのとき、こうすれば・・・」と後悔したくはない。
いや、後悔はしてしまうんだろうけれども、でもその一瞬だけでも輝いていたい>刹那的だな、おい

なかなかうまくはいかないけれども、うまくいったからといって「しあわせ」とは限らないんだよね。
自分が納得できる、ってのが今のおぎそんが抱く「しあわせ」の価値観だと思う。
「しあわせ」の価値は自分が決める。決めたいと思う。

2005年05月09日(月)



 買い物をしすぎる○●たち

先日、ひょんなことで応募したライブに当選しまして。
行ってきたわけですよ、TOKYO-FMホールまで。

久しぶりに大江千里の声を聞きました。
ニューアルバム「ゴーストライター」が出たってことなんですけど。
うーん。どうも、アマゾンのコメントを見ている限りおぎそんそう思えなかったんですが。

そりゃ、熱心なファンにしてみたら、不満だと思うんですけど「やっぱ、声出てなくない?(声出てないように聞える)」。
まぁ、ホールですからPAの都合にもよるかもしれないけど、声量・高音の伸びがちょっとイマイチかなぁと。
あと、歌詞がちょっと古いというかなんというか。小田和正も大層時代がかった(笑)歌詞をのっけるんですが、千ちゃんの場合先が読めちゃう気もするんですよ。
いい意味で、先が読めないものにするか歌詞を提供してもらうと面白いかなぁ、と。メロディラインはきれいだと思うんで、アレンジもやってもらうと面白いかも、なんて思ったり。


で、終わってからぷらぷらと本屋に居たわけですが、今回久しぶりに衝動買いをしてしまったとちょっと反省。
だって、買ったの以下の通りなんですが
新・世界の七不思議」鯨 統一郎
もっと わたしを」平 安寿子
「心理テスト」はウソでした。 受けたみんなが馬鹿を見た」村上宣寛
文藝 2005 夏

うーむ。これに加えてCDも衝動買いしちゃったし。>一度火がつくと消すのは大変

これは、タワーレコードが悪いんです!おぎそん、悪くないもんっ!
だって、おぎそん、日曜日にCDは買うつもりだったんだもん。>結局買うじゃん
だって、日曜日に小谷美紗子のライブのついでに買うつもりだったもん。
だって、Wポイントやってるんだもの。
だって、コメントが「和製 ベンフォールズファイブかビリージョエルかキーンか」なんて魅力的なんだもん。>だいたい騙される

というわけで、とりあえずCDを聞いているのですが。。。
????
褒め過ぎじゃね?
と思ってるところ。アクセントとしてのピアノはいいんですけど、どうもボーカルが甘ったる過ぎてキツイかと。

せめて、有名になって「おぎそんはデビューから聞いてたよ?」と言わせるくらいになってください。>なんて身勝手

そんなわけで買ったCD
スクラップ」 チェスターコパーポット

って、あれ?スウェーデンにも同じバンド名がいる・・・。

2005年05月05日(木)



 ボランティア拒否宣言

新聞に先日載っていたから、気づく人がいるのかもしれない。

でも、これって「似非」ボランティアであったり、援助者のゴーマンさに気づかせてくれる視点でもあるように思うのだ。
単なる、我が侭じゃんか、と言えばそれまで。
その指摘の前にこの作品が1980年代半ば、ということにも注目して欲しい、と思う。
いったい20年近くたって何が変化したのだろう?

この作者が何故この考えに至ったのかを考えないときっと分かり合えない。
勿論、わかりあう必要は無いのかもしれない。
中途半端な理解・同情・関心は必要以上に誰かを(自分自身かもしれない)傷つけるのかもしれない。

でも、知りたいと思う。

傷ついてもそれを知ることが、その痛みに気づくことが、科せられた義務のような気もする。>Mじゃないから!
おぎそんの気持ちは、どうだろう、とも考える。
正解なんてそれぞれ。
現場の人とはまた意見が違う気もする。
でも、いいのだ。
一人一人に正解が。そのココロに何かが生まれるきっかけであれば。

(以下、長い引用。)

ボランティア拒否宣言
                  
           《花田 えくぼ》


それを言ったらオシマイと言う前に
一体私に何が始まっていたと言うの
何時だってオシマイの 向こうにしかハジマリは無い
その向こう側に 私は車椅子を漕(こ)ぎ出すのだ


以下はこちらでご覧下さい。

2005年05月02日(月)
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