おぎそんの日記
おぎそん



 IN STORE LIVE!

今日は「わざわざ」横浜まで出て橘いずみを鑑賞もとい、彼女のインストアライブを見に行ってきました。
4年半ぶりの新作ということですが・・・。
CDを買ったんだけどね。でもね。
そのブックレット(手っ取り早くいえば歌詞カード)がなんだか材質の悪いもの使ってんじゃないのぉ?って感じで「大丈夫なのか??」と不安になってしまった。
いちおう、かの須藤晃氏に見出され(尾崎豊を見出した)10年近い活動を迎える彼女ですがヤバイのでなかろうか。ソニーレコードって感じでないし。(発売元はポリスター)
生活の中に音楽がある。
いい響きですが、それだけでは現実は厳しく・・・とならねばいいのでは、と思った一幕でした。


それにしても、横浜線というかJR各線の料金はなぜあんなに高いのでしょう?東急東横線を使って渋谷に出たほうが安いっていったい何?
私の住んでるとこも悪いんだろうけど。
まだ国鉄気分から抜けきれない体質と私鉄の「安さ」(利用客が増えるような料金設定)に思いをはせた一日でもありました。


PS
橘いずみNEW MINI ALBUM「bellybuttom」で「銀河」はいい曲です。ホントホント。(個人的にHEVENも好きだが)

2001年10月28日(日)



 人を批判するということ

昨日、いろいろとネットサーフィンをしておりましたら、某掲示板においてかなり熾烈なバッシングというか悪口の書き連ねがありました。
もちろん、どんな人にも意見を言う権利はあるのですが他人の配慮に欠けるもののなんと多いことか!!
正直な話し、○ちゃんねる などに代表されるようにかなり特定なものに見られるものだという(甘い)認識があったので大変驚きました。

匿名で(もしくは)HNでの発言はいろいろな柵のある自分から解き放たれたかのような錯覚に陥る人も多いのでしょう。
誰も自分の事を知らないから普段なれない自分を解き放ちそれが魅力になる人もあれば美しくないなぁと思う人も出ていますね。

そのなかで、批判していること自体を認めない という対応もありなかなか考えてしまいました。
よくいわれていることで恐縮だけれども、都合のいいことだけを一方的に述べ都合の悪いことになるとだんまりを決め込む。これは明らかに対話じゃないですよね。なんでそういう方向になっちゃうんだろう??
想像力の欠如といえば話は早いのでしょうがそれだけかな?なにか他の要因もあり、そのことを考えない限り見当ちがいなことばかり言って、なんの解決にならないような気がする。

とはいえ、消えちまえ!と「思う」ことは自由で・・・。
他山の石にして廻りから洗脳(苦笑)していくしかないかな。
こういうことが蔓延って対策がないのなら。

2001年10月29日(月)



 大量のCDや本

今日はCDを少しだけ片す。
なにしろ、高校の頃から気が狂ったように買い漁っているので量が半端でない。
一度(まだ高校の時期)、リストを作ったりしていたが、そんなことをしていると次々と聞きながらの作業になるのでもうやれない・・・。
さすがに村上春樹のようにはいかないが、それなりにあると思う。主観ですから(^^+

それにしても。部屋が乱雑な理由にはCDと本が大量にあることがその一端を担っている気がしてならない。
確かに、ものをそんなに捨てることができない性分であるが、それにしても・・・といった感じすらしてくる。

そういえば。(話題が・・・)
単行本で買った本があるのだがそれを再び文庫本で購入するのはやはりヤバそうである。本人的には「愛情」(苦笑)なのだが。
たとえば。宮部みゆきの本は大概このパターンに当てはまる。そして、北村薫もそうであろう。(特に「スキップ」「ターン」)
まだあるぞ。永井するみ「枯れ蔵」「樹縛」に村上春樹「ダンス・ダンス・ダンス」それに重松清も収集中。
どうにかしたいが、実家に送ってしまうと読まなさそうなので手元に残し、いつの間にやら。
きっと心療内科の方に聞けば「コレクション」だからもので済めばいいんじゃない?といわれそうだが・・・。(人に及ぶこともあるわけで。一時期その傾向があった。今でもないと言えないつうかずっと継続中)

まぁ、お金があるうちは(ないけど)道楽つうことにしておくしかないかも。
いぜん、「買い物しすぎる女たち」を読んだので他人事としておけないので、用心*2。

2001年10月30日(火)



 見上げてみると

今日は少し早くバイトが終わりました。
その帰り道。ふと、見上げると綺麗な満月が・・・。ウサギが餅をついてました(^^+
日本人は・・・などとぬかしませんが、でも「お月見」などをするのは、とても風流なことだと思います、ホントホント。

日本人はお花見や紅葉狩りなどを大変好むものです。このことを学問的に捉えている方(堀信行 氏)のお話を伺いました。
その方によると、これは(と、言いつつ憶えていないので資料を探す)・・。


ありました。えーと・・・。
まず、色づくことにより感情が動かされるとはいったいなんであるのか。この動機は、ということからお話をされて「風景のDomestication(どう訳せばいいのだろう?家畜化というか人工化というのか。要するに自然を人間的なものに移行させる過程のことを示すようです)」を中心に論議を行いました。
結果。山に代表される自然を原始宗教的な、そのものを畏れ敬うと「私は受け取りました」。その結果。自然にSOULがあるという考えで、だからこそそれを体現した奥宮などの神宮が存在していると。

山が色づくことで、それを身近に感じるというか髪を山に見立て、翳している(要するに飾り付けをする、簪ですな)と主張なさりました。
さて。この考えは面白いのですが、些か反論したい余地もあるわけです。
第一に。色の変化は新鮮な驚きでありそれを行動に移すかどうかは別物と考えることは出来ないのか。幼い頃の影響、つまり日本人は親世代から無意識のうちにそれら(自然を愛でること)を教わっており一種の伝統文化と考えることはできないのか、と思うわけです。
第二に。紅葉狩りと言いますが、「狩る」わけです。ハンティングなわけですよ。(なに、無理に英語にしているんだか・・・)それを人間が自然を愛でているといわれても釈然としないわけです。
まぁ、うまく伝えられないのですが。

それにまた、一方でこんなことも思いました。
往生絵巻の登場人物(今昔物語が出典で芥川も書いてましたね)、五位の入道のように月を追い求めていったらどうなるのだろうと、クスクス思い出し笑いのようなものをしました。
もちろん月を「阿弥陀如来」と置き換えてです。『急に月が恋しくなって』駄目かなぁ・・・。あまり切実さがないかも。
しかも、原作ではたしか海の中で「此に有」ひゃあ。中島みゆきの「地上の星」になる(@_@)
中島みゆきの夜会VOL5も思い出してきた。あれも月泥棒が出てきましたね、(いや、時間泥棒か?)たしか。

とまぁ、とりとめのないことを空想した一時でした。こんな時があってもいいじゃない。

2001年10月31日(水)



 Festa

本日から以前在籍していた大学の、大学祭が行われるため山梨県へ。
どこの大学もこの時期に集中しているようだ。少なくとも10月後半から11月中旬(半ば)までは常にあるような気がする。
しかし。手伝いに行く自分自身もある種「暇人」と揶揄されてもしかたないのかもしれない。自分の中ではすでに「趣味」の領域に入っているような・・・。

それにしても。
今年も4日間だけお手伝いいうことで、なんだか気を使わせてしまっているかなぁ、との遠慮も働く。
準備期間はすでに仲間内で了解事項を新たにのこのことやってきた輩に説明するのは面倒であろうし、下級生にしてみればなんとも怪しい輩がきたものであろう。(先輩にしてもそうであろう。まったく)

などと書いていると、行かない方がいいのかなぁとも思えてくる。
ある種の偽善でも有ることだし・・・。
なにより思うことは「わざわざやってきて、手伝いをしてくれることはありがたい」と受けとめられているものの、此れって「蚊帳の外」の人物に対する評価じゃないかしらん。その準備・運営を担っている団体の構成員に対しては当然のことであるのに。
そこがそこはかとなく辛い。

なんていつも思っているわけじゃないけど、気を遣われてしまうと(本来はこっちがきたという行動の結果生じる結果だからこう書くのは変だけど)考えてしまう。

まぁ、とりあえずは棚上げにして、手伝いに専念を。

本日、5時39分発で大学に7時30分頃着。
初日ということで前日準備から関わっている幹部の皆様はお疲れが少々見える。
仕事は受付準備やコードリールの補強に始まり、基本的には遊軍として(苦笑)本部前テントに居座る。

上記で偉そうに書いているけど、23時前頃に失礼する。ここが駄目なんだな、一体感を求めながら特別扱いに甘えちゃうところが。

当然家に帰れず、友人宅に泊めてもらう。
およそ24時頃就寝。何せ、前日が徹夜のためすぐに寝付いたのだが・・・。

2001年11月01日(木)



 偉そうなGESUT

わたくしめのことです。全く。
目覚ましで7時に一旦起きるも、努力の甲斐もむなしく再び♪夢の中へ・・・。

結局起きだしたのが10時過ぎ。
ああ。やはり一体感を求めるには努力が足りていないことを痛感する。
実行委員会の皆様は、ほんとうに偉いと思う。時間を厳守するという大変基本的といわれながら守れないわたくしめから見たら。(って、視点がまずいかしら?役者さんに、「あんなに長い台詞を暗記できて凄いですね」と言うもののような気もしてきた)しかし、称賛に値するものであることに変わりはない。

というわけで、重役出勤をしてしまった。
ぜんぜん役に立っていないお手伝い。無料だからこんなものかと思われてしまってはきた意味がない。というわけで気合を入れて??踏ん張る。無料なのに凄い!といわれたほうが気分がいいし、サンプルを取り寄せた時もそうであって欲しい。EX.ドモ○ルン

企画局長に頼まれて(仕事として)企画参加を促す呼びこみを行う。
もう一人友人も引っ張り、行ったが成果は上がらず。
呼びこみを行いながらも、北村薫「スキップ」において演劇部の後輩が蛙語を堂々と練習している場面を見て一ノ瀬真理子が、「(テレが抜けると)池ちゃんになるわけだ」と発言する台詞を思い出してしまった。
全く何を考えているのやら。
ステージにおいて、お笑いの人が招かれ大いに盛り上がっていたものの見ることはできず。友人も本部テントで待機のため大いに残念がる。
多くの人に楽しんでもらう(こういう言い方に別の言い方があればいいのだけど)ために、まず自分が楽しいと思えるものを推薦するのは当然である。しかしながらそれゆえ?企画した本人たちがその企画を見ることができないというジレンマも生じているみたいだ。(って思うのはわたくしだけ??)

今日は月が見れず。十六夜(いざよい、って素敵な言葉ですね)も過ぎ少し欠け始めた月を隠してしまっている厚い雲。雨が降らなきゃいいけど・・・。
祭りは前半2日を終了。

今日は別の友人のところへ。
彼のうちは、以前住んでいたところに密接しているので懐かしい気持ちに。
なにより間取りが同じだし。

明日こそは遅刻しないぞと思いながらも、話しこみ(他人の部屋を片付けながら)就寝は1時頃。



2001年11月02日(金)



 泣き出した空

何故か最近は大学祭の最中に雨が必ず降る。
だれか雨男・雨女がいるのでは・・・。(後日、4年生の○すのすけさんらしいと疑いを持つも確証物件などなし。本人の自白のみのため不起訴とした)

午前中はなんとかもつかと思ったものの、14時過ぎ??に降り出す。もう忘れてしまった。
ってことを悠長に書くということは勿論、遅刻はしてませ―ン。しかしながら一年生の若さに圧倒される。Y吹君は家に帰ってからゲームをしてから寝るそうだ。就寝は午前3時・・・。でも、遅刻はしていない。絶対に10代と20代の差だ。間違いない。
雨が降っているので作業もかなり大変だ。
ステージを新たに屋内に設置したり、夜間では客席をロビーに設置したり。
なにより移動時点に濡れるためにこちらが心配するほどずぶ濡れのまま作業をする。責任感がなせる技かしらん。勿論、「成功させたい」との思いがあるからで、結果そのように頑張れるのだろう。

では、わたくしめが関わっている子どもまつりではどうであろう。意義を考えてみたりと運営側が止めようとすればすぐに止められるがゆえに否応無しに余分なものまで考えざるを得ないような気がする。
本格的に関わっていないため(こちらも当日にお手伝いをするだけである)なんともいえないものの。(とはいえ、車が手に入ったら実行委員会に顔を出しては行きたいものであるが。そのチャンスは来年だけか)

でも、ごちゃごちゃしたことを考えるよりなにより行動してしまったほうが楽だと思うのだけれども。人に求められているからやる。それで十分だとおもうのだが。
門前の小僧の手習いで、本部テントの業務を多少なり憶え、代行をする。
とはいえ、よくわからないものは全て委員の方へ廻す。

23時頃なんとか先に失礼する。
その後、すぐに帰りたいが友人にCDとお金を返すために15分歩く。
なんだか変わった気がする友人に違和感を感じ、哀しくなる。

先日と同じ友人の家にお世話になる。しかし、本人は夜勤のため居らず 自分の城 状態に。TVをつけていたもののうつらうつらし始め、プロジェクトアームスが始まった時点で寝ると決め就寝。


友人と景品の選び方について論議をする。といってもたいしたことはないけれども。
大きい物と小さいものにおいて「なぜ大きいものは避けられるのか」。舌きりすずめの影響、友人(傍人)の影響(もっというなら、同じ物を持っていたいという心理)、他の景品との数のバランスなどなど。
くだらないと言えばくだらないけど。

2001年11月03日(土)
初日 最新 目次 MAIL HOME


My追加