えあですこんにちは。 母入院日記その19。 初日はこちらから。
なんかよくわかんないですが、いきなり退院の日が来ましたよ。 月曜日でしたが、有給の復活している私は会社を休んで母をお出迎えに行くことにしました。
あれだけねちねち引っ張られた入院の日々も今日でスパッと終わりです。 突っ込み所は多々あるんですけどね。 腫瘍マーカーはどうしたの?とか。 結局病気の原因はなんだったの?とか。 小説だったらなにこの伏線の回収のされなさ。 って読者ポカーンする所です。
でも今更それ聞いて先生が、あっ、そうだよね。忘れてた。よく考えたら解決してないじゃんハイ入院やりなおし。とか言いだしたら激しく困るので、先生を信じて退院します。
うん、先生原因不明原因不明言ってたけどね、調べてみたら狭心症、腹水の症状出ることもあるっていうしね。 素人のネット調査だけどね。 多分これだよね、原因。HAHAHA。知らんけどね。
ここは大きめな総合病院で、先生は物凄い若いわけじゃないけど比較的若い先生だし、誰か他の先生の助言が入ってると思って安心していいと思うことにします。 安心です。わーい安心だー。
ってわけで、何もかも見なかったことにして晴れて気持ちよく、祝☆退院☆です。
しかし見なかったことに出来ないものがここに一つ。 退院の支度をする母のベッドに、2枚ほどの紙っ切れがやってきました。
言うまでもないですね。
請求書。
1枚の紙には3月分、16万円。 2枚目の紙には4月分、68万円。 そのように書いてありました。
えーと…… 今払えばいいのは68万? それとも84万?
…………、
とりあえず入退院窓口の正面にあるATMで70万だけ下ろして受付に向かいます。 紙を受付のお姉さんは、その紙を見て――
にっこりと84万円請求してきました。
ああ、まあ、ねえ、うん。 3月分は父か誰かが払ってくれてたら凄くラッキーだなって夢見ただけでそんなわけないとはわかってたんですけどね。 てゆーか現状で請求書がきてるんだから払うことになって当然なんですけどね。
というわけで受付のお姉さんにごめんなさいして再度ATMに戻ります。 が…… 戻ったはいいものの、ここにはどうしようもない壁が建っていたのです。
私の預金残高は、
あと3万。
どうするえあさん。 どうするえあさん。 全然足りないけどどうするよえあさん。
さっき現実逃避してまで70万しか下ろさなかったのは下ろさなかったんでなく下ろせなかったただそれだけだったりしますごめんなさい貯金少なくてごめんなさいごめんなさい全世界の人にごめんなさい。
母を一緒に迎えに来た父は例によっていません。ふらふらどこかに消えました。 まあ奴などいた所で何の役にも立ちません。父がお金を持っていることなどちっともさっぱりこれっぽっちもかけらも期待しておりません。黙って車で送り迎えさえしてくれればいいのです。 なんだか父親評にたいへんな悪意が篭っていますが気にしないで下さい。気が立っているだけです。
とりあえず先月の給料日に家に入れた10万がまだ母の手元で残っていたので工面できました。それを借りて、貯金と合わせて13万。 あといちっいちまんっいちまんっ(゚Д゚;)
財布の中をあわあわ探してかき集めたらどーにか1万ありました。 あぶねー(゚Д゚;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;) 全く春先だというのに嫌な汗をかかせてくれますね。 ここでお金が足りなかったら一体どうなっていたのか。入院費が払えなくて借金ですか。やだやだ私借金はダメです困ります借りるあてはともかくとして返すあての方に確証が持てません。とはいえ工面できなければ退院させてくれないんですかねやっぱり。それもやだやだー。
しかしそんな様々な紆余曲折も乗り越えまして、めでたく母を一月ぶりの自宅に連れ帰ることが出来ました。
お昼は母の要望でお寿司を買って来ました。 財布の事情で○っぱ寿司ですけどね^^^;;;;;;; それでも久々の生ものに母は大層ご満悦だったようです。 安上がりな味覚の母で助かりました。
ふう…… 何はともあれ、ようやく片がつきました。 再狭窄の心配や、糖尿病・高血圧というまあよくここまで典型的な成人病を揃えましたねという感のある合併症の問題など、心がかりは山積ではあるのですが、とりあえずは母は、従来通りの日常生活に戻ってくることが出来ました。
一時は密かに覚悟を決めたりもしましたが、杞憂で終わってよかったです。本当によかった。うん、よかった。
私は声を大にして言いたい。
お金って大事ですね!!!1!
…………いや間違えた。
健康って大事ですね!!!!!
いやお金も大事ですけどね。お金ないと生きてけませんからね。 しかしながら、家族が健康であるということはどれだけ幸せなことなのか。この一件で私はその認識を新たにしました。
世の中に親しい命をうしなうこと以上の不幸はないし、親しい命が平穏に暮らしていること以上の幸福はないです。 私は命をうしなうということに対してとても耐性が低いので前者の不幸は知っていましたが、その裏返したる後者の幸福は今この段階でようやく気づきました。一ヶ月前までしにたいしにたい言ってた中二病的私がついに幸せというものの在処を見つけたのです。オメデトウオメデトウ。
はぁ、幸せだなぁ。 この幸せが、どうか長く長くいつまでも続きますように。
というわけで母入院日記しゅーりょー。
病院の先生、看護婦さん、こき使いまくったM氏、家族みんな、心配してくださった方々全てに、有難う御座いました。
えあですこんにちは。 母入院日記その18。 初日はこちらから。
手術から一夜明け、私は母の面会に行きました。 手術後は24時間安静とのことで、私が面会に行ったときにはあと30分くらいで安静時間が切れますという所でした。 絶対安静と言っても一般病棟の大部屋で、動いちゃだめーと言われているだけの話で、本人は至って平然としたものでしたけれども。
しかし動いちゃだめーには、立ち歩いちゃだめーに留まらず、体を動かしちゃだめーも含まれているらしいのが非常に大変そうでした。 正確にはカテーテルを入れた足の付け根を動かしてはだめーということらしいのですが、そこがだめーだと寝返りとかもだめーなわけで、かなりしんどい状態ではあったようです。
昨日の夜は準ICUにいたそうです。 ICUにも準とかあるんですね。へー…… ……っていうかやっぱそんな所に入んなきゃいけないくらい重篤だったんだ!? 事態の深刻さがよく理解できていなかった私です。はんせー。
準ICUは男女関係ない大部屋なのだそうですが、隣のおじさんがうるさかったとか何とか言っていました。 しかしすぐに他のお客さんが来たので一般病棟に追い出されたようでした。 扱いが割とぞんざいです。やっぱそこまで深刻でもない……のか?
ちなみに夕飯や朝飯はおにぎりの普通食(いや糖尿病食ですが)だったそうです。 白いごはんをそのまま寝ながら食えるように握りましたね?という感じの塩気のないおにぎりが切なかった様子です。
まあそのような術後を過ごし、ようやく絶対安静の時間が切れた母は、TVドラマとかでよく見る心拍数のぴこんぴこんやら各種の管やらを取ってもらって晴れて自由の身になりました。 早速売店までお散歩に行きました。 ……っていきなり歩いていいものなんでしょうか。
おやつも買って病室に戻り、いつものようにまったりと過ごしておりましたら、夕方になって先生がやってきました。
「血管は綺麗に広がってますよ」
と、手術が成功した旨を教えてくれました。 しかし、
「ステントを入れたらその分奥が狭くなるという感じでしたので、結局ステントを3本も入れることになってしまいましたが」
とのこと。 ステントは、入れても20〜30%の割合で再狭窄を起こすことがあるんだそうです。 それが3本ってことは、再狭窄を起こさない確率は単純に計算して0.7×0.7×0.7=0.343……ってことになるんでしょうか……? この計算で合ってるとすれば結構低いのが心配です。 先生もその点についてちょっと心配だと仰っていましたが、ともあれ今は完璧に狭窄が解消されているとのこと。まずはひと安心です。 とりあえず、よかった! 安堵する私たちに、先生はもうひとつ、連絡事項を持ってきていました。
「じゃあ、月曜辺りに退院しましょうか」
(゚Д゚)(゚Д゚)……mjd?
先が全く見えないことに悶々とした気持ちを余儀なくされていた筈の入院生活が、予想外に唐突に終わりを迎えることになりました。
えあですこんにちは。 母入院日記その17。 初日はこちらから。
というわけで、わりかし長めな入院の日々を経て、とうとう本格的な治療というか手術を行うことになりました。 Wikipedia:経皮的冠動脈形成術
説明の通り、カテーテルを心臓までぞわぞわと入れて、今度は閉塞部位を風船で膨らまして広げてステントなる筒を置いてきて広げっぱなしにするという狭心症の手術です。 年度が替わり私の有給も復活していましたが、私は会社に行きました。付き添いには父が行ったようでした。
手術は1時間ほどで、無事成功した模様です。
ところで手術室の外の父を見て、お医者さんが「あれ、お父さんだけ?」とか何とか言ったそうですが、えっ、もしやここは私も会社休んでついているべきでしたか? いや、手術だといっても開腹するわけでもなく、手術例の多い手術でもあるっぽいし、そうそう滅多なことはないだろうと思って会社に行っちゃったんですが……。
とりあえず、明日は術後の母を見舞えるというのでお見舞いに行きます。 お疲れ様。
えあですこんにちは。 母入院日記16。 初日はこちらから。
日曜日も、いつものようにお見舞いに行きました。 すっかりと病院に居つく生活が定着しています。
そういやその昔、父親が仕事中の事故で入院したときには、後遺症が残る大惨事だったにも関わらず、数回見舞いに行っただけだったんですけどね…… 流石にその日、家に置いてあったメモを見たときは慌てて自転車で飛んでいきましたけれどね。 病院がちょっと遠かったからとはいえ、ごめん父。
話が逸れました。 カテーテルの検査から1日ばかりは、腕を動かしてはいけなかったらしかったですが、その状態も日曜には解除され、いつものように漫画などを読みながらまったりと過ごしていました。
そんな夕方頃のことでした。 珍しく先生が病室にやってきて、「ご家族の方が来てるなら検査の説明をします」と私たちをナースステーションの一角に呼びました。
先生はパソコンのカルテを見ながら説明しました。
「検査の結果、心臓の血管が狭くなっている所がありました」
つまり……狭心症です。 狭心症とは何らかの原因で心臓の血管の血の巡りが悪くなり、胸が痛くなったりする病気で、その血管の流れが完全に滞ってしまえば心筋が壊死する心筋梗塞などになってしまいます。 結構太い大切な血管がその症状を呈しているとの事。
「この部分にステントという、金属の筒を入れて、狭窄を広げます」 以下、ステントの説明資料みたいな図を見せていただきながら、今後の治療の説明をしてくれました。
この狭心症が、母の体調不良の本当の原因なんでしょうか? と聞きますと、先生は、口ごもりました。 ……えっ? なんなんですかその反応。
「いえ、これが原因であるとするとまずは(中略)ということになるはずなので、これが原因とも……」
……。え。 じゃあ、結局原因、なに。 もしやまだまだ分かんない、と? 先生は非常に困ったような顔をしました。 マジでわかんないのか!?
こ、これだけ検査してもまだわかんないことって、そんなに多いんですか? と聞きますと、先生は、やはり困ったように、 「珍しいです……」
原病発見またしてもならず。 これは本格的に奇病なんでしょうか……? しかし、この狭心症も治療を要するものであるため、まずはこちらを治療することとしました。
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