2003年04月30日(水) |
活字、言葉、会話、活字依存による障害 |
僕の住む地域は嵐。
その嵐の中、遊説カーを運転する。 強い風と雨に遊説のテープの声は掻き消されてしまう。
そんな事はどうでもいい。 とりあえず選挙区内をくまなく回ればいいだけだ。
これは地元代議士の遊説カー。 近いうちに選挙でもあるのだろうか。 もちろん代議士本人は同乗していない。
「回ってくれ」と言われたので、 暇だから「いいですよ」と了解しただけ。 そして「地元の為に頑張ります」みたいなテープを流すだけ。
暇な四人が集められ、交代しながら派手な黄色のバンを運転する。 一日中市内をぐるぐる回るのだが、 車の中ではどうでもいいような世間話がえんえんと続く。
僕の場合、このように何人かが集まって会話をする時は、 非常に発言回数が少ない。
一対一の場合、会話が途切れる沈黙が嫌いなので、 無理にでも喋べるのだが、非常にぎこちない。
喋ってくれる人がいる場合は安心してしまい、 ほとんど話を聞いてるだけで、あまり喋らない。 変に無口を装ってしまうのだ。
長い事そういう状況に慣れてしまうと、 たまに喋った時に自分の話が伝わらない場合がある。
つまり話の仕方を忘れてしまい、 人に自分の言いたい内容をうまく伝えることができない。 言葉を使った意志伝達スキルが弱くなってしまっているのだ。
おそらく勝手に自分の頭の中で解釈してしまって、 自分本位で会話を進めてしまう。 ところが実際相手には話が通じていない。
最近つとにその傾向が強い。 今日も車の中でその事を指摘される。 「お前の話はわかんないよ」と。
その原因を自分で分析してみるに、 おそらく人と会話をしている以上に、 頭の中で自分と話をしてることが多く、 その割合が人よりはるかに多いのだと思う。
それには耳から入る言葉より目から入る活字の方が断然多くて、 目から入った活字は自分内で処理されるが、 それを外に出す時に上手く変換ができないでいるのだ。
僕はもっと人と会話をしなければならない。
(削除予定)
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2002年04月30日(火) なんとなくそう思う日々
2003年04月29日(火) |
オイル交換とカルボナーラ |
僕の住む地域は今日もいい天気だった。
午前中はトラックのオイルを交換をした。 ディーゼル車の場合、オイル交換をまめにやってあげれば、 20万30万は余裕で走ってくれる。
よく考えてみればこの2t トラックが一番よく働く。 何はさておき一番の商売道具だ。大事にしてあげなければならない。
もしも最悪の場合、 この2t トラックと市場の権利と携帯電話があればなんとかやっていける。 在庫をスットックさせておく倉庫は必ずしも必要ではない。 あとは知識と経験。この2つは例え破産しようが取り上げられることはない。
現在の2t トラックはいすゞエルフ。色は白。 平成6年の購入だから型式から言って恐らく東京へは入れない。 排ガス規制で捕まってしまう。 実際のところどうなんだろ。検問とかやってるんだろうか。
オイルを交換したあとはボディーを綺麗に磨いてあげた。 手がワックスで臭くなった。
作業を終えて昼食のために家の中に入る。 もちろん手はちゃんと洗う。お湯と中性洗剤を使って洗った。
家に上がるとリビングのテレビが付いていて、 ちょうどキューピー3分クッキングが始まるところだった。 今日の料理は「カルボナーラ」 しばらく見ないうちにアシスタントが男の人になっていた。
3分クッキングと言いながらも毎回3分以上かかるが、 今日のカルボナーラはパスタを茹でる時間を除けばかなり早くできあがった。 見た感じ意外と簡単にできるようだ。今度作ってみよう。
その時はベーコンをもっとカリカリにいためて。 生クリームを少し多めに入れてドロドロのカルボナーラにする。
実を言うと今までペペロンチーノとカルボナーラの区別が曖昧だったが、 今日はっきり覚えられたと思う。
その昔同じようにエスプレッソとカプチーノの区別が曖昧で、 自分はエスプレッソを頼んだのに人のカプチーノを飲んでしまったことがある。
もちろん食べるのは好きなのだが、料理名にはうといのだ。
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2002年04月29日(月) 理想のみそ汁
毎年毎年ゴールデンウィークってこんな陽気だね。
今日は仕事をしなかった。明日は祭日だけど仕事をしよう。
重松清の短編小説を読んだ。「ワニとハブとひょうたん池で」 村八分のハチブを略してハブ。ようは仲間はずれ。イジメの話だ。
イジメは昔からあった。 僕が小学校の頃。今から20年近く前。
小学校の入学式のとき。 Sさんは足のケガでひとりで歩けない状態だった。 Sさんは母親に抱っこされて入学式にのぞんだ。 それがイジメの理由だ。 スタート時点でみんなと少し違っただけだ。
入学式の集合写真には母親に抱っこされた彼女が写っている。 その後彼女は普通に歩けるようになったが、 入学式の時のイメージが付きまとう。 ただ単に自分で歩けず、母親に抱っこされてたという理由だけで 彼女は「S菌」と呼ばれながら6年間を過ごした。
僕が通った学校は国立大学の付属小学校で、 中学はエスカレーター式。 中学から受験して入ってくる人達がいるので、もう1クラス増える。
中学に入り徐々に彼女に対するイジメは無くなったが、 6年間の鬱憤が反動を呼び、 逆に彼女は女番長的存在にのし上がってしまった。 3年間荒れた中学生活を送る。
付属の高校は無かったので中学卒業後はみんなバラバラの進路を歩む。 彼女は私立女子校に進学したらしいが、 入学後間もなく、 バイクで逃走中にガソリンスタンドの壁に突っ込み帰らぬ人となった。
僕の勝手な見解だが、彼女の人生を縮めた要因は小学校入学時の あの母親に抱っこされていた姿にあると思う。 本当に些細なつまらない理由だ。
この小説を読んでSさんのことを思い出したが、 大人になった僕がSさんのケースを検証したところで、 イジメを無くすことは不可能だし、 まして教育に無関心な今の僕がイジメを無くす努力をするわけもない。
でも近い将来(?)親の立場になり子供がイジメにあうかもしれない。 その可能性は今の社会を考えれば大きい。 できれば避けて通りたい。
<EX> ・BP6×5set(60) ・ジョグTグランド10周
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2002年04月28日(日) エアロビクス初体験
2003年04月27日(日) |
ジェネレーションギャップ |
本日も総会に出席。 出席者の平均年齢は完全に50代後半。
審議事項の最終項その他で会員増強問題が上程される。 入会者が非常に少ない団体なのだ。
誰でも入れる団体ではないので、ステータス価値は十分にあるのだが、 入会資格があるにもかかわらず入らない人が多い。 確かに年2万4000円で手に入るステータス価値を十分に 利用できないのであれば、入会しても意味が無いのかもしれない。
自分はまだまだ勉強段階。 年配者の話を聞けるだけで十分もとを取っている。
総会は午前中で終わり。 帰りがけに100円ショップに寄って買い物をする。 やたら棚と棚の間の通路が狭い100円ショップだった。
午後は部屋でHPの更新。「本好きへの100の質問」を回答。 イエスノーでは納まらずコメントをだらだらと書いてしまう。
アップ完了して。 登録している他の人の回答を見てみるが。 ちょっと偏りがあるのを感じた。
それだけ広い世界なのかもしれないけが、ここ数年の作品の話が多い、 どうしても新しい記憶のものになってしまうのは分かるが、 良い作品はたとえ古くても今の人達に通じるはずだと思う。
自分が20代の頃は古い作品もたくさん読んでいた。 今の20代前半の人達って昭和末期の作品は読まないのだろうか。 少しギャップを感じた。
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2002年04月27日(土) 周期
巨大デパートの吹き抜けの回廊で、 エスカレーターを上り下りする人々を眺めていたら、 警備員がボクに近寄ってきてささやいた。 「これだけ大勢の中で本当にここで買い物をする人は10人に1人だ」 その一年半後にそのデパートは潰れた。
先月、静岡県富士市で起きた壁の崩落事故は、 その同系列の店舗解体工事中の事故である。 3人の方が死亡するという悲惨な事故になってしまった。
折しもその会社の創始者がモデルとなった連続テレビ小説が 再放送されてる時期だった。 皮肉なものだ。
その解体された店舗こそが「そこの土地には出店してはならない」 と創始者が忠告していた店舗だったそうだ。 破滅へ導いたその当時の経営者を批判する声は大きい。
今までの経済は会社を大きくするのが当たり前と言う論理を、 疑いもぜずに突っ走ってきた。 それには当然大きな責任感も一緒にともなう。
しかし今は、商売をする上で何が正しくて何が正しくないのか暗中模索の時代になってしまった。 正道が通じない世の中かもしれない。 そんな中で「次」を見い出すことは非常に難しい。
私は7年前にその巨大デパートの最上階で、 12元の牛肉麺を食べて帰ってきた。 あの巨大建築物は今何に利用されているのだろうか。
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ダミ声のKさんはプロパンガス屋さん。 昨年代表取締役社長に就任したらしい。 たまに会う程度でそんなに親しい間柄ではない。
たまに会う印象から言ってヤジを飛ばしたり人を冷やかしたりと、 とにかくうるさいイメージの人だ。 そんなKさんの話がKさんのいないところで話題にあがった。
Kさんは仲間内で仕事の悩みを話したりする時でも、 お客さんのことを「お客様」と様付けで言うらしい。
ダミ声でヤジを飛ばすイメージからは想像できない、 実は仕事に対しては細やかな気配りをする人だと言うことを聞かされた。 やはり人は添ってみないと分からない。
自分はどうだろうと振り返って見る。 「うちの客は払いが悪くてダメだよ」とか言ってたりする。
例えそうであったとしても客は客。 1円でもうちに利益を与えてくれている以上、お客様であるのだ。
Kさんの話を聞いて、 感謝の気持ちを忘れてしまっている自分に気付かされた。 最近は上っ面だけの「ありがとうございました」しか言えていない。
普段からの心がけが大切であることを思い出させてくれた。
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2002年04月25日(木) 崖を登って感じたこと
土浦での会合のあと2台のワゴン車で東京へ向かう。 目的地はYと言う名の街。
堤通Rから墨田川沿いを走り、橋場のT字路を右折。 いつものコースだ。
Yと言う名の街の駐車場に着くと、 ワゴン車から降り立った面々は思い思いの方向へ消えていく。 集合場所はここの駐車場。2時間弱の自由行動。 あくまで自由行動だ。
消えないで残ったのは3人。FとK1K2。 3人は予め打ち合わせをしていた訳ではない。偶然残ったのだ。
いずれもこの街が嫌いな人間ではない。 それぞれ行きたい時は行くし、行かない時は行かない。
3人の共通点は「人に振り回されない」自分を持っている。 それに「熱い」し「頑固」だ。言葉を換えれば我が強い。
今回Fはたまたま金が無かったようだ。 きれい事を言うつもりは毛頭ない。 Fには特定の相手がいる訳でもないので何をしようが自由だ。 潔白な人間ではない。
残った3人はこの街に用が無い。 ワゴン車の中で2時間を過ごすのもアホらしい。 年長者K1が「浅草に行こう」と言い出す。
反論は出ない。 Fの運転で国際通りを下る。 雷門の通りに入り車を路駐する。時間は20時を過ぎていた。 車から降り商店街を歩く。少し風が強いが寒くはない。 偶にパラパラと雨を感じる。
雷門をくぐり仲見世に入る。 入り際に「こころ」の幕が掛けてあった。 仲見世はどこも閉まっていたが、 アーケードの蛍光灯は光々と付いていた。
日中の人で賑わっている浅草しか来たことがなかったから、 こういう光景が不思議に感じられた。
結局参拝はしなかった。 「小舟町」の提灯の下まで行き、来た路をもどる。
車の近くまで戻り、3人はコーヒーショップに入る。 コーヒーを飲みながら、 浅草に来る外国人観光客の話をし、 それがユースホステルの話に変わり、 その後何故かドイツの話に移っていった。 小一時間3人で話しをした。
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昼間の時点で今日は絶対に走ると決めていた。 7時30分に仕事を終えてジャージに着替える。
MP3プレーヤーにテンポのいい曲を何曲かダウンロードし、 それを持って車で近くのグランドまで出かける。
ブランクがあるのでいきなりアスファルトの上を走ると腰を痛める。 グランド周りの草の上を走ることにした。
何度も言っているがMP3は音飛びしないので、 走りながら音楽を聴くには最適だ。
ランニングにはテンポのいい曲を選ばなくてはいけない。 スローバラードではペースが狂う。 DEENの「見上げてごらん夜空の星を」は削除した。
選曲は以下の通り ・ザイエローモンキー「PEARL」 ・ゆず「夏色」 ・ZARD「GetU’reDream」 ・センチメンタルバス「サイクリングビート330」
20分程でTグランドを10周走った。 最後にきて「サイクリングビート330」はきつかった。
明日は午後から土浦へ行く。 帰りは遅いので、おそらくエクササイズは休み。
<EX> ・ランニング Tグランド10周 ・スタンディングバックプレス10×3セット(30) ・スタンディングトランクローテーティング10×3セット(30)
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2002年04月22日(月) すぶた
新年度になり総会ラッシュ。 年会費の納入もともなうので財布の中はスカスカ。 3団体で9万。 各団体とも参加してそのくらいの価値は十分に得ていると思う。
1団体で10万以上の会費を払ってる人もいるんだから、 3つで9万はかなり安いかもしれない。
各団体のスタンスはそれぞれだが、 足元を見失わないような付き合い方をしなければならない。
いい格好ばかりしていては、 知らず知らずのうちに流されてしまう。 人は人。自分は自分。 背丈にあった振る舞いを。 それだけは肝に銘じる必要がある。。
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2003年04月20日(日) |
ウェイトダウン計画は延期 |
日曜日。ぱらぱら雨。 会津ではお祭り。毎年このお祭りには神輿を担ぎに行ってるのだが。 今年は嘘ついて誘いを断ってしまった。 午後からラグビーの練習が入っていたのでそっちに参加するつもりだった。 ここ一年間でかなりの体重増。 スーツを着るたびに危機感を感じていた。 とにかく体を動かさないことには始まらない。 今日の練習をきっかけにウェイトダウンに取りくむ算段だった。 ところが12時に後輩から雨で中止の電話が回ってくる。 仕方ない。ウェイトダウン計画は延期になった。 〜 以前から探していた「100の質問」 なかなか良いのが見当たらなかったのだが、 「I県民に55の質問」というのをやってみた。 かなり疲れた。 引き続き「本好きへの100の質問」に挑戦しているが、 答えるのが難しくてしばらく時間がかかりそうだ。 質問に答えているうちに自分が今までにどんな本を読んできたのか気になったので あ行の作者から順にチェックしてみた。 「あ」だけで赤川次郎・阿刀田高・有吉佐和子・阿部牧夫 ・芥川龍之介・泡坂妻夫・赤瀬川 隼・安部公房 赤川次郎がダントツで多い100冊近くは読んでる。 よくもまあそんなに時間があったもんだ。 途中で疲れてしまい、結局「あ」だけで終わってしまった。 本読みとしては中の上レベルくらいと思っていたが意外と多く読んでいる。 自分でもびっくりした。 でも本の内容が記憶に残っているのは本当に極わずかだ。 今日こうして振り返って思うのだが、 時間はみんなに平等で、寝てようが外で遊んでようが一日は24時間。 自分はかなりの時間を本に割いてきたが、その分失ってる物もあると思う。 すこしバランスが悪いと思った。
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2002年04月20日(土) 当たりハズレ
午前中の配達1件。 土曜日は周りが休みモードだからせわしくなくていい。 ゆっくり仕事ができる。
その配達先は農家で物置を改装中。 サクっと材料を下ろし納品書をはさめ、 「ありがとうございました」と言って帰ろうとすると、
当家のおばちゃんにつかまり、 「いづれ家を新築したいんだけど」 と住宅に関してあれやこれやと質問攻めにあう。
あくまでうちは材料屋なので、 直のお客さんの工務店に当たり障りのないような答えを返した。 「ここの工務店さんなら良い下請けさんがそろっているから大丈夫ですよ」 みたいな。
そんな立ち話をしているうちに、 なぜか話がFツトムのことに移ってきて、 「商売やってるあと取り息子さんなら大変ねぇ」 「結婚はしてるの?」と変な方向にそれ。 「いえ。まだなんです。なかなかねぇ」とにごし。 「いい人すぐ見つかるわよハンサムなんだしぃ」なんて言われちゃって、 (おばちゃんに言われてもね・・・・。とは思ったんだけど。) (ハンサムなんて言葉久々に聞いたわっ)
31年生きてて「ハンサム」なんて言われたの初めてですわ。 もちろん御世辞なんだけど、 そんなこと言われて照れてる自分がなんだか恥ずかしかった。
その帰り道、ニヤけて運転している自分に気付いた時は笑ってしまった。 たとえ御世辞でもほめられて悪く思う人はいないね。
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2002年04月19日(金) コンタクトレンズをはずして寝ろ
2003年04月17日(木) |
犬も歩けば棒に当たる |
やっぱり外に出なくちゃ仕事は取れませんね。 待っていては仕事は来ないです。 そう感じた一日でした。
車で街を走ってるだけでいろんな情報が目に入ってきます。 同業者のトラックを見かけると「なにくそっ!負けてたまるか」 と刺激にもなる。
たまたま顔を出した先で注文をいただく。 本当に微々たる量の注文ではありましたが、 もし顔を出さなかったら他で手配されていたと思う。
営業は歩いてナンボ。 歩けば歩いただけ何かしらはある。
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2002年04月17日(水) 鯉のぼり
浅田次郎「プリズンホテル」読了。 浅田次郎作品初めて読みました。 浅田次郎おもしろい。楽しかった。
毎回思うのだが、 小説を読み終えるとなんだか清々しい爽快感を覚える。 内容はどうであれ、一冊読み終えたという達成感だと思う。 そういう余韻を味わいたくて本を読んでるところもある。
これは映画を見終わった時のものとは少し違う。 視覚を通じて外部から入ってきたビジョンと、 脳内で自ら発生させたものとでは、 自前のビジョンを用意した分、その運動による爽快感を味わえる。
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2002年04月16日(火) 最初の男が忘れられない
2003年04月15日(火) |
枯れ木に花は咲かない |
今日は書くよ。
うちの事務所は年老いた大工の溜まり場だ。 彼等はもうほとんど仕事をしない。 と言うより仕事が無い。仕事が取れない。
その他にもお茶を飲みに来るだけの人達がいっぱいいる。 うちの親父はそれらの人達を「枯れ木も店のにぎわい」と言う。 冷笑的な言い回しだが、それも仕方がないと言う。
例え今は枯れ木でもいつか大きな仕事を持ってきてくれるかもしれない だから邪険に扱ってはいけないと言う。 他から見ればいつもお客さんがいて、 繁盛している店に見えるかもしれない。
ところがこの不景気。仕事なんか持ってきやしない。 ただ世間話をしに来るだけだ。
お茶を入れる回数は半端ではない。 お茶菓子の用意だって馬鹿にならない。 灰皿を洗うのだって、テーブルを拭くのだって、 話を聞くのだって時間を割かれるのだ。
つまらない世間話の相手をしていてはこっちの仕事が進まないのだ。
それも仕事のうちと言われればそれまでだが、 実際うちの売上の99%は、ほとんど店に顔を出さない御客様で占められる。 年に1、2度くらいしか来ない。
逆にこっちが出向いて御用を聞く。もしくは電話とFAXで済む。 それでも十分にお客様の顔は伺える。
どんなお客さんに対しても同じに接しなければならないとは思うが、 Fツトムはこの御茶飲み話にくるだけの人達には正直まいっている。 これから先どのように対応して良いのか悩む。 正直言って「帰ってくれ」「来ないでくれ」という気持だ。
そういう気持ちを起こしてしまうようでは商売人失格かもしれないが、 口に出して言ってしまいそうなところまできている。
滅多に来ない大事な御客様が仕事の打ち合わせにきた時、 気を使って退席してくれればよいのだが、 こっちが主役だと言わんばかりに居座り、 話に首を突っ込んできてこちらの肝心な打ち合わせができなかったりする。
このような状況が今Fツトムを悩ますジレンマだ。 Fツトムには枯れ木に花を咲かす自信はない。
今日は愚痴日記になってしまったが、誰にも言えないでいる悩みなのだ。 そのうち爆発するかもしれない。
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2002年04月15日(月) 肉の果て
2003年04月14日(月) |
プレゼントフォーファーザー |
FツトムのおやじFマサヒロが寝室にテレビが欲しいと、 前々から言っていたのでFツトムの14インチのテレビをあげた。
Fマサヒロの誕生日が4月10日だったので、そのプレゼント。 親父に誕生日プレゼントをやったのは生まれて初めてだ。
「テレビやるよ」と言っただけなので、 Fマサヒロはそれが誕生日プレゼントとは思ってないかもしれない。
このテレビはFツトムがまともに働きだして、 初めてもらった給料で買ったものだ。
給料をもらった帰りに、新井薬師商店街の電気屋で買った。 NEC製ですでに11年が経っているがちゃんと映る。 当時の値段は忘れた。
4月10日にFマサヒロはうれしそうに寝室に抱えていったのだが、 今日になって「テレビを映るようにしてくれよ」言う。
Fマサヒロの寝室にはテレビの配線がきていないのだ。 テレビをくれるのならちゃんとそこまで面倒みろと言う。
仕方なく、仕事を終えてから天井裏にあがってテレビの配線をした。 10メートルのケーブルと分配器を買ってきて難なくつなげる。 電気のコンセントも近くに増設した。
寝室にテレビがつながって、Fマサヒロはうれしそうだった。
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2002年04月14日(日) 無口
昨夜は所属団体Yの通常総会に参加してきました。
着ていけるスーツが少なくなっていく中、 唯一着られる夏物の紺ブレを着て参加。 ワイシャツの首回りがきつくて大変でした。
総会終了後は懇親会がえんえんと続き、家にたどり着いたのは3時過ぎ。
ベロンベロンに酔っぱらった訳じゃないんだけど、 次の日の朝は起きられませんでした。 こんなんじゃマズイっす。
誰か喝をいれて下さい。
〜
久しぶりに伊藤タローに会った。
猛犬注意と書いてあるには、ぜんぜん吠えもしない。
柵を開けて「タロー!こっちこい!」と手招きするが、
いまいち反応が悪い。
よくよく見ると以前のタローとは毛並みが違う様な気がする。
伊藤タローと会うのは1年ぶりだったのだが、
「もしかしてこいつは伊藤タローではないのかもしれない」
と言う疑惑が頭をよぎった。
その時は飼い主のIケイスケが不在で真相は分からなかった。
夕方、Iケイスケに電話をして確認してみると、犬は換えてないと言う。
Iケイスケ曰く伊藤タローは頭が良すぎるので、
知ってる人には吠えるが、知らない人には吠えないそうだ。
と言うことは伊藤タローはFツトムのことを忘れてしまったのだろうか。
少しさびしい。これからはまめに会いにいってやろうと思う。
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2002年04月11日(木) シュウマイの数に関して
現場に仕事の打ち合わせに行った。
そこは更生保護施設。
昔からある古い施設で、敷地内には太い桜の木が何本もある。
見事に花を咲かせていた。
古木には堂々とした風格みたいなものがある。
ゴツゴツした樹皮は、長い間雨風を耐えてきた証だ。
そんな桜の木の下で少年達が日向ぼっこをしていた。
気持ちよさそうだった。
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3000円分の材料を納めるために片道1時間の道のりを配達に行った。 「次につながるから」と自分に言い聞かせる。断ったらそこで終わりだ。 帰りに現場の近くのコンビニに立ち寄る。セイコーマートというコンビニでPBの缶コーヒーが安い。本拠地は北海道だと思う。茨城では結構目にする。意外と人気がある。68円のブラックコーヒーを5本。それだけ持ってレジに行こうとしたがお菓子の棚で太鼓せんべいを見つける。懐かしい。せんべいと言うよりクッキーに近くてピーナッツが入っている。 この太鼓せんべいは祖父F利力の大好物で福島に行くといつも戸棚の中に入っていた。F利力はよく山に入る時にこれを御茶菓子に持っていった。 F利力は木こりで山の木を手入れするのが仕事だった。 平成10年10月18日に亡くなった。享年は忘れたが80は過ぎてたと思う。F家の男は代々笑ってごまかすのが得意だ。怒られてもニコニコしている。そんなじいちゃんの笑い顔を思い出しながら太鼓せんべいを食べた。
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2002年04月08日(月) 自分次第
うちの巴旦杏が満開です。
「ハタンキョー」プラムの木ね。
こういう時にデジカメ使えばいいんだよね。
全然使ってないんですデジカメ。もったいない。
うちの巴旦杏の花は全体的に白。うっすらピンクがかっている。
でも所々に紅梅のようなショッキングピンクの花が混ざっている。
極端なコントラスト。
いまいち文章じゃ伝わらないね。
去年は実がたくさんなって、味もそこそこ甘かった。
今年はどうかな。
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2002年04月07日(日) されるがまま
先ほどからここ2,3日の日記をうめている。
無理して書く程のことでもないのだが、
なんとなく書きたい気分だったのだ。
日中は予定があったのだがサボってしまった。
ラグビーのルール講習会に出席する予定だったのだが、
会場が遠いので急に行きたくなくなってしまった。
自分勝手な理由だが許していただく。
ころころルールを変えるのが悪いのだ。
(いい加減な人間だと思わないで下さい。こういう時もあるのです。) (説得力無いな・・・)
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2002年04月06日(土) 減量宣言
所属団体Cで毎年発行しているNET.Nに寄稿を依頼される。
以前この日記で、普段から日記を書いていると、
いざそういう原稿を依頼された時に、
文章がスラスラ書けるみたいな事を書いたが、
どうもそうでもないようだ。
普段の日記はラフに書いているから口語も文語もごちゃ混ぜ。
それに慣れてしまってるせいか、
ですます調のちゃんとした文章が書けなくなっている。
テーマや字数も決められているので今回は少し苦労した。
日記は日記でいいのだが、
基本は基本でちゃんとした文章が書けたほうがいい。
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「ドラゴンフライ」室井佑月(むろいゆづき)著。(HN図書館蔵)
小説を読むのは久しぶりだ。銀座のホステスの話。
室井佑月はFツトムより1っこ年上。
同年代の作家の作品を読むのは初めてだ。
初めのうちは読みにくい文章だなぁと思っていたが、
そのうち軽くスルスルと読めるようになった。
時代背景はバブル後の話だとは思うが。さすが日本銀座。
一線を画す。みたいなものがあるんだろうね。
まず一生無いね。銀座のクラブに飲みに行くなんてことは。
それはいいとして、
Fツトムは「ドラゴンフライ」が「とんぼ」の意味だってことが
分からないで読んでいた。それは単に莫迦なだけだけど。
最後の最後になって、蜻蛉、鬼ヤンマという単語が出てきて終わる。
あまり深くは考えなかったが。参考までに最後の部分を書き出しとく(?)
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「名前を呼んで」 リュウさん、リュウさん、といいながら、 彼はあたしの性器を舐めまわした。 あたしは顎をのけぞらせて、半開きになった窓を見つめていた。 空調の風に逆らって夜空に浮かぶ、細長いものが視界に映った。 蜻蛉。鬼ヤンマだ。 あの複眼が透きとおった翡翠なら、もっと、ずっと綺麗だろう。
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2002年04月04日(木) ロープワーク
4月だねぇ。サクラだねぇ。はじまりの季節だねぇ。
卒業ソングとか数々あるけれど、 ボクはチェキッ娘の「はじまり」って曲が好きなんだなぁ。 古い曲だけど、これが今聴いてみてもいいんだなぁ。 「お前はオタクかっ」と思うかもしれないけど、 いい曲だから聴いてみてよ。
30過ぎのおッさんが言うのもなんだけど、 アイドルの曲だっていいモノはいいんだよ。 5年も前だからさっ。ボクもまだ若かったのさっ。
いいモノはいいんだよ。 ボクにも何かはじまらないかなぁ。
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2002年04月03日(水) 観葉植物群
「妹島和世読本−1998」。市立図書館で借りてきた。
妹島女史は著名な建築家である。この方の作品集みたいな本。
写真とインタビュー記事が半々くらいだ。
作品の一つにパチンコパーラーがある。
その建物はFツトムの住む地域にあり、その前をよく車で通る。
あのパチンコ屋が女史の設計であったとは意外だった。
開店当時は洒落たパーラーであったが、今現在はくすんで見える。
作品がいつまでも残ると言うのはつらい。
時の重みに耐えられる物を作ると言うことは大変なことなのだ。
構造しかりデザインしかり。
多くのパチンコ屋が女性客をつかむために洒落たデザインに改装しているが、
パチンカー達にとっては「出るか出ないか」それだけのように思える。
あくまでFツトムのテキトーな意見。
Fツトムはパチンコはやらない。止めました。あの空気が嫌い。
タバコの煙がダメなのだ。金が無いと言う理由もある。
昔、予備校時代には親の金でさんざんやった。
親の金でパチンコ打って、タバコ吸って、酒飲んで。
そういう生活をしていた時もあったのだ。
もちろん反省している。「ごめんなさい」
しかし、Fツトムを形成した大事な時期だったと思う。そう解釈する。
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2002年04月02日(火) カリカリ
失意する。
よくあることさ。
ちょうど4月だ。仕切り直そう。
そしてコンタクトをやめて眼鏡にする計画を立てる。
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2002年04月01日(月) うずらの卵
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