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oneday  ぽぇ



 
 ファーストインプレッションの法則

初対面で好感を持った人と
友情が継続している法則を発見。

外見では無く感覚的なもので
あっ好きだな〜〜という感じです。

それは
お互いに感じられるのがベストでしょう
一方通行では相互成立が望めませんので
結局、無理をしてしまいかねませんから。

先日、電話で話しをしたLから
転居したので来てねと言われていたのですが
父の事やらで伺えずに2年が過ぎてしまい
昨日、やっと訪問して来ました。(^^;

11時に、最寄の駅に迎えに来て頂き
ランチを済ませてからL宅へ。

このL本人には言っていませんが
学生時代から好きでした。

そして何よりも楽だったのは
私への好意を感じられた事で
好かれようと言う努力をせずに済むのは
緊張感から解放され
アルファー波・シーター波
果てはアドレナリンも総動員で
心地良い〜〜〜のです。(^m^=)

毎日、一緒に登校し
下校時には寄り道をして遊んだのに
卒業して少し大人になってからは
恋人優先
面白い事優先で
お互いの存在は遥か彼方へと追いやり
いた事も忘れてしまっていたのです。

ところが年齢と共に
真っ白から始まった友情が
やけに懐かしく感じたりして
また交流が始まりました。

思い返してみればいろいろありましたが
根底に流れる好きという情が消えずに
続いていたのでしょうね。

30年もの時の流れの中で
途切れる事はあっても
何らかの形で関わって来たのですから
大切にしなくてはと思っています。

2005年01月30日(日)



 
 シングル・フォーカスなσ(^_^)

  友人に恵まれている事に甘んじている私は
  その大切さに頓着が無さ過ぎたかな?と
  最近、反省しきりだった。

  不動のものには努力をせず
  ネガティブな体験の修復にばかり時を費やし
  目に止めなければ良い事象を凝視して
  自ら疲れ果てていたなんて火中の栗の如し。

  バ○・・な事ではあるけれど
  脳が反応してしまっていたのだから
  抗し難かった。((´_` )言い訳・・・

そして
  捨てる神もあれば拾う神あり
とも、日記に書いた事がありますが
俄かに
そういうシチュエーションが多くなり
私自身のシングル・フォーカス振りが
浮き上がって来ました。

気にかかる事があると
回りが目に入らなくなってしまうようで
その事ばかりに気もそぞろになる
これは宙の専売特許だと思っていましたから
(〃゚ o ゚〃) ハッ!と言うほど鮮烈でしたね。

要するに私は
捨てる神に気を取られ
拾う神に気が向かなかった
と、言う勿体無い事をしていたのです。

昨日、母と外出した折に
私の性格は母からの遺伝なのを実感しました。

薄々感じてはいましたが
思考回路も対人関係での癖も
似たくないなと強く思っていた部分なので
ちょっと( ̄  ̄;)でしたね。

ともあれ
受け継いでいる事を認識したのですから
変えれば済む事ですが
これが至難の業なのですよね。

最近は努力してもいますから
多少、改善されつつはあるようで
宙との関係が良好なのは嬉しいですね。

でも、まだまだです。

気付いて努力をして
変えて行く事が最も大切なのでしょう。

2005年01月28日(金)



 
 告白

10年前に親の会で知り合い
殆どの行事を共にして来たGさん
お子さんが成人される少し前に退会されて
疎遠になっていました。

そのGさん、10歳くらい年下でしたが
冷静沈着で会でもトップに立ち
精力的に活動をされていて
私にとっては目標でもありました。

ある日、お茶をご一緒した折に
話して下さった告白からは
人が内面に持つ苦しみの深さを
全く見せない感じさせない人のいる事を
痛感させられるものでした。

人の言葉、態度を一表面でしか見ない
判断しないと言う事はありませんが
余裕の無い時は心の内を触れずに
流して来たのかもしれません。

それでも私如きに
本音を吐露して下さった経緯には
小学校の同窓生だったという
親近感からだったに違いありません。

生育暦から始まった詳細な吐露に
何も言葉をかけられず
ただただ、お話に耳を傾けていました。

心療内科に通い
薬を服用しながら活動しているのよ
と、明るく話される様子からは
現実と乖離し過ぎていて
俄かには信じ難かったものでした。

時が流れ
連絡を取り合う事もありませんでしたが
年賀状を頂いていた事で
辛うじて縁を繋げていて下さったのでしょう。

その後、私も鬱を体験する中で
フッと思い出し会いたいと思っても
アポをとる手順を考えただけで撃沈。( _ _)

お手紙すら書く事も煩わしく
筆が一向に進まずにいましたが
年賀状を頂いたままでしたので
久し振りに電話を入れてみる事にしたのです。

ルルルゥゥ〜というコール音が苦手で
聞いていると動悸がしてしまい
ドクドクと流れている血脈を感じながら
息を詰めて待っていると
ガシャリと受話器が上がり
懐かしい声が聞こえました。

元気な明るい声でしたが
紆余曲折をしながらも
鬱からは抜け出せずにいるとの事でした。

私も時折、鬱っとする時があり
その辛さは経験しているので
気持ちを察すると胸が一杯になってしまい
分かるとしか言葉をかけられませんでしたが
充分に共感していました。

まだ、会える元気が無いそうなので
ゆっくりと、その時が来るのを待ちましょう。

会えても会えないままでも良いので
元気でいて欲しいです。

2005年01月26日(水)



 
 カットモデル(移転先にて)

9ヶ月振りのJさん
カットの腕を上げていて
挟み捌きも軽くなり
耳元でシャキシャキと聞こえる軽い響きにも
自信が感じられました。

日頃は自分でカットしている私なので
人に、それも美容院でやって頂くのは
嬉しいですねぇ〜〜(^^♪

何といっても楽ですし癒されます。

30分くらいで終わると思っていたのですが
わざわざ1時間半もかけて
シャンプー、マッサージと丁寧にして下さって
本当に恐縮してしまうほどでした。

また、いらして下さいねと言って頂き
駅まで送って下さって嬉しかったですねぇ。^^

元気溌剌なJさん
どうぞ幸せな人生でありますようにと
願わずにはいられませんでした。

2005年01月24日(月)



 
 真打ち登場(岩井志麻子さん)

気になる人にも書かせて頂いた岩井さんが
スマスマに出演されました。

先週の杉田かおるさんの結婚特番で
放送が延期されていたこともあり
待たされた分ボワ〜ンと期待が膨らみ
本当に楽しみでした。

2年前でしたか?
TVにチラッと出演されていたのですが
キャラの余りの濃さに唖然とした記憶があります。

それ以来、すっかりファンとなりましたが
なかなか露出度が低くて・・・残念〜〜
と、思っていたのですが
いよいよの登場ですね。

人間的に、どうなの?と問われれば
・・・( ̄  ̄;) うーん・・・なのですが
私とて、人に胸を張って物を申せる訳でも無し
まぁ、細かい事は置いといてファンです。

人とは違った生き方をしている宙の事を考えると
岩井さんのようなユニークな方の登場は
いろいろな人の存在に光が当たり
人とは違った生き方も肯定される世界が
少しずつでも構築されて行ったら
それは凄くありがたいので頑張って欲しいですね。

それにしても
あの破天荒さには脱帽ですね。

本能の赴くまま気ままにでしょうか?

ああ、ちょっと羨ましい。・・;^_^A

2005年01月22日(土)



 
 悲喜こもごも

離婚問題を抱えているHから
年賀状を頂いていたのですが
ぽぇに会いたいと記してあったので
電話をかけてみました。

H〜〜、ぽぇよ〜〜と言うと
わ〜〜、声が聞けて嬉しいぃーーー
話しているとホッする
とにかく会いたいの
と、それはそれは凄〜く喜んでくれました。

ここ2〜3日
ちょっと、せつない思いをしていたので
浮き上がる切っ掛けとなってくれて
とっても、ありがたかったです。

捨てる神もあれば拾う神もある
うまく帳尻が合うものですね。

そして、悲しいことはと言うと
ふわりんが育てていたPちゃん(兎)が
死んでしまったとのメールが来た事です。

このPちゃん
研究用の兎で行く末は決まっていましたが
ふわりんは可愛いPちゃんとの別れが辛くて
引き取ったのです。

今時には珍しいスタンダードなタイプで
体は真っ白、目は赤い色。
いざ、ウサギちゃんという感じで
ほんとに可愛いウサコちゃんでした。

命拾いをしたPちゃんは
その後、10年もの長きに渡って
ふわりんと途中参加の旦那様と共に暮らしました。

優しい2人に可愛がられたPちゃんは
きっと、幸せだったに違いありません。

言葉を持たない子の健気さにも似た愛おしさ
そして、いろいろな気付きを与えてくれて
天寿を全うし旅立ったPちゃんでしたが
もっともっと長生きして欲しかったですね。

ありがとねっ、Pちゃん。

2005年01月21日(金)



 
 新年会-2-(寂しさから得たもの)

恒例のランチを「新年会」と銘打っても
いつもとなんら変わらないスタートでしたが
メンバーの一人Uさんが
この2月に転居される事になったので
急遽、壮行会となりました。

転居の理由は(私は事前に聞いていました)
喜ばしいものではなく
途中、涙ながらに話すUさんに
皆、何の言葉もかけられず
シーンとしてお話を聞いていました。

このUさんと私は
グループから離れた所で
10年程、かなり親しくしたいました。

子どもの状態が似ていた事
家が近かった事
そして
何よりも感性が一緒だったからなのです。

感性と言う点では
昨年の忘年会の帰りをご一緒したWさんも
よく似ています。

そこで、波長の合うUさんとWさんを
よく我が家にお招きして
(2人共、義父母さんと同居のため)
3人でランチをした事がありました。

関係性としては
Uさん=私=Wさんというもので
ランチをするようになってからは尚の事
常に3人一緒でした。

3人一緒だと思っていたのです・・・私は。

ところがUさんは今回のランチの件で
Wさんに参加の電話を入れていて
それを受けたWさんはお餞別のプレゼントを
用意していたのでした。

その場で知った私の気持ちが
動揺しているのをハッキリと感じました。

人は常に新鮮な出会いを優先し
口当たりの柔らかな新しい人へと
引き寄せられて行きがちですよね。

10年という一区切りが大好きですし
年月をかける事で深い味わいが出て来る
と、信じていましたが
10年かけても強い絆になるとは限りませんね。

ひょっとしたら
それが人間の深さ・面白さなのかもしれません。

自分の幸せを求め続けるのが人間であり
それを誰も止める事は出来ない事も
当然の権利だという事も分かっています。

考えてみれば
Uさんとの出会いも
Tさんという人を通じてのものでした。

いつの間にか
Tさんを介さずに
Uさんと親しくなっていたわけで
私自身がして来た事のリフレーンですね。

忘れ去られてしまう訳でも無いのに
必要とはされていない感覚を持つのでしょうね。

  その人が幸せになってくれれば充分なのに
  その事を心の底から願い祈っていた筈なのに
  何とは無しに置き去りにされたような
  空しさと寂しさが去来して
  雲をつかもうとするかのような欲望が
  無私になれない気持ちを溢れ出させて
  傷口に沈殿し始めて行く。

と、以前に書きました。

人は知らず知らずの内に
傷付け合いながら生きているのでしょう。

そして、その傷の感じ方の違いが
感性としてお互いを許容し合い
惹かれ合っているのかもしれませんね。

自己分析をしてみれば・・・
心の何処かに寂しさが居座っていて
満たされない思いが少しあるのでしょう。

でも、うぇぶ日記を書くようになってから
自分を客観的に見られるようになり
動揺はしても書き捨ててしまえば
引きずらずに済んでいるようです。

ここ4〜5年で
私は大きく変われたと思いますが
それは確実に良い方向へなので
心から楽しめる日が来ると信じています。

2005年01月20日(木)



 
 新年会(多種多様な心理)

役員の新年会で横浜へ。

スカイビル27Fにある「クルーズ・クルーズ」
食べ放題のバイキング形式で
フロアーが凄〜く広いのにはビックリ
おそらく、400人位は収容できるのでは?

右を見ても左を見ても女性ばかりで
大きなトレーにテンコ盛りのお皿をのせて
右往左往している姿は圧巻でした。

食欲の誘惑って抗し難いですものね
えぇい、どうにでもなれとばかりに
食べてしまってから後悔することも。(^^;

*********************

今年度の役員さんの数人が
ガッチリとグループを作っているのですが
面白い事に、その回りを
グルッと囲むような集団が存在しています。
まるで取り巻きのようです。(^○^);

他の人達は全く入る事が出来ません。

私は昨年度からの引き続きなので
不自由はありませんし
グループに属そうとは考えていませんので
万遍無く言葉を交わす事が出来
有意義な時間を過ごせています。

他の方々は寂しいでしょうし
つまらないでしょうね。

案の定、グループに属せなかった人達は
途中で退席されてしまいました。

何とも人の心の悲哀を垣間見たようで
人間関係は永遠のテーマなのねと
感じたりした一時でした。

私は来期も役員を引き受けていますので
人の動きに左右される事なく
お仕事に専心していこうと思っています。

本当は学校に顔を出す事で
宙の事を理解しようとしない教科の先生方とか
波長の合わない役員さんと
顔を合わせるのは少々苦痛でもあるのですが
その苦しみを回避させるために
簡単に背を向けて惰性で走るのは止めました。

担任との関係が親子共々とても良いので
引き受けたからには流れに任せて頑張って
卒業の日を迎えたいなと思っています。

2005年01月19日(水)



 
 年賀状が教えてくれたこと

今年は行動的にと考え
その事を1年の目標とし
宙と私の人生は分離させて
お互いが楽になれるように
まずは自分を大切にを優先させよう
と、決めたので凄く楽しみ。(^-^)

元旦からは外出が続き
殆どジッとしていなかったせいか
動く事にも慣れてフットワークが軽くなり
幸先の良いスタートが切れたように感じます。

+++++++++++++++++++++

ここ数年
年賀状を全く出していません。

更年期の激しい鬱状態の中
何もする気になれなかった時に
幸か不幸かメールという
簡便なツールを手に入れてしまい
アナログから遠ざかってしまっていました。

それでも毎年のように賀状を購入しては
書かずに放置という散々の体たらく振りには
自己嫌悪もありましたが
分かっているのに出来ない脳状態からの
脱出は不可能だったのでしょう。

気持ちはあっても体が動かずにいて
殆ど放置状態だった・・・にもかかわらず
数十枚も届く賀状を見るのは嬉しかったですね。

自分の明確な意思を持って
出さずにいたわけでは無かったので
ありがたい気持ちになっていたように思います。

さすがに、年々少なくなり
音信不通になる人もいますが
その事が気になる事は無く
むしろ、関係性を考えてみようかな?
と、気付かされたようで私的には良かった。

昨年は
激減すると予測していたのですが
意に反して沢山頂き・・・何故?と
申し訳ないような不思議な感覚が渦巻いて
オフラインの大切さを再考させられました。

鬱々とする事も多かった昨年を思うと
本当にありがたく感謝の気持ちで一杯。

もう、今年はゼロに違いない
それも私の人生でしょうと考えていましたが

 

賀状も届き電話やメールまで頂き
ああ、こう言う静かな関係がいいなぁ〜
と、つくづく有り難かったです。

年賀状って何?

このまま書かずに済ませていたら
確実に友人は去って行くのでしょうね。

不安定で吹けば飛ぶような薄紙の如く
儚いものなのかもしれませんね。

その継続のために書いていた年賀状
私は一体、何をしていたのでしょう
何の意味があったのでしょうね。
空しさはありませんが
無理をしていたのかな・・・とは思います。

今は友人も激減しシンプルではあるけれど
内容の濃い関係に移行して充実しています。

人との関わりは
数の論理とは反比例していて
友人・知人の多かった時の方が
心が満たされてはいなかったように思いますね。

今は、とっても楽で幸せ。(*^^*)

鬱から抜けつつあるこれからが
大切な人生となるのでしょうねぇ。

その事を考えさせてくれた
たかが年賀状
されど年賀状に
感謝。

そして
何よりも送って下さった方々には
頑張る元気を頂きました。

心より感謝しています。m(_ _)m

今、コースターをチコチコと作っていますので
出来次第お送り致しますねっ
気長にお待ち頂ければと思っています。

どうぞ宜しくお願い致します。(o_ _)o))

2005年01月17日(月)
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