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oneday  ぽぇ



 
 怒涛の幕開けとなった 2004年

1月のある晩、兄から電話があり
父の様子が変だからすぐに来るようにと。

父は、その2週間ほど前に階段を踏み外し
頭部を強打していた。

縫合する程の裂傷を負ってしまい心配したけれど
検査では大きな異常は発見されなかった。
しかし痴呆の症状が急速に進んでしまった。

日ごとに状態は悪化して行き
見た目にも駄目かもしれないことは歴然としていて
否定のしようもなく覚悟をしなければならなかった。

私は父を敬愛していたので
いつの日にか来るであろう別れを考えただけでも
欝になるほどの胸苦しさをいつも感じていた。

そのことを考えると怖くて怖くて
心の何処かに封印してしまいたかった。
そんな日が永遠に来ないようにと・・・。

ところが現実に直面すると
しっかりしなければとの思いが勝って
ことのほか冷静だったのには驚いた。

父には何故かズーーッと以前から
痴呆の様相を呈して欲しかった。

「死」の苦しみや恐怖から開放され
安らかに・・・と願っていたので
お世話することは大変でも嫌ではなかった。

今は父の様子から、
ある種の安堵感とゆったり感に包まれて
頑張る元気が溢れて来た。

毎日、電車とバスを乗り継いで病院へ会いに行く。

車椅子に乗せ日光浴を楽しませたり
足をマッサージしてあげたり
いろいろと話しかけたりしていたら
少しずつ変化して来た。

痴呆の進行がストップし
表情が豊かになって言葉が戻って来ている。
そして、私の顔を見ると「すまないねぇ」と言う。

昨日からリハビリに入った。
人間の生命力って凄い、
ここまで回復するとは思ってもみなかった。

病院から戻って来られる可能性も高くなって来た。

自宅での介護がスタートする事になるのでしょうが
兄と共に頑張ろう。

家族に心の準備期間を与えてくれている父には
感謝している。

大変だったり辛かったりもするでしょうが
もう少し、もってくれたら有難い。

困難をポジティブに考えられれば(難しいけれど)
苦労は人間を成長させるものだと
つくづく思う。

楽しみにしていた友人巡りツアーは
当分お預けになってしまいそうだけれど
合間をぬって実現させようと思っている。


2004年02月04日(水)



 
 思わぬ展開

宙のことが落ち着いて
腸からの出血も落ち着いて
さあこれからと考えていた矢先
ほんとにほんとに思わぬ展開が待っていた。

いわゆる老人介護という新たな現実に直面
人生とは深いものだな〜と
以外なほどの余裕を持って取り組めていた。

人間は体験学習の動物。

たとえ見聞きしたとしても
分かりきれるものではないのに
たった一度の体験が凌駕してくれる事は沢山ある。

ところが介護の問題は
頭では十分に理解していたはずなのに
実際は想像を遥かに超えていた。

本人が一番辛いのは分かっているので
嫌という気持ちは全く無く
何とか心地よくしてあげたいと思っているけれど
これは相当の覚悟を持ってしないと
出来ることではない事を実感。

介護士さんの中には分厚いマスクをしている方がいる。
マスク無しでお世話をしている方もいる。
私は自分の親なので当然だとは思うけれど
他人である介護士さんのそういう姿を目にすると
私の中に戦慄が走って行く。

他人の・・・私には出来ないと思う。
療育センターで子ども達のお世話は出来たけれど
大人となると・・・分からない。

自分の根幹がユラユラと揺らぎ始め
ガラガラと崩れて行くのが分かる。
そんな自分の本質を見て情けなく感じた。

最近の私は、
いろいろなことをあまり考えないようにしていた。
それも良い結果を生み出してくれてはいたけれど
時には真摯に考えて自分に問題提起を課し
どう生きたいのかを思い巡らせてみたくなった。


2004年02月07日(土)



 
 もっと優しく

母は足が悪く薄く痴呆もあるので
電車とバスを乗り継いで
一人で父の所へ行かせるのはとても心配。

平日は兄達の食事をみているので
5日間は私が一人で行き
帰りには実家に寄り父の状態を報告する。

土日には私と病院へ行く事が出来る。

こうして最近は母といる時間が多くなり
同じ話を何度も何度も何度も聞かされる事に
少々疲れ始めていた。
誠実に相手をしてあげたい・しなければ
との思いが強く気を抜いていない自分がいた。

宙で経験済みとは言え
相当の忍耐力が必要で
近頃は生返事をしたりしている。(^^;

父に対しても
入院前からの看護で慣れて来てしまったのか
ちょっと手を抜いたりしている。(*´▽`*)ゞ

昨日は、
少し遅れて来た兄と一緒に
父を車椅子に乗せてサンルームへと行った。

いろいろ話かけられながらの
日向ぼっこは嬉しいのか
血色も良くなり表情も柔らかくなった父
元気になってくれると良いのだけれど。

兄は大変な親思いの人、兄弟ながら頭が下がる。

ああ、自己嫌悪だわ。

兄の曇りの無い優しさを見ていると
優しいっていいなぁ〜〜♪とつくづく感じる。

忘れかけていた優しさの心地良さ。

もっと優しく。
もっともっと優しくありたい。

さぁ、今日も病院へ・・・。


2004年02月09日(月)



 
 笑顔

リハビリを頑張っている父に
そんなに頑張らなくてもいいから
ゆっくり養生して時間をかけて治そうね
と言ったら微笑んでくれた。

久しぶりの笑顔に
何だか新しい発見でもしたかのような
新鮮な感動を覚えた。

父は穏やかで静かな人なので
あまりお話しをする事がなかったけれど
ベットサイドに長い時間いると
ぽつりぽつりと話をしてくれるようになった。

これから可能な限り
父の半生のようなものを聞いてみたい気がしている。

父と母のお世話をするようになってから
無償という精神が確固たる物になったように感じる。

宙に対しては確かに無償の愛を持っている。
けれども他の人に対してはどうだったか?
と言うと必ずしも生かされてはいなかったと思う。

心積もりとしては相手に何をも求めない
というスタンスを持って対してはいるけれど
深層ではどうだったのかな?との疑問がある。

母の同じ話の繰り返しを苦痛に感じていたのは
何故?

おそらく単純過ぎて退屈になり
私の脳が受け付けなくなってしまったのでしょう。
それは生理的なものもあるのでしょうから
自分を責める事はよそうと思った。

そして、ふっ〜と気がついた。

嫌々聞いても、ちゃんと聞いてあげても
経過時間は同じ。

自分がどう感じるかなのでしょうね。

聞いてあげる事で
母が喜びを感じ満足してくれるのであるならば
そうしてあげよう。

喜びや笑顔は良いに決まっている。
だったらそうしよう。

たかが脳されど脳。
脳に支配もされず負けもせずに
上手にコントロール出来たら楽でしょうね。

私の人生を
自分の脳に支配されているとはこれ如何に?^^;

今日は一駅歩いてみようかな?
・・・ではなく、歩くのだっ(^^♪

2004年02月10日(火)



 
 生きるって大変

父とゆっくり話をした。

ところどころ意味不明になったり
意思の疎通が悪かったりはするけれど
こんなに向かい合ってお話をした事は無かった。

今日は私の話を素直に聞いてくれたし
自分の気持ちも真っ直ぐに話してくれた。
私が「生きるって大変よね。」と言うと
黙って頷いていた。
こんな時間が持てるなんて想像もしていなかった。

今、私は父の所に毎日通っている。

私が入院していた時、
母は3ヶ月半毎日来てくれていた。
病院からの帰りのバスの中で、
その事を思い出し大変だったでしょうねぇーと
今更ながら感謝の気持ちで一杯になった。

遅ればせながらではあるけれど
精神面での親孝行をしようと心に誓った。

2004年02月11日(水)



 
 高熱

突然39,5度の発熱。
久しぶりの高熱に参ってしまった。

気持ち的には頑張れると思っていたけれど
やはり相当参っていたのでしょうねぇ
精神の及ぼす影響力の大きさに
今さらながら思い知らされた。

今回の風邪も薬は使用せず
高熱の力に任せて戦ってもらうことにし
頭部を氷枕とアイスノンでガンガン冷やした。

薬はすべからく腸へのダメージが強いので
余程のことがなければ使用しない。
本当は喉から手が出るほどに使いたかったのだけれど
とにかく出血は避けたかったのでひたすら忍の一字。

こういう時の一人身は辛い。

まっ、宙がいてくれたので心強くはあったけれど
頼りになるかどうかとなると♪〜( ̄ε ̄;)ムニュ。。。
多少ピントのずれた思いやりを示してくれたりして
ああ、まさしく自閉症だわ〜なんて再認識。(^^;

学校から帰って来たら
まずは母の様子を見に来るものでしょう。
ねぇーー。

ところが帰って来ているのに一向に2Fには来ない。
((´_`; とほほ ・・ と思いながらも
階下に降りる元気もなくボーーッとしていたら
1時間程してトントントンと階段を上る音が聞こえ
やっと宙の登場と相成った。

「どうですか?」と言ってくれたけれど
私には言葉を交わす元気もなく
ひたすら唸るのみ。。・゚(>_<)゚・。

アルカリイオン水を買って来てくれるよう頼んで
再び撃沈。

そう言えば宙が幼稚園児の頃
二人揃って高熱を出したことがあった。
宙をソファーに寝かせ傍らで付き添いながらの看護は
言葉に出来ないほど辛かったけれど
これがシングルの生きる道なのねぇ
と相当の覚悟を決め強くなった一瞬だったことが蘇った。

父との会話ではないけれど
「生きる」って本当に大変。

それでも生きる価値があるからこそ
こうして生きているのでしょうねぇー。(¨*)

2004年02月14日(土)



 
 実りあり

今日、やっと体も平常に戻りつつあり安堵。
ただ、喉の違和感と味覚異常が治まらず
何をたべても味がしない。

その上、鼻も詰まったりしているものだから
香も感じられず食に関しては最悪ぅぅ
と思いながらもパクパクと食事をしていたら
そこへ電話が。

宙より1歳年下の友人の子(発達地帯)の
高校が決まったのよーーとの知らせだった。
心から嬉しかった。

彼女とのお付き合いも9年になる。
某国より帰国後間もなかった彼女は
相当に不安定だった。

それが今では自分をも大切にしながら
共に成長し目標を達成させたのだから
未来はほんとに分からないと言うことなのねっ。

彼女は長い外国生活によるエスプリが
スタンダードにあるせいか
始めは馴染めなかったけれど
今はドライとも思えるハッキリした態度が
私には分かり易くて結構気に入っていたりもする。

おそらく包み隠さず何でもお話しができる
数少ない大切な友人の一人なりつつあるのね。

時がいろいろな人間関係を
柔らかく包み込んでくれているように感じる。
焦らずゆっくり時間をかける事の大切さを
これからも気持ちの何処かに置いておこうね。

2004年02月15日(日)
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