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oneday  ぽぇ



 
 主体性

先日、
特定疾患の更新のため
一年振りに病院へ行った。

病気は安定していて緩解期にあり
特に治療の必要はないので
これからも上手くコントロールをして
再発しないようにして行かれれば
もう、それだけで充分だと思った。

しかし、
8月から本格的に宙父との生活が始まる。

その事を考えただけで鬱々としてしまい
自由を奪われる事への言いようの無い虚脱感に
沈み込んでしまっていたけれど
有り難いことに
この10日間、仕事で戻って来ない事になった。

喜ぶのも失礼な話ではあるけれど
自分で望んだ生活に入るわけではないので
とても抵抗があり葛藤していたから
肩の力が抜け(´。`)フーーッと吐息が出た。

10日という与えられた貴重な時間の中
自分を納得させたくて考えて考えて
やっと気持ちの整理を付けることが出来き
気持ちが軽くなったら
見えるものの総てを変えてみたくなった。

私はせっかく生まれて来たのに
何故、人生を楽しまないのだろう?

何だか人の事ばかりに目をやり気を配り
神経をすり減らしていたように感じる。

両親の事。
親族の事。
宙の事。
宙父の事。
友人の事。
ご近所の事。
接する総ての人の事。

とても大切な人達の筈なのに
自分で空回りをさせていた。

自分に主体を置いて生きないで
自分を亡くしてしまって
人のせいにするような事だけは絶対に嫌。

さっそく変える事から始めよう。

精神論で自身を縛り付ける事はもうしない。
宙に出会った事に感謝したり
病気になった事が良かったとも考えない。

もう十二分に感謝して来たので
今は、ただそうなったのだから
その現実をそのままに楽しもうと思う。

2004年07月31日(土)



 
 喧嘩

争う事が何より嫌いな私は
子どもの頃から喧嘩をした記憶がない。
勿論、兄弟喧嘩もした事はない。

人との関わりで雲行きが怪しくなると
すぐに謝ったりしてしまうので
私の何処の何が悪かったのか
果たして自分に非があったのかどうかも
皆目、見当が付かないままに
とにかく終結させてしまっていた。

つい最近までそうだった。

でも、これはよくないなぁーーと考えてからは
少し方向転換などを試みている。

過去、唯一の大喧嘩は夫とだった。
本気で向かって行ったのだから
それはもう凄まじく
自分の中に
これほどの激情があったとは
信じられない思いで一杯だった。

こんな事、絶対に口にしてはいけない
と、分かってはいても吐き出していた。

そして、自己嫌悪に陥り苦悩する。

そういう事に、
どうしても馴染めないでいるのに
人に向かって感情を剥き出しにし
声を荒げる行為は受け容れ難く
結局、自分の身体が反応し
自らを傷つける事で
逃げようとしていたように思う。

それが次から次へと現れた
病気という名のシンドローム。

心が壊れる前に身動き出来なくする事で
回避させていたのかもしれない。

そうは言っても病気は本当に辛いもの
だから争う事を極力回避しようと考え
なるべく摩擦の少ない生活を選択すべく
対人関係を減そうとの一大決心をして
それに沿った行動を開始し現在進行形。

もともと精神的な世界観が大好きだったので
心については常に考えていたほうかもしれない。

ところが精神論だけでは解けない謎に
ぶつかるたびに頭を抱え込んでいた。

それが宙の出現で
( ¨ )ん?な〜〜んだそうなの?と謎が解け
そして、ネットでの交流の中で
いろいろ力を貸して下さる方々と出会って
やっと自分が確立出来た観がある。

で、次に与えられた課題が喧嘩だった。

とにかく喧嘩慣れしていない私としては
なるべく避けたいところだけれど
宙とのバトルが始まってしまい((´_` ) トホホ・・ 。

でも、宙と喧嘩をするようになってから
お互いを理解し合う深さが増して行き
とっても良い状態が始まりつつある。

喧嘩をしたらお終いで関係は修復できない
と言う構図が成り立っていたカチコチの頭には
少しくらい後を引いてもいいじゃないと言う
軽〜〜い発想が無かったのだと思う。

後を引かない喧嘩。
そういう世界があるなんて知らずに生きて来た。

何だか自分の内面に変化の兆しが見えてから
宙との喧嘩の頻度が激減したから不思議。

( ̄〜 ̄) フーンそう言う事なのねっ。
総ては自分が変わる事で始まるのねっ。

分かっていても出来ずにいるのは良くないでしょっ。
まずは行動・・・なんて偉そう言ってるだけではなく
行動 ε=ε=ε=(o^^)o G0〜♪

2004年07月26日(月)



 
 理屈ではなく

暑さに弱いのだから
食欲も落ちそうだけれどそれは全く無し。

確かにバテ気味ではあるけれど
寝込む事もなく家事はこなせるので
とてもありがたく感じているし
熱地獄の様な外へ行かなくて済む事に
多大なる感謝もしている。
が、しかし宙父との生活は
イライラのしっぱなしだった。

10年間の別居というブランクを埋めるのは
並大抵の努力では乗り切れないほどに
総てが噛み合わない。

一人の自由を味わってしまった私には
相手に合わせて生活しなければならない日々は
絶対に嫌だと言い放ちたいくらい嫌だった。f(^_^)

それも
まぁ1ヶ月位の辛抱かな?と読んでいたけれど
慣れるものなのね。
と言うよりは諦めたのかもしれない。

それにしても
宙父には申し訳ないと思っている。
よく我慢してくれているな・・・と。

時々、抵抗なるものを試みているようだけれど
私に一蹴されて終わり。(^^ゞ

時とともに落ち着いた生活に戻りつつあるので
この暑さを乗り切れば
平常心が戻って来るでしょう。

++++++++++++++++++++++++

カリカリ・トゲトゲした心模様に
うんざり(自分に対して)した時などの
癒しアイテムがある。

いろいろあるので本当にありがたいのだけれど
今一番のお気に入りは、中国・広東雑技団。
中でも東方の白鳥 ― 奇蹟のパ・ド・ドゥは
理屈を超えた感動を与えてくれている。



言葉の嘘。
表現の詭弁。
ネットの表裏。
知ってしまった。
見てしまった。

目に見えないものの中に大切なものがある
という事は充分に理解しているけれど
今の私には見えるもの聞こえるもの
触れる事の出来るもので救われている。

しばらく精神世界から離れて
現実を生きてみよう。

2004年07月21日(水)



 
 千日廻峰

今日、TVを見ていて
過去に同じような番組を見たという記憶が
蘇って来ました。

中学3年の時の修学旅行は「京都」でした。

折角いろいろな社寺仏閣を訪れたのに
記憶には薄く、殆ど残っていないのが現実です。

ところが
比叡山「延暦寺」の事だけは
しっかり刻み込まれていて
今でも消える事はないのです。

樹木がうっそうと茂り荘厳で
好むと好まざるとに関係なく感じるものがあり
それは自然崇拝の気持ちが目覚めた瞬間でした。

元々、信仰心はあっても
宗教に帰依するほどの情熱が無かった私は
自然の中や自分の中に神が存在するという
考え方が好きでした。

比叡山の記憶は脳裏にしまい込んだまま
煩悩を追い求める日々を過ごしていたある日

テレビに映し出された映像に
襟を正して座りなおし
食い入るように見た番組がありました。

「千日廻峰」を満行し「阿闍梨」になった方の
ドキュメンタリーです。

+クリック+

あれから25年。

今日のTVで
自分が何も変わっていないのではないかという
ブラックホールに落ちて行くような空しさに
血の気がスーーーッと引いて行き
ふーーーーーーっと溜め息をつきました。

宙を育てる事を修行のように感じ
だからいいのだと勝手に決め込んだりして
一体、何がいいというのでしょう。

頭をガ〜〜〜ンと叩かれでもしたかのような
ショックが身体中を駆け巡り
あああぁぁぁーーと頭を抱え込むほど
情けなく感じました。

宙は私の生き方を見ています。
そして、私の生き方そのものを
批判するつもりは無いと言います。

けれど、僕の生き方に干渉したり
支配したりしないで欲しいと言います。

そうよね。
貴方がゲームセンターでお金を使う事も
母が宝塚を見に行く事と何らかわりは無いのよね。
それを禁止した事は無いけれど
無言のプレッシャーを与えていたのかな?

まだまだな母ですね。

今日の番組で
若い僧侶が「千日廻峰」を満行するために
今この瞬間も比叡山の山野道を
駆け抜けているのかと思ったら
その事実から来る重みに
頭(こうべ)を垂れ真摯な気持ちで思いました。

体調の悪さくらいで滅入ってしまう弱さを
自分に厳しく叱咤する事で跳ね除け
頑張ってみよう。

誰かに救ってもらう人生ではなく
自分の力で生き抜けなければ
宙の力にはなってあげられないように思います。

これが最後のチャンスなのかもしれませんね。

2004年07月19日(月)



 
 まさにシンドローム

昨晩、AS関係の親達6人が居酒屋に集合。

子ども達の年齢は
小学生から成人までと幅が広く
それぞれが全く違う様相を呈している。

考えてみたら
私の中にも「私シンドローム」があり
いろいろな表情を持っていて
自分を持て余しているのだから
子どもの事で悩むのは仕方のない事なのかな?

6人がそれぞれ子どもへの対応の難しさに苦慮し
将来への道を模索している最中なので
一応、勉強会と銘打って集まった。

飲み会になってしまうかな?
と思っていたけれど
とっても真面目に話しあった。

それでも、そこは居酒屋
皆、グイグイと呑むほどに
饒舌になり本音やら愚痴やらで
大いに盛り上がった。

私は全くの下戸なのでジュースで素面
それでも揮発するアルコールに酔ってしまい
本音がポロリポロポロ。(^^;

論理的には皆が酔っているので
私が何を言おうと無礼講のようなもの(^Q^)
面白い展開に新鮮な発見をした。

今回、全く参加する意志はなかったけれど
電話を頂き段取りをしてくれた方の労を考えると
ありがたく感じ入り重い腰をあげたのだった。

参加するからには
自分を亡くして相手を尊重し過ぎる事を止め
私自身を主体にした意見が言えるように
と心に決めて行った。

摩擦はあったけれど
これで良かったのだと思っている。

酒席は苦手だけれど
これからも参加してみようかな?(^Q^)

2004年07月18日(日)



 
 薬

夏は暑さで頭が朦朧としてしまい
地獄の日々となる。

自己免疫疾患があるため
体温の調節が難しく
熱と発汗をコントロールする事が
最大の問題点となっている。

朝からクーラーの恩恵に浸りきりたいけれど
ドライアイの目には堪えてしまうし
あーあ、複雑過ぎるこの身体を
少々持て余し気味・・・なのだ。(--;)

やらなければいけない事。
解決しなければならない事。
気持ちに添ってあげられないでいる事。
沢山の問題を抱え込んでしまっていて
完全に逃避したいモードに入っていた。

だからと言うわけでは無いけれど
6月の中頃から体調不良が続いている。

7月に入ってからは胸に去来する思いに
過ぎた日々を振り返る事が多くなってしまった。

総てを乗り越えて来たつもりだったけれど
今頃になって沈み込んだりしている。

そう言えば昨年も7月に病気が再発したのだった。
夏は苦手だと言う思考を変えて行かなければねっ。

気持ちだけでは如何ともし難い症状に
数日前から薬を服用し始めた。

体熱を下げて鬱々とした気分を落ち着かせる薬。
これが体に馴染んで効果を発揮してくれれば
ありがたいなぁ。



2004年07月13日(火)



 
 離婚に向けて

着々と準備を進めている友人M。

Mとは電話で何度も話しているけれど
父の事があって会う時間が取れずにいた。

ランチも兼ねて会えないだろうか?と連絡があり
何とか用事の合間をねって会って来た。

声だけだと表情が見えない分
心配が募ってしまっていたけれど
目を見て話していると気持ちの重さがよく分かり
言葉かけも適切にできたように感じる。

会う前には、やつれているのでは
と、気掛かりだったけれど
その思いを見事にブチ破ってくれて
前進しようとしているエネルギーを強く感じたし
以前よりスッキリと綺麗になっているのには
いやはや驚きだった。

だいたい私と同年齢でポニーテールは無いでしょっ!
ところが違和感が無い上に似合っている。
ひっつめ髪とは違うハイポジション
アメリカの女の子みたいに可愛かった。
いくつになっても可愛いのは良い事です。(^^ゞ

別居しながら修復に向けて努力していたM
もう無理だとの見極めが出来てからは
サッパリとしたようで
未練は無いの?との私の言葉に
まるで無しと言って笑顔を見せた。

そういう心の軽さが若々しくさせているのかなぁ?

いいなぁーー、身軽で・・・。
な〜んて羨ましがった私に
ぽぇのシングルライフを見ていて決心したのよと。

はぁ〜〜、私と言えば
宙のお蔭でシングル・パラダイスも終わってしまった。

宙父とは変則的な同居生活に入っている。
宙の事は総て移譲させて頂いたので
楽にはなったけれど忙しさが増してしまった。( ̄〜 ̄)

これから先、
どういう形になるのかは分からないけれど
今は宙にとって大切な時期だと思うので
このスタイルを続けて行く事でしょう。

老後は友人達と暮らすかもしれない。
それもまた楽しからず也。(^^♪

2004年07月05日(月)
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