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oneday  ぽぇ



 
 日記のお休み

父の事で
いろいろと準備があり
忙しくなって来たので
しばらくお休みしようと思った。

そして、少しネットを離れて
前々からやりたいと考えていた事に
着手しようと思う。

前進している感じがあり
意気込みに溢れている。

生きている事は奇跡。

やれる事はやれる内にやっておこう

頑張ってみたいから・・・。




2004年03月24日(水)



 
 固有の人生

私のような人生は
私だけに起きているものではなく
日本中、いえ世界中のどこかで誰かも体験中の筈
決して私一人の身に起きている事では無いのよね。

誰かが私と同じ体験をしているからと言って
それは私ではなく
私は自分自身の身に起きている今を
生きているだけ・・・なのでしょう。

最近は
稀な現実を体験中なのだと言う特別な思いも
共感を共有して気持ちを軽くしたい
との考えも薄れて来ていて
この人生の総てを
事さらに悲劇化する前にストップをかけ
(あくまでも私に関して)
上手に回避できているように感じる。

それが出来るようになったのは
ウェブ日記に因るところが大きい。

この時代にパソコンというツールを得られた事は
考え得る言葉の総てを尽くしても足りない程に
ありがたい。

これからも自分のために
長く〜〜続けて行かれるように
無理をせず、気負わず、自然体で書いて行きたいなっ。

  
希望に向かって

2004年03月23日(火)



 
 桜が見られそう・・・。

昨日、母と宙と父の所へ行った。

宙は母(祖母)の側から離れずにいて
腕を支えたり自然に手を繋いだりするので
母も宙に腕組みしをしたりしている。

バスの中でも二人で座り
母の同じ話の繰り返しにも耳を傾け
うんうんと上手に相槌を打っていた。
・・・ように見えた。(^^;

私とは違って
それは自然にしているようにも見える
きっと相通ずるものがあるのでしょうねぇ。
自閉症と痴呆症。
まさしく共生・・・凄く微笑ましい。^^

私とは外出も嫌がるのに母に対しては優しい。
そんな宙を母は可愛くて仕方がないのでしょうね。
宙ちゃん宙ちゃんと頼りにしている。

父との関係では
実家に行くと二人はずっと一緒にいる。
波長が合うと言うのか
とにかく仲良し。

兄はそんな光景が目に焼きついていると言う。
うんうん、可愛かったわねぇ。

父は宙が近づいて言葉をかけたら
満面の笑みを浮かべた。
ほんとにほんとに嬉しそう。

帰り際、握手をしてまたねと言った宙。



4月にはリフォーム中の部屋も完成するので
退院が決まっている。

また今年も桜が見られそうで良かった〜〜。(^^♪

2004年03月22日(月)



 
 ビーズ講習会

役員仲間のTさんMさんに誘われて行って来た。

今回はフルーツバスケット。


私の作品(左)と3人の作品
と〜っても可愛い^^





2004年03月19日(金)



 
 億ション探訪

昨日、お呼ばれをしてRさん宅へ伺った。
都心にある5LDKの億ション。(◎0◎)

初めて伺ったその広〜い家の中に入って
うわっ!
す・凄い。
何がって超豪華・・・なのではなく
昨今よく見聞きする「片付けられない症候群」

伺う前からゴッチャゴチャだから
ビックリしないでねーーと
事前に入力はされていたけれど
無理ですって無理
ビックリする気持ちは正直だった。

我が人生で2人目かなぁ。

物が散乱しているだけではなく
ティッシュなども絨毯に転がっている。
外ではないのだからゴミ箱にでしょう。>普通は

などと一通り心の中で驚いてはみたものの
何だか変な安堵感に満たされてしまった。

私も整理整頓が苦手で
収納力の少ない我が家では
しまいきれずに外に出ている物もある。
その事でいつも自己嫌悪に陥っていたけれど
Rさん宅拝見して本当にホッとしてしまった。

いいのよねぇー自分が良ければ
それを頭の中では重々わかっていても
世間体や低次元のプライドが許さなかった私。

いかに世間が狭かったかを思い知った。
そうそう、井の中の蛙。

友人達の殆どがキチンとしていて
中にはモデルル−ム並の美しさ
な〜んて人もいる。
彼女達に触発されて努力はしたけれど
自分の分は超えられないと言う事なのね。
小綺麗にしておくので精一杯・・・かな。(^^ゞ

考えてみたら誰のために片付けるのかなぁ?
家族のためであったり自分のためであったりの筈。

で、何故か今日のワタシは早朝から
♪~ d(⌒o⌒)b ~♪ルンルンと
大掃除をしてしまった。

超リッチなのに庶民的で
心に塀のない開放感溢れるRさんの事が
もっと好きになっていた。

お掃除が大嫌い〜〜〜(@^^@ゞ あはは、、、
と言って高笑いしていたRさん
お招きありがとねっ。
目から鱗の私はでした。

:*:'¨':*:'¨':*:'¨':*:'¨':*:'¨':*:'¨':*:

昨日の父
パンが食べたい、
あれが食べたい、
これが飲みたいと
とっても元気元気だった。 (^―^)love

2004年03月17日(水)



 
 孤独感

先週の日曜日に母と病院へ行った。
父はリハビリで杖を頼りに歩行まで出来ていた。
本当に驚異的な回復を見せてくれて
思考力も殆ど以前と変わらないところまで
戻ってくれていた。

翌日からは宙の学期末試験があるので
2〜3日、来られない事を伝えて帰宅。

ところが私が風邪をひいてしまい
月曜から金曜まで行ってあげられなかった。
(風邪をひいていると面会禁止ため)

土曜にやっと会いにいく事が出来
病室へ一歩入った瞬間に飛び込んで来た父の姿。






点滴を受けているその様子に
一瞬、心臓が止まりそうになるほど仰天した。

近づいて息を確かめ
呼吸をしているのが分かった時は
安心したのと同時に
へたり込みそうになった。

日曜日に見た父は何処へ行ってしまったの?

慌てて兄に電話をし
事情を説明してすぐに来てもらった。

病室に戻り言葉をかけると
入院当初と同じ様相を呈し
痴呆症状態に戻ってしまっていた。

月曜日には一応親族が集まり
皆で呼びかけ手を摩り
何度も何度も声をかけ続けた。

ふーーーっと目を開けた父の顔は
穏やかな表情となり
明らかに覚醒して行くのが分かった。

私が行かれなかった5日間
極僅かな刺激の仲で
ただただベットにいた父は寂しさとせつなさで
生きる気力を失ってしまっていたのでしょう。

食事も取ろうとせず
水分も飲まなくなっていたと
看護士さんから聞いた。

私が毎日通う事で何らかの意味はあるのだろうか?
さして嬉しそうな表情をするわけでもなし
と考えた事もあったけれど
今回の事で、
人は本当に愛を求めているのだと知った。

昨日の父は見違える程に回復し
栄養補助のジュースを全部飲み干し
持参した紅茶にも口を付けてくれた。

愛情を感じられるか否かで
生と死のはざまを行きつ戻りつしてしまう
老人の頼りない生への営みを見て
今まで安易に使っていた
「愛」という言葉の重みが痛烈に飛び込んで来た。

昨日からズッと考え続けている。

本当に介護が出来るのかどうか?
と試行錯誤しながら
悶々とまではいかないけれど
深く深く考え込んでいた。

珍しく相方に電話をした。
話したからと言ってどうなるわけではないけれど
伝えておかなければと思ったから。

人生は誰のものでもない。
誰のせいにも出来ない。
自分が結論を出して心に決めたからには
誠実に努めれば良いだけの事。

宙の事を思い起こし
原点に立ち戻らなければいけないなぁと
つくづく感じた。

今日、
春を一杯感じさせてくれる
暖かくて時折ひんやりとした風に
頬を預けていたら
ええい、やると決めたのだから頑張ろう
と、ポロっと迷いが落ちて行った。
そして(〃^∇^)ゞ 彡☆ やるぞー♪
と言う気分になって来た。

本当に体と相談しながら
無理をせずに進んでみよう。

さあ、出来るかどうかお楽しみ〜(^^♪

2004年03月16日(火)



 
 春はいろいろなことがスタートする

父が4月に退院する目処がついた。
いよいよ在宅介護の始まりなのね。

どうなるのか見当もつかないけれど
大変なのでしょうねぇ・・・と
他人事のようにしか考えられない。

母の事も始まったばかりだから
これから、
ざっと10年は介護の日々になるのかな?
複雑な心境の中にいる。

弱き者となった両親。
その姿をみていると心細げで不安そう。
それを払拭してあげられるのは
兄と私なのでしょうねぇ。

それにしても1年前だったら
全く身動きが取れなかったと思う。
何とタイムリーなのでしょう。

時期的にズレてくれたことだけでも
凄くありがたいなー。

どこまでやれるかは分からない
というのが本音だけれど
自分の体と相談しながら
やれるだけやってみようと思っている。


EGさんより


2004年03月15日(月)



 
 愛・・・これほどまでに大切なものだとは

父の事は体験させてもらえて良かった。
父本人の事を考えると
とても言えないのだけれど
私にとっては数少ない貴重な転換期となった。

こんなにも気持ちが複雑に錯綜し
怒涛のように現実に浸りきる生活は
宙の療育に通っていた日々以来かもしれない。

家族の気持ちが
すれ違って誤解もあったりしたけれど
丁寧に話を聞いたり
真摯に言葉を伝える事で
なお一層の固い絆が結ばれたように思う。

父からは愛について沢山教えられた。

人間は愛によって生かされているのだという事。
その愛を見失った時
人は生きては行かれないという事を・・・。

若い内は肉体の強健さで
生きていられるのでしょうが
年老いた人には愛だけが総てなのだと思う。

愛。
その愛の偉大さを切ないほどに思い知らされた。


私の大好きな赤蓮華の季節がやって来る。
桜の花も赤蓮華も一緒に見られますように。



2004年03月13日(土)



 
 自分の立ち位置

役員総会に行って来た。
今期最後の納めの会なので一応の一区切りとなる。

今回の役員さん達は手芸好きが揃っていたので
同じ趣味を通しての接点が多かったせいか
自然に溶け込んでいった。

私には芸と言えるものはないけれど
物を作ることが好きという利点があったので
とっても重宝がられ、
いつの間にかメンバーの一員となっていた。

無理をせずに何も求めず
やるべき仕事を誠実にこなして行く
その事に専心していれば良いのだと考えていた。

今までは何処にいても
自分の立ち位置が定まらず
根無し草のようにフワフワと彷徨っていた感がある。

自分というものをしっかりと確立出来ず
自信がなくて不安定だったのでしょう。

何も考えず自然の流れに逆らう事なく
特別に仲良くなる人も作らなかったけれど
最後の今日、
また集まりましょうという事になり
10人の人達が残った。

ただただ作品の製作が楽しかったこの一年、
自分の立ち位置を見つけて
淡々と過ごして来ただけなのに
得たものの多さには、やっぱり感謝かな(^^♪

2004年03月12日(金)



 
 カリスマ

「クイーン ジュエルズ」を買おうと思っていたら
すでに100万枚をセールスしたとかで
入手困難な状況だそう。
気長に待つ事にしましょっ。

フレディー・マーキュリー。

男性に冠する表現ではないのかもしれないけれど

妖艶

エロチックとは違った品の良さがあり
私には特にゲイという点が魅惑的だった。

服飾関係だった私にとって
フレディーの衣装センスには
理屈抜きに惹かれるものがあった。

一歩間違えればグロになりかねない服も
バランスがとれていて格好良かったのには
後に知ったのだけれど
アートスクールで学んだ経緯があった事で納得。
彼なりに計算し尽くしていたのかもしれない。

富と栄光を掴み煌くスターの座の影で
孤独な人生を感じさせる寂しげな目
そんなフレディーは1991年11月23日
自らがHIVに感染していることを公表
その翌日の11月24日には
肺炎のため45年の生涯を閉じてしまい
Legendとなった。

生きるということはキリの無い事。

100年生きても
もっと生きたいと思うかもしれない。
1000年生きても
もっともっとと思うかもしれない。
本当にキリの無い積み重ねなのでしょう。

どうあがいても限りがあるのなら
今日一日を、その日一日を
どう過ごしたかなのでしょうねぇ。

宙は何のために生まれてきたのでしょう
とフッと考える事がある。
でも、
それは私が考える事ではなく宙が考える事。
宙が何も考えないのなら
それはそれで良いのよね。

フレディー・マーキュリーも
人にどう思われるのかなど
考えてはいなかったのかもしれない
自分がどう生きるかだったのでしょうね。

道半ばだったのかな?とは思うけれど
最後は幸せだったと信じたい。


↑とは関係ないけれど宙作のお弁当。



2004年03月10日(水)



 
 自己の開放

ネットを始めるまでは
殆ど誰にも自分を表現する事なく生きて来た。

ウェブ上の日記と言うツールを得て
180度も角度を変えて歩み始めている。

子どもの頃のあの屈託の無さ。
その頃に少〜〜しフィードバックしている感じ。

20代の頃は、ヒールの高い靴を履き
背筋をシャキンとさせて顎を上げ
出来るOL風を気取り
胸を張って歩いたものだった。

いつの頃からだろう・・・。
うつむき加減に目線を落とし
自信なさげな暗い顔をするようになったのは。

経験値の少なさが起因していたのでしょうね。

変化に超弱い私は気持ちの切り替えが下手で
自らを辛い場所へと追いやっていたのかもしれない。
だから、人生の総てが苦痛だった時期があった。

自分で自分の首を絞めると言う感じかな?
それも真綿でジリジリとネチッこくねっ。

ウェブ日記には、
つい最近まで抵抗感が拭えずにいた。
ところが今は最高の気分転換の場になっている。
完全に私のホーム化していて
のびのび出来ている。

誰かに読んで欲しかった訳ではなく
ひたすら開放されたかった
そう思っていたし決め付けてもいた。

誰の目にも触れなくて良いのなら
アナログでいいわけで
公開していると言う事は
逢った事も逢う事もない
誰かに見て欲しかったのでしょうね。
今はそう思っている。

どんな人が見てくれているのかな?

相互関係を構築してみたいなぁ
と真剣に思ったりする時がある。
でもそれはきっとしないでしょう。

このまま永遠に
いなかったかの如くに終わってしまうのねぇ。
そう考えると胸がシクッとなり
せつなさがこみ上げて来る。
それもまた人生かなぁ〜。^^

父のこと以来とっても素直な気持ちで過ごしている。
生きている事は奇跡なのだと思えるから・・・。

わだかまりもひっかかりも
猜疑心さえも総てが彼方へと消えてしまった。

ここに訪問して下さっている見知らぬ方々
この日記から何か得るものはありますか?

私にとって今は
ただただ読んで下さっている事が
嬉しくてありがたいです。

永遠に逢う事はないのでしょう。
ですから、心を込めてここで感謝を・・・。
ありがとうございます。

いつも綺麗なお花の写真を送って下さっているYさん



ありがとう。^^

2004年03月09日(火)



 
 angel

天使好き。
大切な代名詞。
初めて使ったHNがangelだった。

子ども = 天使
と言う単純な発想から生まれたものなのだけれど
折に触れその天使達が登場してくれる。

ペンフレンド・・・懐かしい響き。

今はメル友との交信が主流で
アナログメールは殆ど書いていないけれど
私にはペンフレンドの Gちゃん がいる。
もう7年になるだろうか?

そのH
Gちゃんから天使のポストカードが届いた。

どうもありがとう。^^



もう一人、天使繋がりのネッ友 Jさんがいる。
Jさんからも天使関連の物を頂いた事があった。

言葉に出来ないほど
ありがたく思っている。

Gちゃんは楽に会える距離にいるけれど
会う事はしていない。

Jさんは遠いので会えないけれど
会おうと思えば会えない距離ではない。

会った事のない3人。
こうして天使で繋がっているのだと考えると
いつも日常に振り回されがちな日々だけれど
人生って思っているより面白いのかもしれないね。

チャンスがあって3人が逢えたらミラクルだねっ。
そんな事を想像したりしていると楽しくなる。(^^♪

これからも気づく大切さを認識しつつ
丁寧に、そして精神的な質の高さを求めて
生活して行こう。

2004年03月08日(月)



 
 ほんわり幼子 ( ¨ )-☆

本日は子守の日。(*^^*)
朝からウキウキ気分で嬉しさ全開。

赤ちゃんが好き。
子どもが好き。

魂の底から喜びが溢れ出てくるのに違いない。
間違いない・・・(^^ゞ

何をどう表現したら良いのか分からないほど
愛をしくて堪らない。

四六時中一緒にいたい。
ずっとずっと見詰めていたい。

どうしてそんなに可愛いの?

何を考えているのかな〜と思わせてくれる
一つ一つの表情のどれをとっても可愛い。^^

予測が付かないフラクタルな動き方に
何なのかなぁ〜?
と思い巡らせたくなるような可愛い仕草、
私は、もう完全にとろけているのだ。

写真を貼り付けて終わらせないと
止まらないから えいっ ペッタン

 

本日は子守に行ってから役員会に参加。

そして父の所へ。
時間が押していて長くはいられなかったけれど
頼まれていた物を届けて一安心。

帰りがけ雨に降られてしまい
凍てつく様な寒さに中
震えながらの帰宅となった。

でも、今日は飛びっ切り幸せ。(^^♪


2004年03月04日(木)



 
 ミモザ巡り

この季節になると気もソゾロになってしまう。
ミモザの一番美しい季節だから。

どこに咲いているのかはマークしてあるので
毎年チャリで飛び回っている。

今年はそれが儘ならず寂しいけれど
幸いにも病院への道すがら
3箇所も見つけてしまった。

小振りながら十分に欲求を満たしてくれている。

今日は、毎日バスから眺めていたミモザを見たくて
二停留所手前で降りてお目当ての場所へ
そして、畑の隅にポツンと立っているミモザを
デジカメでパチパチ撮っていたら
おばあさんが近づいて来た。
話しかけられたので
ミモザが大好きなのですと言ったら
2枝折って下さった。

う、、、嬉しい。・゚(>_<)゚・。
大大大好きなミモザ。

ミモザは、マメ科アカシア属の常緑樹。
学名はアカシアで、
関東では「ミモザアカシア」と呼ばれている。
種類によっては5〜10メートルに生長し、
開花は2月から4月。

花言葉 : 真実の愛・悲愛・優雅・友情・秘めた愛

頂いたミモザに
白いガーベラとスイートピィをあしらってみた。



週末の午前中にでも
ミモザ巡りをして来ようかなぁ(^^♪

2004年03月03日(水)



 
 沈んでみたり浮いてみたり

恒例のランチへ。
6人が集合しての会だった。

いつの頃からか
メンバーの中の一人、
それも一番仲が良かった人から
疎まれるようになった。

久々に顔を合わせたら
露骨にではないけれど
明らかに態度が物語っている。

視線を避けられているのを感じながらのランチは
心穏やかとはいかず波打っているのが分かる。

何故、避けられるようになったのか?
原因が全く掴めないので対処のしようもない。
ただ、お互いに毎回の参加ではないので
ニアミス状態が続いていて事無きを得ていた。

人の振り見て我が振り直すと言うけれど
自分自身の何処に原因があるのか見当もつかず
かと言って相手に原因を求めるでもないので
何をどう直したらよいものやらと
思案するばかりだった。

現状を打破したい気持ちが溢れ出して
もう限界に来ていた。

相手が折れる可能性は無いと踏んだので
こちらからアクションを起こさないと
平行線が交わる事もなく
このまま行くのでしょうとの判断ができたので
私から歩み寄る決心をした。

心を配り気を配りして話しかけていたら
ご機嫌が戻り始め笑顔がこぼれ出した。

一体なにが原因だったのかしら?
今さら掘り下げてみたところでとは思ったけれど
本当は話し合って
疑問符を外せたほうが良いのでしょうね。
今はそこまでのエネルギーはなかったので
有耶無耶のままで良しとした。

気分良く過ごせれ万事めでたし(^^♪

ビーズ作品を皆にプレゼント。
すぐに携帯に付けて喜んでくれたけれど
こちらの方が嬉しかった。



∞〜〜〜∞〜〜〜∞〜〜〜∞〜〜〜∞〜〜〜∞

今回、参加出来なかったメンバーから
頂き物の牡蠣があるので
お裾分けするとのTELがあった。

ちょっと凹んだりしていたので
ご好意がありがたいのと同時に癒されて
嬉しかったぁ。(*´▽`*)ゝ

人って、
こんな風に浮き沈みしながら生きて行くのかな?


2004年03月02日(火)



 
 だんだん慣れて

日曜日、宙は外出だったので
母と二人で父の所へ行った。

父は母が来るとやっぱり嬉しそう。
母も甲斐甲斐しくお世話をしている。
そんな二人を見ていると何とも微笑ましいのだ。^^



私もだんだん慣れて来て
父への接し方、母への対応が柔らかくなっている。

始めの頃は不慣れな事ばかりだったので
頭の中で処理しようとしがちだったけれど
最近は体がささっと動き
総ての事が上手く回転している。

話を沢山しているせいか
父も落ち着いて養生してくれている。

++++++++++++++++++++++

今日もまた笑いながら話をした。

何故、入院させられたのか記憶にない父は
病院に追いやられたと勘違いしていたようだった。

寂しかったでしょうねぇ。

いろいろな経緯があっての入院だった事を
丁寧に話してあげたら穏やかな顔になった。

「助かって良かったね。
これからは本当の意味での<おまけの人生>ねっ。
大切に楽しく過ごして行って下さい。」と伝えた。

大きく頷いてニコッとした父。^^

いい人生だったと思えるように
皆で頑張るからねっ。

2004年03月01日(月)
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